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ドイツはイギリスと苦戦していたまさにそのとき
ソ連に攻め込んだようですが、なぜなのでしょうか?
通常、イギリスをたたいてからソ連に攻め込むものと思われますが、ここに何らかの戦略が隠されているのでしょうか?
詳しい方お願いします。

A 回答 (7件)

 難しい質問ですねえ これだけで何冊も本が書けちゃうくらい「脂っこい」


とこですもんねー! ヒトラーのこの辺の方針については1~3の方の回答、
ある意味でみんな違いますよね、そのくらい判断のわかれるところだと
思います。ご自分で本を読んでみようかな、と思われるなら集英社文庫の
「ヒトラーの戦争」、早川文庫の「アドルフ・ヒトラー」がお勧めです。
ニ正面戦争・日本への感情(同盟国ではありますが、ヒトラーは個人的には
日本人も卑下すべき黄色人種にすぎないと考えていたようです)・
徹底抗戦への理由(エクリプス作戦、三国によるベルリン分割案)ほか
以外と一般的には語られていない部分が描かれています。日本の真珠湾
攻撃も非常に不快だったようですよ(これで米国が参戦の理由ができて
しまいましたから)。

 基本的にはヒトラーにとって「倒すべきは共産主義国家ソ連であり、大ドイツ
繁栄のためには広大なロシアの土地と資源は必要であり、またスラブ人は
ユダヤ人同様抹殺してもよい劣等民族であった」ということでしょう。
独露戦は捕虜も認めぬ悲惨な戦いであった事は有名ですよね。ユダヤ人の
抹殺された方々の人数を最も多めに見積もった数字よりも、この戦争関連で
死亡したソ連人の方がはるかに多いと言われています。
 イギリスはあくまで「講和し、ともに繁栄できる国民」であったのです。
北アフリカ他で英軍と死闘を重ねていても、「戦後はもともとのイギリスの
既得植民地権には手をつけるつもりはなかった」ようです。また、その愛す
べきイギリスが、ソ連などといつまでも連合しているとは思えず、ソ連を
たたけばいずれ連合も解体し、イギリスと講和するなど(もしくはイギリスが
独側についてソ連と戦う)の目論見があったみたいですしね・・・
 このへんの細かい資料は今なお国家機密扱いとなっているものが多く、
「戦後50年後、戦後100年後」などの解禁日の指定がいまだ有効だそうです。
歴史の内幕早く読んでみたいのですが・・・かーなり散漫な文章ですみません。
それにしても二言目には独裁者呼ばわりされるヒトラーですが、多少の
政争だのテロだのがあったにしろ選挙で国民の信任を得た政治家です。
そういう政治家を育ててしまったという反省が戦後のドイツの姿勢に
現れているんでしょうか・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご意見をうかがい、私が疑問を感じるのも無理がない
ことだったのかなと思いました。
ちなみに私が予備校で習ったときには、ドイツは戦争を続けなければならない国だったとかいう適当な説明だったのを記憶してます。
でもおおよそその理由がわかった気がします。

お礼日時:2001/10/18 16:40

No.6のものですがこれだけだと、イギリスの先にソ連に攻めた理由になってないですね。

ごめんなさい
 下の理由からどうしてもソ連を落としたかった。でももう直ぐ冬将軍がやってくる。来年にはもうやばいかもしれない。じゃあ今から攻めなくては・・・・ってことで(^◇^;)
 
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 ナポレオンの超えられなかった壁を超えたかったんじゃないないかな~・・・・・

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No.4の方も触れられていますが、対ソ戦に踏み切った理由として


ナチスとヒトラーの思想的な理由も考慮すべきかと思います。

ナチスの思想を一言で言うと「ゲルマン人優越思想」です。
それから「反共主義」

スラブ民族が多く、かつ共産主義国家のソ連とは、いずれ決別する仲でした。
独ソ不可侵条約も、西の宿敵フランスを片づけるまでの方便だったのでしょう。

それに反して、イギリスは同じゲルマン民族の国です。ゲルマン民族優位主義
を唱える以上、同じ同胞の国を征服することが思想的に難しかったのでしょう。
(実体はスコットランドやウェールズに多くのケルト民族を抱えていますが)

ヒトラーは軍事指揮官として無能力であったとは考えにくいのですが、現実よりも
思想を優先させてしまったとすると、それが彼の限界だったのでしょう。

この回答への補足

みなさん、ありがとうございます。
ソ連とドイツが腹のうちでは警戒しあっていたという事情が良く理解できました。
またドイツとイギリスのゲルマン民族であるという共通点というのもとても説得的でした。
ドイツがソ連を攻めた理由が私なりに理解できたような気がします。

補足日時:2001/10/18 16:43
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これは対イギリス戦を打開するためにいろいろやった結果ソ連に攻め込んだということで問題ないと思います。

ヒトラーはイギリスの空軍力の前に制空権を取れず上陸作戦を断念していた。しかしイギリスも結構やられていました。それでもイギリスが抗戦を続けたのはソ連と特にアメリカに期待していたからこそです。当初中立の立場を取っていたアメリカをなんとか参戦させるためにチャーチルは日本をハメて真珠湾攻撃を踏み切らせる作戦に出ました。アメリカが参戦することでチャーチルは「これで勝ち」と見たわけです。イギリスはアメリカの強力な援助のおかげで体制を保っていたんです。ヒトラーはこれを打開するため日本との同盟を求めた。アメリカのヨーロッパ参戦をはばむためですね。
一方ソ連はフランス降伏後、バルト3国を併合するなど領土を回復していました。ヒトラーの背後が危うくなってきたんです。この時ヒトラーはソ連と手を組んでイギリス・アメリカの打倒をもくろんだ。しかしヒトラーが提示した世界分割案よりもソ連は東ヨーロッパの勢力圏がためを示した。もくろみは失敗。ソ連の考えを知るや、背後の不安を除くため対ソ連開戦を始めました。もちろんイギリスのもう一つの希望であったソ連を叩くことでイギリスの戦意喪失もねらっていたでしょう。ヒトラーの背後の不安がなくなったらそれこそイギリスはビビッたはず。そんなことになれば今度は西方だけを全力攻撃してくるからです。こんなとこでしょうか。
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バルバロッサ作戦ですね。



西方での作戦に手間取り、ソ連との挟撃の可能性ありと判断し、
あえて、奇襲攻撃をかけたようです。

参考URL:http://www.jda.go.jp/j/library/secur/1997/08/hiy …
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独ソ不可侵条約は締結されていましたが、ソ連が一番の脅威だったから、先につぶしたいという意向があったのではないでしょうか。



ミュンヘン会談のことを考えてみてください。イギリスもフランスも弱腰だったではないですか。アメリカは不干渉の立場をとっている。今不可侵条約があっても、社会主義の波がドイツに刻々と迫ってくるやもしれない。そう考えると、イギリスをさしおいてソ連を攻めるのが手だと思います。

また、電撃戦という言葉の通り、すばやく戦況を有利に導いて、ドイツ領の拡大を狙ったものと思います。

僕の専門がポーランドなもんで、少しこのへんは半可通なところがありますが。
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