以前あるサイトにて新潟と沖縄のつながりについての記載がありました。
そのサイトによりますと、
・新潟市近辺では祭りのとき香具師が「ぽっぽ焼き」という黒糖ベースのお菓子を売っていますが、沖縄にはそれに類似した「ポーポー」というお菓子がある。
・佐渡島には国仲や佐和田という地名があるが、沖縄にも同様の地名がある。
・これらは昔北前船の交易によって交流があった証だ。
などと書かれていました。
確かにそう言われてみればそういう気にもなってきますが、私が新潟で育った頃(教育を受けた頃)には、新潟と沖縄の歴史的なつながりなんて一言も聞いたことがありません。なんだかこじつけのような気もしますが…真偽の程はどうなのでしょうか?
私は単なる偶然だと思います。

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A 回答 (7件)

自信を持ってお答えできるほどの確証はありませんが、沖縄と新潟の直接的なつながりはないと思われます。



まず、北前船というのは西回り回船の1つで、蝦夷地と大坂を日本海・瀬戸内海を通って結ぶものであり、確かに新潟はその主要な港の1つでしたが、この船は沖縄方面へは行っておりません。

第2に琉球貿易は江戸時代以前は沖縄を中心にして、中国・朝鮮・東南アジア・日本などを結ぶものであり、沖縄はその中継地として栄えました。この時代でも沖縄との交易は堺や博多の商人が主であって新潟は絡んできません。(というか新潟の繁栄は江戸期に入って西回り回船が発達してからです)また、江戸期に入って島津氏による琉球征伐があってからは、沖縄との貿易は薩摩藩が独占しましたから新潟に関係のある商人が貿易をおこなう可能性は低いでしょう。

下の方のご紹介URLなどで「コンブルート」なるものが書かれておりますが、この場合の主要な経由地は大坂と鹿児島であって、新潟はその途上の港の1つにすぎません。

歴史や地理において2つの土地のつながりという場合は、例えばイギリスのピューリタンたちがアメリカに移民してニュー・イングランド植民地を作ったように直接的に人的なつながりがある場合、あるいはコンブの場合の蝦夷と沖縄のように生産地と消費地というような関係のある場合を言うべきで、今回の例はあてはまらないと思えます。

もちろん、新潟出身の商人が沖縄まで行き、「ポーポー」というお菓子を持ち帰って新潟で作り出したとかいう可能性を完全に否定することはできません。
また「国仲」「佐和田」については沖縄本島ではなく伊良部島の地名です。ここは広い意味では沖縄ですが・・

なお、下の参考URLは琉球菓子の紹介サイトで、これを見る限りでは「ポーポー」ではなくそのすぐ下の「ちんびん」の方が「ぽっぽ焼き」に似ているようですが、いかがでしょうか。

参考URL:http://www.teruya.net/leaf/food/sweets/index.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
直接的な交易はなかった事が分かりました。

今年初めて伊良部島へ旅行し、その際佐和田の浜という名所を見てきました。国仲も伊良部の地名だったのですか…。
今年のNHKドラマ「ちゅらさん」主演の国仲涼子の先祖も伊良部の出身だったのでしょうか?
おそらく地名の件も偶然でしょうね。ただ沖縄の友人の苗字に「佐渡山」というのがあり、妙に親近感を得た記憶があります。

「ちんびん」のほうが「ぽっぽ焼き」に似ていますね。
因みに「ぽっぽ焼き」という名称は新潟市での呼び名で、近郊では「蒸気パン」と呼ばれているそうです。
おそらく「蒸気→ポッポー」からぽっぽ焼きになったのではないかと私は思います。

お礼日時:2001/10/20 18:55

No.6の回答で・・・注がありました。


>まだ精査した文章やデータじゃない
これは、私らが発見した東北地方の古文書やデータだよ。精査中!
martinbuhoさんの回答を、精査中の意と誤解しないで下さいね。
martinbuhoさんの回答は貴重な回答です。
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whiteholeさん、私のアドバイス、ヨイショじゃないよ。


ホントだよ。専門家に必要な要素って、やり始めてからついてくることまあるし。
○matinbuhoさんの回答、大切にしたいです。
沖縄近海の海水温が30度近い、昆布が欲する栄養塩類が少ない海域では、昆布は生育しない。それなのに、伝統料理としてあるわけだから、大和との関係があってしかり。

実は、以前、ある取材で、東北の東回り航路に当たる地方を取材した時、慶長年間に、昆布、海産干物、材木を長崎経由で、琉球方面に出荷した記録があったんです。(直接じゃないにしても、martinbuhoさんの仰る通り間接的でも交易はあった)これは、まだ精査した文書やデータじゅないから、詳しくはいえない。
でも、この、文書も、whiteholeさんのような、ちょっとした疑問を持った方から情報をえて、初めて解ったんです。
けっして、おべっかいや、ポイント稼ぎ屋で言ったんじゃないよ!
純粋な、私の質問から感じ取ったことだよ!
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この回答へのお礼

了解です。
今すぐに何かできるわけではないですが、機会があれば沖縄と新潟の「隠された(誰も隠しちゃいませんが…笑)」つながりについて調べてみようと思います。
専門家の気付かない「盲点」というのが、素人から指摘されることがあるのですね。

お礼日時:2001/10/22 00:03

No2で回答したmatinbuhoです。


私の回答は『新潟と沖縄に歴史的繋がりがあったのだろうか』ということに対する私見です。この場合の歴史的繋がりとは文化的影響と理解して私見を述べました。文化的影響は直接も間接もあります。xxルートは文学的表現でよく使う表現で、塩の道、魚の道、稲の道などと使われます。シルク・ロードも誰かが使い始めて有名になりましたが『シルク・ロード』という道路があったわけではなく普通の道路や荒野を隊商が絹やその他の物品を多くの中継地と人の手を経て運んだに過ぎず、後世の人がそれを『絹の道』と名づけたわけです。『コンブ・ルート』も同じ命名法だと思います。
北海道から沖縄まで昆布が運ばれた『道』があったのです。新潟も途中にある寄港地のひとつだったわけです。昆布ルートに積み替地があり多数の商人が携わっていたことは容易に想像がつきます。昆布ルートと新潟県の関係はローカルの博物館でも展示、説明されていると思いますが。

偶然と片付けず心にとめておけばいつか納得する回答(証拠)に出会えるでしょう。
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この回答へのお礼

現在新潟に住んでいないため、なかなか郷土資料館などに行けませんが、機会があれば調べてみようと思います。
商品の搬送が現在よりもかなり困難な時代に、北の昆布が南へ届けられ、それが沖縄の食文化にとって無くてはならないものとなり…ロマンがある話ですよね。

お礼日時:2001/10/22 00:09

こんばんは。


あえて、回答の主旨をはずした回答をさせて頂く事、質問者様、回答者様、お許しください。

whiteholeさん、そのくらい、情況証拠があるんですから、それをさらに正確なものにするのは、もしかすると、あなたのライフワークかもしれませんよ。
発見とか、発明って、そう言うような、専門家の先生方が知らない事を探求して行く事から始まってます。

お菓子のこと、国仲、佐和田の名字、興味深いです。
沖縄が外界に、100%確実に絶対的断絶をしていた証拠はないんです。
鳥に翼があるように、人間には、船を作る手があり、航海するだけの頭脳がある。

専門家の先生が、知らない事を調査して、新しい歴史を作るって、夢があるじゃないですか。

あなたの様に、小さな疑問を持った方は素晴らしいです。その素晴らしさだけでなく、それを形あるものにするのも、もっと素晴らしいことだと思います。

新鮮な目をおもちのwhiteholeさん、ご自愛願いたいです。

質問の主旨から逸脱したこと、お許し下さい。
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この回答へのお礼

せっかくヨイショしていただいて恐縮ですが…
そこまで探究する根性ありません(笑)
それに専門家は、豊富な知識と洞察力を備わっているが故に専門家と言うのであって、一介の市民である私なんか到底及びませんし。
やはりここは専門家のご意見を尊重して、私の疑問は単なる偶然に過ぎなかったというのが真相ではないでしょうか?

お礼日時:2001/10/21 01:42

昆布の産地北海道と一大消費地沖縄を結ぶコンブ・ロードが存在したことは歴史的事実です。

このルートを開発・利用し江戸時代の日本海海運業発展に寄与したのが
高田屋や銭屋です。このルートで使われた船が北前船、寄港地は新潟、富山県内の港でした。お尋ねのぼっぽ焼や佐渡の地名と沖縄の関係はわかりませんが、状況証拠から見れば言い伝えは十分信用できます。

長寿で有名な沖縄の料理に欠かせない昆布については過去NHKをはじめマスコミでよく紹介されています。昆布ロードは沖縄から更に中国へと伸びていたようです。

http://www2.ocn.ne.jp/~hokkai/eirakugaidovol26.htm

http://amateras.com/trip/japan/museo/hokuriku/ka …

参考URL:http://www.okinawatimes.co.jp/ad/summit/do/08.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
No.3の方が回答なさっているように、単なる偶然ではないかと思います。

お礼日時:2001/10/20 18:43

北海道観光の時に聞いた話なので.歴史書に記載があるかどうかは不明です。



薩摩藩の侵略を受ける前は.沖縄は独立国家であり.個別の文化を築いていました。その一つか貿易です。貿易の相手先.主に中国貿易の中間基地として発達し.北海道産海産物を中国に販売し富を構築しました。
この富に目をつけたのが薩摩藩で.沖縄を侵略し.貿易を独占し.幕末における権力構築の基礎となった。

と記憶しています。なお.北海道産昆布の大口消費地は沖縄との話を聞いていますが.こちらは前記以上に怪しい記憶です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
以前テレビか雑誌で沖縄県が北海道産昆布の最大消費地だと聞きました。

お礼日時:2001/10/20 18:41

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Q田沼意次 ロシア交易

工藤平助が著した『赤蝦夷風説考』の献上を受け、田沼意次はロシア交易と蝦夷地開発を検討しました。


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田沼が考えたロシア交易もやはり、商業活動を活発化させることに利益を見出したからでしょうか?
それならば、ロシア交易から納入される税って何でしょうか?



よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>田沼が考えたロシア交易もやはり、商業活動を活発化させることに利益を見出したからでしょうか?
それならば、ロシア交易から納入される税って何でしょうか?

まず、お答えから先に述べますと、
田沼の目指したのは、幕府独自の取引ではなく、松前藩への課税を増やしました。
一説には、それまで松前藩への課税は10%前後と言われていましたが、『赤蝦夷風説考』の建白書を受けて、40%近くにまで課税を引き上げたと言われています。
対象となったのは、蟹、鮭、昆布、わかめ、アイヌの伝統工芸品の移出に税の負担を多くしました。

(1)江戸時代は「鎖国」(これについては、後述します)時代でしたが、「四口(よつのくち)」と呼ばれる海外との交易を認めていました。
*中国から琉球へ、そして、薩摩藩を通じて幕府への路。
*中国から朝鮮へ、そして、対馬を通じて幕府への路。
*中国やオランダから長崎へ、そして、幕府への路。
*蝦夷地(アイヌ)から松前藩を通じて幕府への路。
が、開かれていました。

(2)どのような国の支配者たちも、自らの権力の「維持」「強化」を目指すものであり、海外との交渉で諸問題が発生するよりも、「閉ざされた社会」の方が「管理」をしやすい。

(3)当時の諸外国と言えども、中国や朝鮮でも同様に「閉ざされた社会」であり、例えば、明にしても、朝貢以外を排除し、中国人の海外渡航を禁止している。

(4)幕府としては、「開国」することにより、日本の諸藩が貿易による「財力」や「兵力」の拡大を強く恐れた。

(5)ただし、こうなると、諸外国の「情勢」が何も見えなくなって、いわゆる、「独裁国家」になるため、幕府権力だけでは日本を「独裁的」に統治する力は、まだ「完全」とは言えず、とは言っても、幕府権力という独裁的立場を確立するために、「布教活動をしない」という約束のもとで、長崎の出島のみでのオランダとの交易を許可した。
そこには、日本の諸藩を介入させず、幕府だけが「富」と「情報」を独占するためであった。
しかし、幕府の力が、まだまだ弱いことを印象付けたのは、寛永14年(1637)10月25日より発生した「島原の乱」では、幕府軍は苦戦をし、オランダに依頼をして、海上から原城への砲撃をさせています。

(6)「鎖国」をする・・・と、言うことは、とりもなおさず、国家の中だけで「自給自足」をすることになるわけですが、秀吉の頃からは、日本国内でも「灌漑」「治水」事業が発達して「新田開発」なども盛んになった、また、「農業技術」や「農機具の発明」などで徳川幕府としては、「国内生産」「国内消費」だけでも統治できる・・・と、考え「鎖国」に踏み切った。

(7)やがて、幕府権力も充実してくると、海外との戦いでも、必ずしも「最新の兵器」だけで勝てるわけもなく、「兵力数」や「食料の補給路」で、さらには、戦国時代としう戦いにおいての「戦略」や「戦闘技術」では、幕府は諸外国に対抗できる・・・と、考えた。
これには、秀吉が朝鮮出兵で「補給路」を絶たれて敗北した経験が、そうした考えとなった。
従って、徳川幕府としては、「鎖国」をすると同時に「海外進出」には一切目を向けていない。
寛永12年(1672)6月25日、幕府評定所の話し合いで酒井忠勝は、
「我々は、他の人の奉仕を受けることができるかぎり、日本の船を国外に渡航させる必要はない」
との諮問を提出している。

(8)幕府は、一気に「鎖国」をしたわけではなく、徐々に発令していった。
*慶長17年(1612)、キリスト教禁止令を出す。
*寛永10年(1633)、奉書船(渡航が許可された船)以外の海外渡航を禁止。
*寛永12年(1635)、日本人の海外渡航と帰国を禁止。
*寛永14年(1637)、島原の乱。
*寛永16年(1639)、ポルトガル船の来航を禁止。
*寛永18年(1641)、オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移転。

「鎖国」という言葉について:

(1)ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが江戸旅行をして、帰国後に書いた「日本史」(1712刊)の中にある、
「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、また、此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」
と、いう一文を、蘭学者である志筑忠雄(しづきただお)が享和元年(1801)「鎖国論」において初めて使用した「造語」である。

(2)しかし、嘉永2年(1849)に成立した「徳川実記」では、寛永12年(1635)の措置を「海禁」と書かれている。

(3)近年、「鎖国」という言葉は、研究者の間でも使われなくなってきており、学校の教科書などでも、山川出版「新日本史」では、本文中には一切「鎖国」という文字は出てきていない。

(4)著者の東大教授藤田覚氏によると、
「幕府は、最初から鎖国を意図したわけではない。その状態が、たまたま200年ほど続いたから『なんとなく鎖国』だった」
と、考えた方が自然ではないか・・・とコメントしている。

あなたのお答になっていたでしょうか。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>田沼が考えたロシア交易もやはり、商業活動を活発化させることに利益を見出したからでしょうか?
それならば、ロシア交易から納入される税って何でしょうか?

まず、お答えから先に述べますと、
田沼の目指したのは、幕府独自の取引ではなく、松前藩への課税を増やしました。
一説には、それまで松前藩への課税は10%前後と言われていましたが、『赤蝦夷風説考』の建白書を受けて、40%近くにまで課税を引き上げたと言われています。
対象となったの...続きを読む

Q2度目の子連れ沖縄旅行、観光のおすすめは?

10月19日から3泊で沖縄に旅行に行きます。

去年も同じ時期に沖縄に行き、美ら海水族館、平和記念公園、海中道路
琉球村、道の駅かでな、DFSに行きました。



今年は、

ルネッサンスリゾートオキナワ3泊日
夫婦+子供(5歳女児)
レンタカーあり
出発日は羽田発8時台、帰りは那覇発14時台です。


3泊のうち1日は観光にあてたいと思うのですが、
ホテルからそう遠くない場所で、ここはおすすめ!という
場所がありましたら教えてください。

Aベストアンサー

ルネッサンスの近く、となると『ビオスの丘』か『フォレストアドベンチャー恩名』があります。

ビオスの丘は、イメージで言うと『ジャングルクルーズの体験型』でしょうかね。
沖縄の自然に触れてみたり、カヌーに乗ったりもできます。
のんびり型の施設ですね。

http://www.bios-hill.co.jp/


一方のフォレストアドベンチャーは結構ハードです。
施設利用に当たっては事前予約が必要ですし、一部年齢制限もありますので確認は必要です。
ただし、フォレストアドベンチャーは沖縄を感じられることは少ないのですね。
5歳の女の子が喜ぶかどうかは微妙です。

http://www.forest-adventure-onna.jp/


ドライブついでなら、北部方面に向かって『名護パイナップルパーク』はいかがでしょうか。
自動電動カートがありますし、パイナップルも食べ放題です。
お父さんにもうれしい、パイナップルワインの試飲もあります。
でも、ワインを試飲したら、帰りの運転はお母さんになってしまいますけどね。

http://www.odnsym.com/spot/nagopain.html


同じくドライブついでですが、今度は思いっきり南部方面に向かって『おきなわワールド』はいかがでしょう。
鍾乳洞やエイサーも見ることができますし、陶器やガラス工芸や織物工芸の体験もあります。
ここのエイサーは観光用にアレンジされていて勇壮です。
各種体験コースは、お母さんとお子さんにはとてもよいことですよね。
親子の一体感がさらに深まるのではないでしょう。
私もそうですが、ツライのはお父さんです。
ここはグッとガマンしてもらいましょう。

http://www.odnsym.com/spot/okinawaw.html


まだまだたくさんあるのですが、キリがないのでこのあたりでとめておきます。
ご家族にとって、良い旅になるといいですね。
思い出がいっぱい持ち帰ってください。
お待ちしています。

めんそーれ! 沖縄!!

ルネッサンスの近く、となると『ビオスの丘』か『フォレストアドベンチャー恩名』があります。

ビオスの丘は、イメージで言うと『ジャングルクルーズの体験型』でしょうかね。
沖縄の自然に触れてみたり、カヌーに乗ったりもできます。
のんびり型の施設ですね。

http://www.bios-hill.co.jp/


一方のフォレストアドベンチャーは結構ハードです。
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ただし、フォレストアドベンチャーは沖縄を感じられることは少ないので...続きを読む

Q縄文時代の交易

黒曜石やサヌカイトは重要な交易品だった、と教科書に書いてあります。
数百kmに及ぶ驚くほど広範囲で交易が行われていたようです。
特に遠方の交易の場合、産地の人が出かけて行ったのですか、それとも産地へ求めてやって来たのでしょうか。
「そんなことは分からない」というのが正解かも知れませんが、こんな考え方があるといったようなことを教えて下さい。
よろしくお願いします。

「黒曜石研究の動向」
http://www.ao.jpn.org/kuroshio/kenkyudoko.htm 
これは読みましたが、解答はありませんでした。

Aベストアンサー

人が歩けば道になる。道ができればさらに人が通うようになります。
最初は産地に人が求めにやってきた。現地での物々交換が始まり、
やがて互いに人々が行き交うようになり、そのうちに中間地の河口の港町
などでの取引も始まるようになるのではないでしょうか。

参考URL:http://www4.tkc.pref.toyama.jp/toyama/topics_detail.phtml?Record_ID=5436745f641033c77f20662514e3f6be

Q沖縄、有名な観光地以外でおすすめは?

来月、沖縄に行きます。3年くらい前から沖縄が好きで行き始め、今回が6回目になります。

いままで、メジャーな観光地(首里城、識名園、平和祈念公園、海軍司令部壕、国際通り、おきなわワールド、DFS、東西植物園、やちむん通り、やちむんの里、パイナップルパーク、美ら海水族館、琉球村、古宇利島、海中道路、中城城、道の駅かでな、今帰仁城、中村家住宅、万座毛、金城の石畳)は、行きました。次回は、この中でおもしろかったところをいくつか回りますが、これ以外でおすすめはありますか?

ちなみに、ダイビングなどアクティビティはやりません。沖縄の歴史や文化に親しんだり、住んでいる方たちに身近に触れあえるような体験がしたいです。

移動範囲は本島全部です。

Aベストアンサー

タイミングが合えば「闘牛」がお勧めです。
月1~2回程度開催されておりますので、闘牛場に足を運んでみてください。
地元の方ばっかりで、応援する掛け声とか指笛など独特な雰囲気で、異国情緒を感じますよヽ(^。^)ノ
午前中から始まって、午後3時ごろには終るようです。
(試合によって時間が左右されます)
だいたい3,000円前後の入場料です。
ウシの名前がめっちゃおもしろいです。
HPなどもありますので、検索してみてください。

その他としては、「軍用基地内のレンストランで食事」というのはどうですか?
泡瀬の軍用ゴルフ場内のレストランは円をドルに変換して利用できますし、スロットマシーンなんかも置いてあって、アメリカンスタイルです。
嘉手納基地内の「レストラン シーサイド・イン」は基地の横なので迷彩の屈強のお兄ちゃんと隣同士で食事できます。
ここはテラスがあり、マリーナの景色を眺めながら食事できます。
戦闘機の音がうるさいですけど、そこは基地。
思い出にはなると思いますけど・・・どうかしら?
もちろん2軒とも日本語通じます。

地元の方が集う「民謡酒場」なんかもお勧めです。
皆さん酔うとかなり方言がキツ過ぎて理解不能になりますが、
それもまたご愛嬌です。
物凄いこと酒のアテがでます。

というツアーはいかがでしょうか?

タイミングが合えば「闘牛」がお勧めです。
月1~2回程度開催されておりますので、闘牛場に足を運んでみてください。
地元の方ばっかりで、応援する掛け声とか指笛など独特な雰囲気で、異国情緒を感じますよヽ(^。^)ノ
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Qなぜ、江戸幕府はオランダとのみ交易したのですか?

なぜ江戸幕府は出島にて、
欧州諸国の中ではオランダとのみ交易したのでしょうか?

大航海時代、隆盛を極めたスペインやポルトガルでもよかったのではないのですか?
何か理由があるのでしょうか?

Aベストアンサー

はい、理由があるのです。幕府がつけた「キリスト教を布教しない」という条件に応じたのがオランダだけだったということなのです。スペインもポルトガルもキリスト教の布教を許されないなら、日本と交易する利益なしと判断して撤退していきました。
そのオランダとスペイン・ポルトガルの違いはどこから生じたか。それは宗教改革によってスペイン・ポルトガルがローマ・カトリックに留まったのに対し、オランダはプロテスタントの国になったからです。ローマ・カトリックには聖職者というキリスト教布教の専業の要員が存在するのに対し、プロテスタントにはいません。
そもそも宗教改革と大航海時代は密接に絡んでいます。宗教改革によって、西欧でローマ・カトリック離れが起きます。つまり聖職者の飯の種が減少したということなのです。西欧に閉じこもっていても市場は先細りで先行きの見通しが暗い。だからローマ・カトリックの財政再建の為にイエズス会が結成され、ちょうど時期を同じにする大航海時代の流れにのって海外の信者獲得を目指したのである。そのイエズス会のスペイン・ボルトガルの奴隷商人が悪の二人三脚で結託してgive&takeで飯の種を海外に見つけようというのがスペイン・ポルトガルの対日進出の目的です。キリスト教の力で現地の政治勢力を分断し、軍事力に頼らずに切り崩し、植民地化し、現地人を奴隷化して奴隷商人が売り飛ばす。それが当時スペイン・ポルトガルが世界で繰り広げていたビジネス・モデルなのです。元々スペイン・ポルトガルは日本と交易することが目的であったわけではない。交易は表向きの名目であり、現地人を手なずけるためのポーズに過ぎないものでありました。ところがアフリカや新大陸や東南アジアで成功したビジネスモデルが日本には通用しなかった。賢明な幕府はスペイン・ポルトガルの真の目的を見定めて、警戒を解かなかったからなのです。スペイン・ポルトガルが持ち込む南蛮商品は魅力的なものであった。長崎カステラはおいしい。だから幕府はキリスト教の布教は許さないが、交易だけなら認めるという態度でもあったのです。しかし、それではスペイン・ポルトガルは面白くない。わざわざ遠くから帆船で来ているのは決して日本を喜ばすためではありません。日本がそんなにガードが固いなら撤退するほかなし。世界にはもっとおいしい甘い国がいくらでもあるのだから、手強い日本にこだわる意味が何もない。

これに対しオランダは純粋に交易だけを目的としていました。ローマ・カトリック教会の聖職者はオランダにはいないのです。オランダが大航海時代に乗り出したのはスペイン・ポルトガルの後でしたが、純粋に商人が生計を立てるためにインドネシアの拠点からわざわざ日本まで来ていたのです。オランダは先行するスペイン・ポルトガルを追い落とす為にスペイン・ポルトガルの悪の手口を江戸幕府に暴露して幕府の信頼を得て、幕府の煩い注文も全部丸呑みしました。オランダ商人は日本との独占的交易権を握れば十分利益を出せるからなのです。オランダは江戸時代の最後まで日本に対しては誠意を尽くした取引をしてきました。

江戸幕府が外交判断を誤らなかったのは日本にとって幸いなことであった。

はい、理由があるのです。幕府がつけた「キリスト教を布教しない」という条件に応じたのがオランダだけだったということなのです。スペインもポルトガルもキリスト教の布教を許されないなら、日本と交易する利益なしと判断して撤退していきました。
そのオランダとスペイン・ポルトガルの違いはどこから生じたか。それは宗教改革によってスペイン・ポルトガルがローマ・カトリックに留まったのに対し、オランダはプロテスタントの国になったからです。ローマ・カトリックには聖職者というキリスト教布教の専業の要...続きを読む


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