親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

歴史の勉強していくと何故?何故?と疑問がわいてきます。またそれを知った時
すっきりします。ゲルマン民族が移動することによって、ヨーロッパに変化が起きましたが、ではそのフン族がいきなり西方へ移動してきたのは何故でしょうか?
いろいろ調べてみましたが・・ゲルマン民族大移動の原因で出てくる程度、しかも
それまでおとなしくしていたのに、いきなり移動したようなニュアンスです・・
どなたか、ご存知のかた教えてください。

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A 回答 (7件)

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。



「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っていますから西進するしかなかったのです。  こうしてヴォルガ川にたっし、さらに西進しました。  これには気候の変化説、疫病説など諸説もありますが正確なところは不明です。  この時代の移動速度は緩やかなものでした。

そこには既に東ゴート族が居住していましたから彼らを略奪、抵抗する者を殺しました。
この情報はすぐに東、西ゴート族に伝わり、かれらフン族の残酷さ、騎馬戦術の脅威が過大に誇張されて伝わったため、パニックが起こりゴート族の西方への大移動が起こって次々とゲルマン民族などの大移動が伝播したのです。  この頃は草原の確保より略奪が目的に変化していてフン族の移動は迅速で警報が間に合わない事もよく起こりました。

アッチラというフン族の王が出現し部族をまとめてから、その攻撃力はすさまじいものとなり現在のフランス、イタリアまで侵略された位です。
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私的な見解です。


ゲルマンの大移動もフン族の移動も地図を見ると、中央アジアから中国に
かけて複雑に繋がっているように思います。強大な国家が衰退したあとは、
小国がたくさんできて争います。近隣諸国も同様に今まで一国の支配下に
あったものが、重石が取れるとバラバラになって合い争うようです。
この影響は、あっという間に中国からヨーロッパまで波及すると考えると
ゲルマンの移動も納得行くと思うのですが、いかがでしょうか。
争いは西へ西へと波及していって、最後の端っこが、ゲルマンだとすれば
納得ゆくものになると思います。
強大な国家隋が建国されるまで、近隣諸国は不安定であったと推測します。
インド史に関して不明ですが、インドも中央アジアに多大な影響を与えた
と思います。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/Eurasia4C. …
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実際に彼の地へ行ってみると、日本で考えていたこととだいぶ意識が変わってくるものです。


モンゴルから中央アジア、ロシア平原にいたる地域は農耕に適さない、土地のやせた草原で、
こうした場所で生きていくには、遊牧生活が最も適しています。

遊牧は家畜に草を食べさせて育てる生き方ですから、
家畜の餌となる草原が枯渇すれば移動せざるを得ません。
もともと彼らにとって、ある土地を捨てて別の土地に移動することは、
日常的な出来事だったわけです。
(この辺が狭い「自分の土地」にしがみついて生きる農耕民族の日本人には、
わかりかねる部分がありますが)

それに加えて彼の地は360度地平線が見えるような一面の草原、
「土地なんていくらでも続いてるじゃないか、気候に恵まれなかったり、
異民族が侵入してきたりしたら、さっさとあの地平線のかなたへ行ってみようぜ、
なにかいいことがありそうだ」
なんて気持ちにさせてくれる地形条件があります。

つまり彼らは、土地にまったく未練がなく、軽い気持ちで別の場所へ移住していくのです。
日本人の感覚では推し量れないところがあるかもしれませんが、
もしご質問者の方が彼の地へ行ってみることでもあれば、納得されるかも知れません。
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そもそも中央ユーラシアの遊牧民(特に古代)については文字史料が少なくて推測に頼る割合が大きいですね。



ピエール・リシェ『蛮族の侵入』には柔然が勃興して、それに押されて西へ移動したのではないかという推測が紹介されています。
No2さんの後漢に追われた説だと、西に登場するまで百年以上のタイムラグがあるので、それだけではちょっと苦しいかな、と思います。

歴史的に見てモンゴル平原あたりに勃興した遊牧民が西へ移動するというのはよくあることですので(アヴァール、ハザールなど)、フン族もその一例だといえるでしょう。
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フン族(匈奴)は何処の人でしょう…


3世紀~4世紀にかけて匈奴はどのような環境にあったでしょうか…

ヒントは三国志にありますよ。三国志から五湖十六国時代の中国史を見ると謎が解けるのではないでしょうか…
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
三国志ですか・・早速裏をとってみます。

お礼日時:2005/07/31 20:43

北匈奴が後漢に追われてカザフ高原、ヴォルガ川を越えフン族となり、ヨーロッパへ侵入したと言われています。

あくまでそう言われているだけで、確実だというわけではなかった気もしますが。。匈奴に関しては普通に教科書にも出てくるので割愛させていただきます でわでわ
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
やはり、ところてん式の説もあるんですね・・

お礼日時:2005/07/31 20:41

以前読んだ歴史書にはフン族は中央アジア系の遊牧民で、いきなり大移動したのは天候不順などの理由で牧畜のエサが不足し移動せざるを得なかったのではないかと書かれていました。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。
気象が原因なら・・なんともすっきりしませんね・・

お礼日時:2005/07/31 20:40

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Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む

Qアッチラ以前既にフン族は何故強かったのか?

中央アジアにいたフン族が360年頃西進を開始し、その行く手にいたゴート族は押し出されて西進を開始したといいますが
ゴート族といえば尚武の民族と聞いています。
フン族の圧力に抗しきれなかったのは何故ですか?

ゴート族のその後はローマ帝国とも互角以上の勢力を築いたのでかなり強力、且つ有力であった筈なのに世界的な民族移動を引き起こす程フン族が強力だったのは何故でしょう?
アッチラ出現前既に世界一強力であったのは何故?

Aベストアンサー

No1です。
>彼らも騎兵は有していたと思うのですが・・・
についてですが、
まずゴート族に騎兵があったとしても、どうやってフン族の行動を察知して迎撃に向かうかという問題があります。生活圏丸ごと移動する遊牧民は、拠点が固定化していないので捉えること自体が困難です。逆に農耕民であったゴート族は土地を守らなければならないという制約があるため、好き勝手に軍隊を動かすわけにはいかず、どうしても主導権は遊牧民側にいきます。遊牧民側としては、強そうな敵が出てきたらいくらでも逃げて、敵の少ないところを狙って急襲する、というやりかたができますが、土地に縛られた農耕民には無理な芸当です。No3の方も仰ってますね。
更にいえば単純なスピードでもゲルマンの騎兵は追いつけないでしょう。フン族の騎馬は軽装ですし、乗馬と生活が密着しているため騎手の錬度も高いです。また一人あたり何頭も馬を連れ、それを換えながら走ったといいます。

遊牧民が攻めてきたときに対する有効な手段は、焦土戦略と言いましたが、物資も人も皆、城壁を巡らせた都市の中に入れてたてこもるというものです。大規模な準備が必要な攻城戦は遊牧民の苦手とするところで、略奪する物が手に入らなければ引き返さざるをえません。遊牧民の略奪によく遭う中国の防御方法は基本的にこれです。
しかし、当時のゲルマン人は、農村を中心にした農耕社会であったため、都市が発達していませんでした(ゲルマン人の、自前の都市が発達するのは11世紀以降だそうです)。なので有効なたてこもりがしづらい、というのも、フン族の餌食になった理由の一つだと思われます(中国と違って略奪され慣れていない、よって対処法をよく知らなかった、ということもいえるかもしれません)。

>村単位に征服されていったのでしょうか?
このあたりの具体的な経緯はちょっとわかりませんが、ゴート王国は完全に征服されたのではなく、ある程度の自治権を持った属国あるいは一方的な同盟国あつかいだったという説もあります。ゴート側にしてみれば予測不可能な略奪を受け続けるくらいなら、物資の供出を伴う臣従でも予測可能なだけまだまし、という選択をするのは奇異ではないと思います。
もちろんその選択を嫌がった者たちも大勢いたわけで、そういった人たちが避難のために西に向かいました。

No1です。
>彼らも騎兵は有していたと思うのですが・・・
についてですが、
まずゴート族に騎兵があったとしても、どうやってフン族の行動を察知して迎撃に向かうかという問題があります。生活圏丸ごと移動する遊牧民は、拠点が固定化していないので捉えること自体が困難です。逆に農耕民であったゴート族は土地を守らなければならないという制約があるため、好き勝手に軍隊を動かすわけにはいかず、どうしても主導権は遊牧民側にいきます。遊牧民側としては、強そうな敵が出てきたらいくらでも逃げて、敵の少...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q日本のミサイル防衛にTHAADが無いのは何故?

【ワシントン共同】米陸軍当局者は26日、米領グアムに配備した高性能の地上発射型迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)が完全な稼働状態に入ったことを明らかにした。との報道です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130427/amr13042709290001-n1.htm
一方日本の場合イージス艦から発射するミサイルとPAC3でTHAADはありません。
日本の場合THAADは無くても良いのですか?


 

Aベストアンサー

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km にある化学圏) に突入してきた最終段階での弾道弾を撃墜する Missile です。

一方、日本が Aegis 艦に搭載している SM3 (Standard Missile 3) 161B Block IA は射程 400km、射高 250km で、先端部が Kinetic 弾頭と呼ばれる高機動弾頭になっているように、空気のない大気圏外での超高速運動能力を持たせたものとなっていて、THAAD よりも高性能な Missile になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Clny6teU5ik&feature=youtu.be

最初に海上自衛隊に配備された「こんごう」の SM3 161B Block IA は高度 160km を飛行する模擬弾道弾の直撃撃墜に成功していますし、現在は日米共同開発になる Block IIA の地上試験を終えて来年に飛行試験、2018 年には現在の Block IA を Block IIA に置き換える予定になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=A6CIu9fRk3k

地上発射型で射程が 200km しかない THAAD では幅数百km 長さ 2000km 余りの日本列島に数十基の発射機を配置しなければならず、何時 Terrorism だの過激な反対運動の前に壊されるか判ったものではないのに比べ、SM3 は部外者など近付けない Aegis 艦の中にありますし、相手国の Missle 発射機から 400km 以内の海域に派遣すれば 1 隻で事足ります。

相手国が日本に向けて発射する Missile の Course は決まっていますので、日本列島近海に配置する Aegis 艦の数も数隻あればよく、既に海上自衛隊は上記「こんごう」型 Aegis DDG (Missile 護衛艦) を 4 隻、次級の「あたご」型 Aegis DDG を 3 隻運用していますので、2~3 隻が定期整備中であっても常時 4~5 隻は緊急配備に就くことができるようになっています。

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km ...続きを読む

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む

Qラテン系ってどこの国の人のことですか?

よく、明るくて陽気なタイプの人のことをラテン系とかラテン気質とか言いますよね。
私は「ラテン系」ってずっと何となく中南米(ブラジルとか?)とイタリア人のことだと思っていたのですが、
先日ここでフランス人もラテン系に入ることを知り、
ラテン系っていったいどこの国の人を指すのだろうと不思議になりました。
(フランス人はステレオタイプのラテン系というイメージではないので……)

はてなのキーワードでは
『イタリア・スペイン・フランスなどの南欧州の文化や人種を指す。
昔、スペインやポルトガルの植民地だった地域も含めて、ラテン系と称されることが多い。』
とあったのですが、具体的な国名はどこになりますか?

ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

正確ではないかもしれませんが、ラテン系言語を主に使用している国かな、と個人的に思いました。

ヨーロッパは基本的にゲルマン系、スラブ系、ラテン系の3つの言語で大雑把に分けることができます。(いずれにせよ、もともとはラテン語からの派生だと思いますけど。)
で、その内ラテン系に入るのが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアetc・・・になります。

これらの国、特にスペイン、ポルトガルは新大陸(アメリカ)への植民も盛んだったので、言語も含めた文化が、今でも中南米でしっかりと根付いてることから、これらの地域も「ラテン系」と言われているのでしょうね。
(ブラジルはポルトガル語が公用語、またその他の中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語です。)

Qフン族の行動はチンギスハンに影響したか

チンギスハンの西征に先立ちフン族はゴート族を追いヨーロッパに侵入し各地を恐怖に陥れました。
しかし彼らは国家を建設する事なく、各地での転戦で次第に戦力の中核であるフン族の戦力を失いアッチラの急死後後退していきました。

この先例の伝承は同じ遊牧民のチンギスハンに何らかの影響を与えたでしょうか?

チンギスハンは「人の間に差別なく、土地に境なし」を信条に一大帝国を建設しましたがその過程はフン族のヨーロッパ侵攻と似ています。
しかし中部ヨーロッパに深く侵攻することなく中途で撤退しました。
これは何故でしょうか?

また彼は帝国を一括して子に残さず、幾つかに分割しました。
これはなぜでしょうか?

Aベストアンサー

フン族の歴史は、諸説紛々です。
ある説によると「フン族とは中央アジア・キルギス高原にいたアジア系
遊牧騎馬民族で、4世紀後半にカスピ海北方経由でドン川を越え、
ゲルマン諸族の東ゴート族を征服(375年)し「ゲルマン民族の大移」
を引き起こした。」とのことです。この、征服により、フィンランドや
ハンガリーの国名が残って、両方とも「フン族の国」の意味とのことです。

1.フン族の侵攻と、チンギスハンの時代とは、あまりにも時代が離れて
おり、直接的な関係はないと思われますが、伝承としては残っていたの
かも知れません。

2.チンギスハンは、モンゴル族や子供たちに多くの土地や、収入源を
残し、権益を守るために侵攻したのではないかとも言われています。
ジャムチなどもありますが、本音では、遠くまで行過ぎたり、時間が
かかりすぎて指揮権や占領地管理が難しくなってきたのでは。

3.そこで、子孫に分割統治させたのでは。分割して国力も小さくなり
現在のロシアの地域などは「ルーシー人」の間接統治を認めたりしま
したが、徴税は、確保・継続していたとのことです。このルーシーが
ロシアの語源とのことです。

フン族もチンギスハンの作ったモンゴル族の元も、アジア・ヨーロッパ
に与えた影響は大きなものだったに違いありません。
以上

フン族の歴史は、諸説紛々です。
ある説によると「フン族とは中央アジア・キルギス高原にいたアジア系
遊牧騎馬民族で、4世紀後半にカスピ海北方経由でドン川を越え、
ゲルマン諸族の東ゴート族を征服(375年)し「ゲルマン民族の大移」
を引き起こした。」とのことです。この、征服により、フィンランドや
ハンガリーの国名が残って、両方とも「フン族の国」の意味とのことです。

1.フン族の侵攻と、チンギスハンの時代とは、あまりにも時代が離れて
おり、直接的な関係はないと思われますが、伝承とし...続きを読む

Q金髪碧眼のヨーロッパ人の由来

北欧、ゲルマン人は、中央アジアにいたアーリア人が紀元前2~3千年前に北方に移動した人々だと聞いておりますが、正しいでしょうか?もし、そうだとすると、中央アジアにいたときは黒髪茶目だったと思うんですが、たった2~3千年の間に、金髪碧眼になったんでしょうか?北欧、ゲルマン人で金髪碧眼でない人々もいるんでしょうか?そのあたりの経緯、進化(退化?)あるいは適応変化について、どのように理解されているのかを、教えていただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

ウィキペディアの転載です。 
(前の回答のときにも書きました。ウィキペディアを探すと自力で簡単に見つかることです)
> 補足確認質問ですが、
> 北ヨーロッパでインドヨーロッパ語、特にゲルマン語を話す人々が住んでいる地域が金髪碧眼人種が住む地域とが良く重なっていますが、これは、高々数千年位の間の人間の交流によるものということでしょうか?
⇒ 混血は一世代でおきます。ヨーロッパは多くの民族、人種が混在?しているかのように住んでいます。一応の棲み分けはしていますが、すぐ隣に住んでいるので、混血はすぐに生じます。数百年もならずに簡単に混血します。また戦争も頻繁にあった(侵入したり侵入されたり)のですから、簡単に短期間で混血します。西洋史、世界史の簡単なレビューをしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%8F%B2
 
> そもそも人種としてのアーリア人(古イラン人、古インド人)は北ヨーロッパにはいかなかったということでしょうか?
⇒ 民族・人種としてのアーリア人の子孫が北ヨーロッパでそれなりの勢力を作ったということはないでしょう。 インド・ヨーロッパ語を使用する民族ならば、ヨーロッパにも広く広がり、北方ではドイツ、スカンジナビアにもいっています。 インド・ヨーロッパ語を使用する民族はアーリア人の子孫と考えるのは間違いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%AD%A6%E8%AA%AC

> ヒットラーのこじ付けで、ドイツ人他はアーリア人種という考えが一般的に通用しているように思われますが、北ヨーロッパ人はアーリア人種ではないということでしょうか?
⇒ 北ヨーロッパ人はアーリア人種ではないです。
(上の通り)
ウイキペディアには、金髪碧眼で一番多いのはリトアニア人となっています。(前回回答)
リトアニア語とラトビア語はバルト語で、現在使われているインド・ヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われるそうです。サンスクリット語や古代ペルシャ語などとの共通点も指摘されているとのことですが、他の言語圏から表現を持って来る(借用する)ことは多いので、人間が集団で移住してきたということにはなりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%AA%9E#.E4.BB.96.E8.A8.80.E8.AA.9E.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
金髪碧眼が多いフィンランドも民族、人種が違います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E4%BA%BA
金髪碧眼が多いポーランド人もある意味人種のるつぼのようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA
 
人種というのはずいぶん魅力的なテーマですが、「○○人は◎◎人の子孫で、その特徴は、、、、である」といえるような簡単な特徴区分けに使える実態はないです。

ウィキペディアの転載です。 
(前の回答のときにも書きました。ウィキペディアを探すと自力で簡単に見つかることです)
> 補足確認質問ですが、
> 北ヨーロッパでインドヨーロッパ語、特にゲルマン語を話す人々が住んでいる地域が金髪碧眼人種が住む地域とが良く重なっていますが、これは、高々数千年位の間の人間の交流によるものということでしょうか?
⇒ 混血は一世代でおきます。ヨーロッパは多くの民族、人種が混在?しているかのように住んでいます。一応の棲み分けはしていますが、すぐ隣に住んでいる...続きを読む

Qモンゴル帝国の滅亡について

チンギスハンが興したモンゴル帝国はなぜあんな大きな帝国ができたのですか。その当時の国はどうして対抗できず滅んだのですか。また、これは教科書にもなかったのですが、なぜあんな巨大帝国が後に滅んだのですか。滅んだ過程がわかる方ぜひともお願いしますむ。中学や高校の教科書で断片的な知識しかなく、ぜひともお願いします。

Aベストアンサー

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。

しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。

また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができ...続きを読む

Qゲルマン系、スラヴ系、ラテン系、アジア系、これらは具体的にどのあたりを

ゲルマン系、スラヴ系、ラテン系、アジア系、これらは具体的にどのあたりを指すのですか?
地域や「・・など」とかではなく、国名で教えて頂けないでしょうか?

Aベストアンサー

>国名で教えて頂けないでしょうか?

ゲルマン→ドイツ、オーストリア、
スラブ→ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロベニアなどの国から東は全部です。全部言うのはしんどいので地図を見たらわかります。おおざっぱに言うと東ヨーロッパとロシアです。
ラテン→これは国が少ないので全部言います。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルそして何故か東に飛んでルーマニアです。
アジア系というのは日本人から見ると中国や韓国を思い浮かべますが、世界ではアラブもアジア系です。アジアはものすごく広いです。アジアは中近東や西アジアや中央アジア、東南アジア、東アジア、極東といろんな地域があります。


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