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映画バトル・ロワイアル2の劇中で‘人の命は平等なんかじゃありません!!‘と竹内力が叫ぶシーンがありますよね。
たまたま日本に生まれたから赤の他人から1億円の寄付をたった一人の為に集めて海外で臓器移植が受けさせられる一方、たまたまアフリカに産まれたため100円の予防接種も受けられず死んでいく多くの子供たち・・・。
自分はどう考えても人の命は平等だとは思えませんが皆様はどう思いますか??

A 回答 (26件中11~20件)

命は平等だけれど、環境も含めて人生は平等ではないと思います。

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正しくて理想としているのは、命が平等であることです。


しかし現実は平等ではない。いまはそれらを平等にする活動をするときであると思います。
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 今までに誰かが命が平等って事を証明したのでしょうか?


多分証明した人はいないんじゃないかな?

 きっと誰かが人の命は平等だって言ったんでしょうね、でも
人の命の平等を証明した人はいないと思います。
何をもって平等とするのでしょう。
おそらく人の命は平等では無いと思う。

 って言うか私は人の命が平等とはどういう
事を指すのか良く解らないですけどね。 
平等というなら平等である事にこした事は無いと思いますが。

まぁ 一方で粗末に扱われる命があり、また一方でとても大事にされる
命もありますが、それを見てほら、不平等だというもの短絡過ぎるような
気もします。
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人それぞれのもつ命は平等です。


1つしかありません。
2つも3つも持っている人はいません。

しかし価値は違います。
生まれた時点で違います。
生まれた国、性別はもちろん、大人になれば職業によっても大きく異なります。

死刑制度を反対する人もいますがそれであれば死刑でなく、
脳死にさせて使える臓器を販売、もしくは提供すればいいと思います。

ちなみに1億の寄付を受けた少女は少女だったからです。
そして番組の作り方がうまいからです。

無職、60歳のオヤジで、酒を飲みまくり、タバコも吸いまくり、
肺ガンや肝臓が悪くなりました。
とかいうストーリーでは寄付はまず集まらないでしょう。
番組自体成り立たないと思いますが。

この少女への寄付も、だったら病院が無料で手術してあげればいいじゃん。
ニッポン放送の再回収に多額の費用を使う無駄金があるなら
ドーンのテレビ局が寄付してすればいいじゃん。
サラ金と生命保険のCMをたくさん流す資力があるならスポンサーになって
あければいいじゃん「お金よりあなたか大切」とかいう偽善ぶったサラ金CMとかもあるし。
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平等であるべきだとは思いますが...


例えば1人を見放して100人が助かるなら一人の命を見放そうと思います。
100歳の人と3歳の子供を同時に助けられないなら、
3歳の子供を助けます。

なので生まれた国によっても違いますが、
その時の状況によっても違うのでは?
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バトルロワイヤルは見ていませんので、事情はわかりませんが、僕は平等だと思います(少なくとも日本では)。

たとえ小、中、高といじめられてても本人の強い意志があれば勉学、趣味、スポーツなどに打ち込んで将来周りを見返すような人になることは十分可能だと思います。実際、成功しているのはそういう人が多いのではないでしょうか?

がんばっている人は周りが見ていて、陰ながら応援してくれていると思いますよ。周りの環境が良くないように思えても、自分の考えをしっかり持てばいいんじゃないかと思います。戦争,政情不安なんかは一生懸命やってきた人の生き方が一瞬にして壊されてしまう、だから避けなければいけない、そういうことだと思います。
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平等ではありません。



命には値段が付いており、その価格も国や年齢などで全然違います。
この世に平等なものなど、ひとつもありません。
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「何に対して」の平等か?によって答えは大きく変わると思います。



法の下では平等です。
一歳の赤ちゃんも、八十歳の老人も、政治家も暴力団員も法の下では皆一つの命です。
機会においては不平等です。
両親の力量、生まれつきの容姿、育った環境によって周囲からの扱われ方が異なります。力が弱い子は教室でいじめられるでしょう、成績の悪い子は先生に差別されるでしょう、ここには平等はありません。しかし、この不平等は良くない事だと人は知っています。
よって、「人道上は平等です」と言えます。

しかし、ここで質問者さんは悩んだのでしょう。金持ち国に生まれた子供と貧困国に生まれた子供では享受できる幸せの量が絶対的に違う、と。何故平等なハズなのに、こんな差があるのか、と。

でも、だからこそ、人の命は平等に扱われる「べき」なのです。理想論だ、と笑うなら笑って下さい。しかしその理想こそが人類をただの殺しあう動物から「人間」へと進歩発展させてきたのです。

だから「今は平等ではないが、平等であるべきもの」が私の答えです。
不平等なのは現実を知っている人なら誰でも分かっています、そこでその現実を受け入れるか、その現実を変えようとするか、それはその人の生き方の問題であって、それを選択する権利は平等です。
(何年生きたかが問題ではなく、生きている内に何をしたかが問題だと私は確信していますので)
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平等という言葉、そのものがフィクションです。

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 それが生きた、命であるという事の前には、保険屋のつけた値段の差や何歳で死んだかなどという事は些細な問題です。


 仮に全てのそういった基準で差のある2つの命があったとして、低いとされた命をわざわざ低く扱う事はないでしょう。

 まあこの台詞の場合のように「命によって人が扱いを変える」と言う点については、主観的評価である以上客観的基準による平等は成立しないと思いますが。
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