A 回答 (17件中1~10件)
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No.17
- 回答日時:
日本がもっと早く降伏しても原爆は落とされました。
降伏なんぞ下手にしたら、白人たちにどれだけ酷いことをされたか分ったものじゃありません。
なんで、特攻隊があそこまで必至に抵抗してくれたか分りますか?
日本人がインディアンのように大虐殺されるのが分っていたからです。
アメリカの歴史、いやユダヤ人の歴史は大虐殺の歴史です。
当時の日本人は全員それを自覚していました。
緩い左翼はよく「勝てない戦争なんかして無駄死にした。」
なんて言いますが、戦わなかったら我々は単に殺戮をされるだけだったでしょう。
こんな簡単なことが未だに日本人は分っていない、いや分りたくないのか?
とにかく、降参して戦後復興なんて概念は、アメリカがまるで素晴らしい国家という洗脳が入っています。
我々は鬼畜国家に負けてしまったんです。我々の末路は決まっています。
No.16
- 回答日時:
そりゃそうでしょう・・・というのが、いわゆる正しい答えでしょうが・・・・果たして・・・
もっと早いとはどの段階でしょうか?
1 ソ連が攻撃する前。
その場合、朝鮮は二つに分裂せず、朝鮮戦争はなく、日本からいろんな工作機械を引き上げられてそのまま農業国として穏やかに塞がれていった可能性はあります。
戦後の復興は、アメリカが客になり、自由に石油が買えてのことですし。
この場合、中国東北部は国民党の手に渡り共産党は勝利せず、東アジアにおいては冷戦がなかったかもしれませんね。
経済とか復興とかいうよりも、人類史が別の時代の可能性があります。
2 ルーズベルトが死ぬ前。
ルーズベルトは日本を農業国にしたかったとか、偏見の持ち主とか、世界中の日本人を日本に閉じこめたとかいうキャラですから、この時点で歴史が変わって、・・ひょっとしてルーズベルトが生き延びていれば、朝鮮戦争はないし、日本を発展させまいと死ぬ前まで活動し続けたのではないでしょうか。
ひょっとしてソ連が参戦していなくても北海道をソ連にやって日本人の人質にしようとしたかも。
3 そもそも日本がなぜ復興したのか?
復興・復旧というだけなら、石炭への集中と朝鮮戦争ですね。
その後の発展は、いろんな制度改革、石油時代、ケインズ経済学、アメリカが市場になった、というところですか。
No.15
- 回答日時:
戦後の日本の経済復興について:きっかけはまさしく朝鮮戦争勃発に伴う朝鮮特需である事は間違いありません。
ただ、もう少し深く考えなければなりません。
日本を降伏させたアメリカの初期の軍事・外交戦略は、もう二度と日本がアメリカにとって軍事的脅威にならないようにする事を第一目標においておりました。
また、敗戦当時の日本の状況(日本全土の焼け野原とか慢性的食料の不足状態とか)は、日本の自業自得と言う視点で捉えておりました。
よって、アメリカの当初の戦略は、戦後の日本は農業国にしてしまおう。再建されて再び工業国家を目指されて再度の強力な軍事国家になぞさせてたまるか!
と言う方針だったのです。
又、アメリカは日本の事を東京軍事裁判でもとんでもない侵略国家である位置づけておりました。
そのアメリカの戦略方針が転換されたのが、朝鮮戦争です。
具体的に言うとソ連の脅威です。
戦前まで、日本の最大の仮想敵国はソ連(ロシア)です。
それはもう凄いプレッシャーです。
何とか日露戦争に辛勝したことにより、かろうじてその圧力は軽減しましたが、それまでは大変でした。
ロシアはもはや本能とも言える不凍港を求める国策を持っております。
時期的には、幕末~明治時代前後にかけてロシアはまずは、亡国寸前の清国の領土にその食指を伸ばします。
国力の衰えた清国には抗えるすべがありません。
また、徐々にではありますが、朝鮮半島にもその侵略の手を伸ばしつつありました。
かろうじて奇跡の明治維新をなしとげた日本ではありますが、日本本土の防衛上朝鮮半島の軍事的安定化は不可欠であります。
この主張については、現在の北朝鮮の軍事的不安定化(核実験の実施とか)を見たら、十分に理解して頂けると思います。
そして、1900年前後の世界の流れはまごうことなく帝国主義の時代です。
食うか喰われるか!敢えてジリ貧のまま現状維持の末に国力が低いまま、その他の欧米の列強の植民地に座してなるか!
或いは、敢えて果敢に飛び出して、悪い事とは知りながらも国力を増強して軍備を整える為に他国に侵略して帝国主義の一翼を担う、そして独立を保持する。
この2択しかありませんでした。
地政学上、朝鮮半島は軍事的に日本以外の軍事的影響下に置かれることは、日本の国防上容認できないことでした。
最低でも日本に対して中立化されていないとどうにも許容できない状況でした。
そこに、日本以外の勢力がその勢力を伸ばしてきました。
清国とロシアです。
もともと、朝鮮は清国に対して臣下の礼をとっておりました。
そこに、ロシアがジワジワと勢力を伸ばしてきた。
本当は清国が当てになればよかったのですが、その当時の清国は正に死に体!でした。
形式的には、朝鮮は清国の勢力圏とも言えそうですが、実際の所、ロシアを食い止める実力は既に持ち合わせておりませんでした。
それにあせったのが日本です。
このまま放置して朝鮮の支配権をロシアに委ねてしまっては次は日本なのが明白だったからです。
日本の一部にも、朝鮮・清国と連合して欧米列強に対して団結して共闘しようと言う動きもあったのですが、肝心の朝鮮・清国がてんで当てにならない。
やむなく日本は単独でその脅威に立ち向かおうと選択したのです。
で、1894年に朝鮮の支配権をかけての日清戦争に勝利。
但し、すぐさま、三国干渉を受ける。ますます、日本はロシアを脅威に感じる。実際脅威であった。
そして、10年後、1904年に日露戦争勃発。かろうじて辛勝。
こにより、ようやく日本は、朝鮮及び、中国東北部(後の満州国)方面に於ける列強(特にロシア)に対して優越的地位を獲得する。
ここにいたり、ようやく日本は自国の軍事的防衛の観点における安全保障を得られることになる。
つまり、言いたいことは軍事的に朝鮮。中国東北部には、日本の軍事的影響下、或るいは、最低でも中立化していないと日本の安全保障は脅かされる。と言うことです。
で、話しを飛ばします(戻します)。
1950年に朝鮮戦争が勃発する。
当時日本を統治しているのは連合軍のGHQです。
具体的には、最高司令官のマッカーサーです。
朝鮮では、ソ連に後押しされた北朝鮮軍が南下して瞬く間に朝鮮半島を占領寸前にまで追い込みました。
アメリカ軍(形式的には国連軍)介入前に韓国の勢力は、釜山周辺のみでした。
ここに至ってようやく、“日本を統治“していたマッカーサー(ひいてはアメリカ)は、実感する訳です。
朝鮮を取られたら日本が危ない!…と……
そこで、慌ててアメリカは朝鮮戦争に介入します。
何とか戦線を朝鮮半島の北の根元にまで押し戻せました。
しかし、今度は中国人民軍が介入してきた。
このまま戦線を維持するのは、厳しい中国東北部(満州国のあったところ)にまで攻め込まないとどうにもらちがあかない。
マッカーサーは当時のアメリカ大統領のアイゼンハワーに要請しました。
このままでは勝てない。中国東北部にまで攻め込む許可が欲しい。そしてできれば中国東北部に原爆を落とす許可を欲しい!と…
でも、アイゼンハワー大統領は、戦場を朝鮮半島に限定しようと考えていたので、不許可でした。
結果、戦線は再度押し返されて、南下を許し現在の38度線を国境として休戦して現在にいたるのです。
(朝鮮戦争後にマッカーサーは考えを180度転換しました。それまでは日本をとんでもない侵略国家と非難してました。でも、その後は日本の朝鮮・満州などへの行軍を”セキュリティ・ウォー”(自衛の為の戦争と訳すか緊急の戦争と訳すか争いはあるでしょうけど…)だったと日本を擁護する立場に転換しました)
尚、朝鮮戦争の時、アメリカは軍事物資の大量需要を求めました。
○これにより、軍需用品をアメリカ本土から運ぶのは容易ではなかった。
そして都合のいいことに焼け野原になったとはいえ、太平洋戦争ではアメリカ相手に健闘した日本ならば、少し手助けすれば、すぐにでも工業用品を生産できる技術やノウハウを持っている。ならば、日本を農業国にする方針を変換して工業化させて対ソ(対共産圏)に対する防波堤に育て上げたほうがアメリカに取り得策である。
○又、在日米軍を朝鮮に援軍として派遣する必要が出てきました。日本本土を軍事的空白にすると対ソ戦を考えた場合まずい。仕方ないので、日本にも自国を防衛できる程度の軍備をさせた方が都合が良い。
と判断した。
いずれも、当時の世界情勢、即ち米ソ冷戦の構造上、アメリカの都合で戦後の日本を再度工業国に仕立て上げよう!
となったのです。
日本降伏が早まっても、日本の復興が早まったとは思えません。
それに、早まった場合、かえって日本の復興は遅れたかも知れません。
日本の降伏はドイツ降伏の3ヶ月あとです。
このときに、もうすでにソ連とアメリカ中心の西側との関係には亀裂を生じておりました。
つまり、ドイツの占領に関してすでに、アメリカとソ連は対立しつつあった。
その延長の結果としてドイツは東西に分割占領された。
その経験を踏まえて、アメリカはソ連が日本を占領することを拒否しました。
ドイツは英米ソが中心になって占領・降伏させましたが、日本に関しては殆どアメリカ単独で勝利して日本を降伏させました。
それゆえ、アメリカは、日本を単独占領したのです。
よって、もし、ドイツの苦い経験をアメリカが踏まえていなかったら、アメリカはソ連の日本の一部占領(北海道とか)を容認したでしょう。
すると、日本は北日本(北海道)と南日本とで分割される可能性が高い。
となると、戦後の日本は北海道抜きの再建となる。
すると、戦後は…ドイツのように45年かけてようやく再統一される。しかし、立ち遅れた北海道を抱え込むことになり、経済的負担がきつい。
その2:現在の南北朝鮮のように軍事的対立構造を抱えたままの可能性もある。
(今頃、北海道がテポドンを発射したり核実験してたりして^^;)
ま、ポツダム宣言を早急に受諾してたら、原爆は落とされずにすんだかも知れません。
私の個人的見解は以上です。
参考になれば幸いです^-^
No.14
- 回答日時:
話はそんなに簡単ではないと思います。
大東亜戦争開始直前の世界は、アジアなど存在せず、少数の列強が支配する植民地ばかりで、植民地では独立を防ぐために愚民化政策が行われていました。支配国の経済を豊かにするために、農作物も強制的に決められ、多くの民が餓死した植民地すらあります。
日本は事実上の有色人種唯一の独立国として、日本がこのような植民地になることを恐れていました。このため、日本の独立を維持するために、朝鮮(日本化)や満州を日本と同様の強国に育て上げ、列強に対抗する戦略を立てていました。軍部の暴走もありましたが、同時に、日本をいつでも植民地にするぞという意味にもとれるハルノートを突きつけれられた日本に、戦争以外の選択肢は無かったかもしれません。。。戦争の是非は別として、一旦戦争を開始すると決めた日本は、全力で戦いを開始しましたが、その目的は、東アジアの植民地の解放でした。そして、愚民化されていたインドネシアやビルマなどに、住民による政治組織や軍隊を3年というきわめて短い期間で、作り上げたのです。
日本が敗北したとき、再植民地化するために再上陸した連合国は、唖然とします。そこには、強力な地元の民による仮政府と軍隊が待ち構えていたのです。そして、数年にわたる独立戦争が行われ、植民地の時代が終わりを告げ、独立の波は全世界に広がります。ですから、ビルマの独立宣言書には、ビルマの独立が日本のおかげであることが書かれ、インドネシアの独立記念日には国旗掲揚に日本兵役の若者が一名参加します。
何がいいたいかといいますと、あまり早い敗北は、このような植民地解放が間に合わず、世界の植民地政策が継続された可能性があり、その場合には、日本自体の独立もありえなかったかもしれないということです。また、日本が独立できても、自由貿易なしに、今の繁栄はありえないと思います。したがって、単純に復興が早くなった可能性はありますが、絶対に早かったとはいえないと思います。
No.13
- 回答日時:
早く降伏していれば、人材も施設もそれだけ失われずに済み、復興も早まっていた。
これは理の当然でしょう。
いちばん残念なのは、原爆投下より先に戦争をやめていれば、ネット右翼に、「米国は広島市民を原爆の実験台にした」などの妄言を吐かせ、居直るような口実を与えずに済んだことだと思います。
No.12
- 回答日時:
もっと早期に降伏しても、戦後の日本の復興の早さには関係がないと思います。
戦後の日本の復興は、朝鮮戦争に国連軍側の基地として、大量の物資の補給が必要で、物資の大量生産から、経済の回復が始まったのです。
アメリカほか連合国は、無条件降伏以外の降伏は認めない方針でしたが、早くから天皇制の維持や賠償金の請求放棄などは決めていました。
また、No.11の方がソ連との単独講和に触れていますが、日本は打診したもののソ連は連合国の一員であり断られています。ソ連は防衛上、日本と陸続きで国境がある状態を避けたかったために1945年8月8日に参戦したのだと思います(満州国と朝鮮半島は事実上の日本領でしたから)。
ただ、早期に無条件降伏していれば、ソ連とは、領土問題だけでなく、貿易も自由にできていた可能性は否定できません(冷戦と無縁だったかもしれない)。その意味で復興に関係があるかもしれません。
No.11
- 回答日時:
その想定自体がかなり困難なんですが、もしできたとしても連合国のどこかの国と単独講和になるでしょう。
連合国内からすれば裏切り行為でもあるわけです。講和を結んだ国とともに、他の連合国から攻撃される可能性も高いですね。
たとえば日本とソ連が単独講和をしたとします。少なくとも昭和19年後半には、冷戦構造の伏線はできていましたから、西側連合国との対立は避けられず、日本は早々分断したかもしれません。
状況はことなりますが、イタリアは連合国とドイツによって南北に分断され、そのまま国内が戦場になりました。まあこれは枢軸国と連合国の戦闘の延長ですから、戦火が及ぶのはあるいみ明らかです。
米ソはまだこの時点では共同して戦争を遂行していますので、すぐさま戦闘にはならないでしょうけども、いずれ戦火を交えることは明らかであり、朝鮮半島のような状況になったのではないでしょうか。
No.10
- 回答日時:
ポイントは、
憲法改正、軍隊の解散、華族制度の解体、財閥の解体、農地解放です。
余力を残して講和条約を締結すると、とんでもない復興の仕方になります。
最初から最後まで、原因は陸軍の暴走にあります。
初戦で停戦命令を無視して満州に深く入り込みんだ。
講和を結んだ場合、内閣閣僚の全てを銃殺してでも条約を無効に変え、戦争を遂行さようとするのは明白だった。
その為、講和を言い出せず、陸軍が納得するまで国家及び帝都が焦土と化する必要があった。
しかし、これでも陸軍の一部は決起する恐れがあり、
核爆弾の投下と、天皇直々の放送をしなければならなかった。
#8さんのおっしゃる通りで、
講和したくても出来ない状態です。
したとしても戦争は止まりません。
サイパンは絶対防衛圏。
フィリピンで特攻を始めた頃はフィリピン島決戦。
特攻開始。この時点までは、行け行けムードで講和は出来ません。
止むを得なかった。
これは、そうするしか無かった。
他に方法が無かった事を表します。
何故こうしなければならなかったのか?
こうなったのか?
この理由をつきとめる場合、
(歴史を深く理解しようとする場合)
「もし」これは重要だと思います。
No.9
- 回答日時:
日本の戦後復興があれだけの速さで出来た一つの要因に大陸へ渡り帰ってきた、つまり引き上げてきた人々が、その大陸で多くのことを経験し学んだからだ、という考え方があります。
もし早期に降伏していればその人々の帰れる可能性が低くなり、あれだけの戦後復興は出来なかったと思います。『歴史に「もしか」はありません。全て、事実から過去を学ぶ事が重要です。』という意見について、過去に起こったことを教訓とするとき、その起こったことだけを伝えて本当に物の役に立つでしょうか。それがそれと全く同じ形で起こらなかった時の事を考えてこそ、将来の何かしらの判断材料となるのではないでしょうか。比較検討することで、人はより正確な判断を下すことができます。ですが歴史は全く同じ条件下で物事が起こることはありません。そうである以上、「もし」を考えなければ比較をすることはできないのではないでしょうか。
現在の軍であっても全ては「もし」を考えて作戦を立てます。「もし」を考えなければ自らが敗北するからです。歴史とは将来に判断基準を与えるものです。その基準となるものがただ事実だけを伝え羅列しているのであればそれは単なる時間の流れをあらわす表でしかありません。「もし」を考え比較検討の余地を作ることではじめて歴史を学ぶことが有益となるのではないでしょうか。
No.8
- 回答日時:
歴史に「もしか」はありません。
全て、事実から過去を学ぶ事が重要です。
従って、個々の人の立場で勝手な事が発言されるだけですので、質問する意味がありません。
「推理ごっこ」ならかまわないでしょうが。
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