2024年に成し遂げたこと

 歩き出した。切る、切る、風を切る。体内にたまった夜の空気を吐き出し、今、深呼吸。
植物達が作り出す酸素という名のジュースを一気に飲み干す。肺胞から血管をめぐり、足の爪まで全身を駆け巡る感じがいい。ひとつひとつの細胞が次々と目も覚ます。うーんと伸びをする。まだ地平線あたりで助走をつけている最中の太陽に向かって。

A 回答 (15件中1~10件)

いろいろな批評が出ています。


書き出し部分の批評としては十分ではないでしょうか。
また何行か書いたら批評してもらい修正するのですか、
そうやって出来た作品に果たして、魅力はあるのでしょうか、
出来たとしても、当たり障りの無い、平均的なものでしょう。

小説は誰かに読んでいただくものです、貴方は御自分の作品に、そんなに自信が無いのですか。
自信が無いものを書いて誰かに読ませようと思っているのですか。
あんまり、良い評価が無いので、ホッポリ出しましたか。

人の意見を聞くのは良いことですが、
まず、自分の納得できる作品を完成する。
評価はそれからの話だと思います。
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近所のスナックで、化粧がやたら濃くて妙に太っている、自分は歌がうまいんだと根拠なく信じ切っているオバサンのカラオケを無理矢理聴かされ、拍手を強要されているような気分になる文章です。

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#12です。


体言止めはよくみたら1つしかないですね。
失礼しました。
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(1)小説というより詩のようです。

こういうのは、よほど上手くやらないと冒頭から読者がひいてしまい、続きを読んでもらえないでしょう。
(2)体言止めが多すぎます。
(3)「次々と目も覚ます」は、「次々と目を覚ます」の方が自然ではないでしょうか。それとも何か意図があって「も」にしたのでしょうか。だとしても、その意図が読者に伝わってきません。

……なーんてエラそうに意見なんてしちゃいました。
私も小説を書いています。お互いに頑張りましょうね。
ではでは。
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続きを読みたいと思えないです。


なんだか文がごちゃごちゃしていて、伝えたい雰囲気はわかるんですが。簡潔な感じの文なのかとおもいきやそうじゃないので読みづらいですね。
(でも質問者さんのタイトル、批評お願いします。「自作小説の書き出し部分」 は目をひきましたよ~
 
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#9さんのアドバイスも、いいですね。

実際の名作で見ると、「我輩は猫である」にしても「雪国」にしても、私が申し上げたように、ポイントとなる“言葉”を早々に出していますね。しかも簡潔に!

書き出しは作家がかなり気を遣うところとか?読者をぐいっと引き込む書き出しが必要でしょう。

とはいっても、思案して力んで書いても訴える力は余り無いでしょうね。自分が、自分の描こうとしている虚構の世界に没入して、自然と言葉が溢れ出てくるような文体が、読む人も引きつけるのではないでしょうか?


えらそーなことを書いてすみません!
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 あなたには才能もあり、なおかつ自信たっぷりらしいので、いささか


辛口の論評がふさわしいでしょう。勇気をもって再出発しましょう。
 現代文学の課題は、現実に即したリアリティと、普遍的合理性です。
 
>体内にたまった夜の空気/植物達が作り出す酸素という名のジュース<
>地平線あたりで助走をつけている最中の太陽<
 いまの生物学と天文学にそぐわない、ひとりよがりの解釈ですね。
 
 まずは、夏目漱石の《吾輩は猫である》を参考にしましょう。
「吾輩は猫である。名前は未だ無い」という文型は、つぎの基本形です。
「AはBである。しかしCではない」Cは意外性の提示です。
 
 かならずしもノーベル賞受賞作が優れているわけではありませんが、
川端康成の《雪国》は、近代日本小説の書き出しを論じる上で、重要な
な作品です。つぎのレビュー・コメントがとても的確です。
 
── 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という「雪国」
の書き出しは、英語では the train を主語にするという。英語による
表記に基づき、絵を書かせると英語話者は飛ぶ鳥が汽車を見下ろしたよ
うな絵を書くという。
 
 日本語の原文は、鳥の目ではなく、「私」という虫の目から見た情景
とそれに触発された気持ちの表現である。私が歩いていようが汽車に乗
っていようが同じだが、歩いてトンネルを抜ける人は普通いないので、
汽車にのっていることがおのずから分かる仕掛けになっている。
 
── マタギ 山中《虫の目、鳥の目、神の目, 2004/02/01 》
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582 …
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#3です。

#7さんの批評が一番、正鵠を得ているように感じます。

小説を志す人が少なくなってきている時代ですので、批評を栄養として吸収し、成長してください。

私の個人的好みから言えば、最初の1~2行のうちに、小説のポイントとなる言葉を登場させたほうがいいかも・・・。人名、地名、モノの名前ですね。
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 酷い物言いになってしまいますが、続きを読みたいとは思いません。


 
 特に2行目前半です。
行動のニュアンスを表す為の文ではなく、「俺、こんな表現出来るんだぜ」と言いたいが為の文ですね。
それとも植物が主役ですか? なら面白いかもしれませんね。助走する植物には皮肉でなく興味を覚えます。

 作者が文章に見えてしまったらその小説は終わりです。それをやりたいなら詩を書くべきです。
何十ページ、何百ページもこんな比喩が続くと思うとうんざりします。
 読者が読みたいのは作者の顔ではありませんし、実の所文章でもないのです。
文章の向こうに拡がる世界であり、更に言えばそこに生きる人々です。

 書き出しと言って載せるなら、少し長くなっても読者を掴むポイントをしっかり入れてください。
「歩き出した」という書き始めはちょっと良いのですが(これだけで改行した方が引き締まるかと思います)、そこからカメラが余計な所にパンし過ぎです。
夜明けを示す絵を一枚入れたなら、一気に彼(彼女?)を動かしてしまった方が良いでしょう。出来れば彼がどんな人物であるか動作でさりげなく示す事です。
 ここで彼に興味を持たせる事が出来たらあなたの勝ち、出来なければ負けという作者と読者の勝負がこの書き出しではないでしょうか。妙に足早に歩きながら深呼吸するナニモノかがいるだけでは弱過ぎますよ。
植物や太陽に興味持たせてる暇はないのです。

 それでも思うようなインパクトが出せないなら、プロローグ全部カットで事件から始めてしまうのも手です。
その辺は一概に言える事ではありませんが、「途中から書き始めよ」と言う言葉もありますから。いきなり読者を巻き込める所から書き出せという意味です。

 と、まあ偉そうに言ってしまいましたが、もし全部書いてないならまず書き上げた方が良いですよ。スタイル次第ではありますがちょっと書いて推敲、とやるとまず進まなくなります。
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よいと思います。


体の中からエネルギーが沸いてくる歓びが伝わってきます。

ただ、正確な表現をしようとしすぎて、ちょっとくどく感じる所があるかな…。
個人的な好みが入りますが、ちょっと小姑的な意見をば。

・「植物達」の「達」は要るか?
・「駆けめぐる感じがいい」だけ主観なのでやや違和感が。体言止めの方がいいかな。
 「駆けめぐるこの歓び」とか「この感触」とか。
・「目も覚ます」は「目を覚ます」?
・「地平線あたりで助走をつけている最中の太陽」はややくどい。
 「地平線上で助走をつけている太陽」とか「地平線あたりで助走中の太陽」とか?


「こうしろ」ということではなく、もう一度読み返して考えてみて下さい、ということですので念のため。

(でも、いちいちこんな細々したこと考えてると進まないので、勢いでば~~っと書いた方がいいような気もします。プロの小説だって、違和感のある表現なんてそこら中にあるし…。)
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