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変な質問ですみません。
僧侶神官と武士ではどちらが身分的には上だったのでしょうか?
江戸時代の宗教家の地位はどんなものだったのでしょうか。

例えば、
日光門主・宮門跡と御三家
宗派の管長・大僧正クラスと国持ち大名
大名家菩提寺の住職・神主と家老
農村集落の寺の住職とその地域の代官
ではどちらが上座(立場が上)に座ったと考えられるでしょうか?

ご意見を伺えれば幸いです。

A 回答 (2件)

武士と僧侶・神官は支配系統が異なりますので一概には言えません。


また実際に大名と僧侶神官が席次をもって同席するような機会はめったにありませんでした。
まず、僧侶についてはそれぞれの僧侶の地位は本山が支配しており、非行などがあった場合は本山が住職の地位や僧籍を剥奪しました。
ですからそれぞれの宗派の本山であれば大名とは同格とはいえますが、戦国威厳のように独立した権力をもっているわけではなく、経済的にも援助してもらっていましたので実質的には領主には逆らえませんでしたし、逆らえと支障もありました。。
上州小幡藩の織田家の菩提寺だった宝積寺で住職交代時の祝宴で旧領主の小幡氏が1位、在地の旧領主の小柏氏が二位、領主の織田氏が三位だったので、怒った織田信友が廃寺となっていた寺を再興して菩提寺を移したというような事件もありました。

輪王寺宮(日光門主)と御三家では、輪王寺宮はたいてい一品で御三家は極官でも三位ですから名目的には輪王寺宮が上ですが、将軍への年賀の拝謁でも日が異なりますので御三家の当主と宮門跡が同席することはありません。
農村集落の住職と代官では、もし住職が僧位・僧官をもつほどの僧侶であれば代官より上位だったでしょうが、そうでなければ下位ではなかったでしょうか。

神主については由緒ある侍史じゃの神主であれば朝廷から官位をもらっていましたので(実際は吉田家が出していた)、そういう官位をもつような神官なら無位無官の武士よりは上位になったと思われますが、これも実際にはケースバイケースでなんともいえません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
神官も朝廷から官位を貰っていたのですね。

お礼日時:2005/10/02 22:17

僧侶神官は「寺院法度」で定められた制度では朝廷管轄の特殊身分にあたりますから名目上は武士よりは上になります。

寺社奉行も寺社におけるトラブルや寺領を管轄はしますが、支配権はありません。

そもそも仏教自体が、朝廷が権力の上に据えるものとして招聘・帰依したものです。
「出家」は身分制度から脱するもの(実質的には貴族天皇家をバックから支配する院政の構造があった)であり、また神社の方は天皇家の祭祀であるから当然と言えます。

ただしこれら身分とは別に、実質的な権力の位置付けは各寺社の「社格」「寺格」「寺社領」、また個々の僧侶神官の出自によって変わります。
門跡(貴族出身者による創始・継承寺院)と密接な寺が武家出家者の創建寺院より上なのは当然ですが、茶坊主千利休などは境の商人でしたから太閤の師とされながら最終的には処分される、というような関係もあったわけです。
逆に天社・国社以外の位の低い地祇雑祀社では、身分は代官より上でも何の権力もない事があります。

日光山輪王寺も創建は天台であり江戸期も宮家が宗主でしたから、当然名目上は御三家などより身分は上(東照宮も立場上は輪王寺が祀ったもの)。
したがって将軍家といえども天海僧正を捻じ伏せる大義名分は存在しなかったという事になります。

参考URL:http://www.bakusin.com/sikumi.html
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
とてもよく分かりました。

お礼日時:2005/10/02 22:18

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