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徳川家の旗本のうち、大身の旗本というのは、大体、何石以上の旗本を指すのでしょうか?

A 回答 (4件)

どこからが大身かというボーダーラインは、なにもきまりはないのでそれぞれ考え方にもよりますが、一万石以下の幕臣の場合は三千石以上は無役の場合は寄合に、それ以下は小普請でしたから三千石以上を大身というのもひとつの考え方です。


ただ、寄合と小普請のどちらに入るかは、家禄以外の要素もありますが。
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この回答へのお礼

寄合か小普請かの違いですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 17:13

一般的には3000石以上が大身の旗本と呼ばれていると思います。



3000石とは、物の豊かさや価値観の違いなど、いろいろ考慮すべきことはありますが、現在の価値にするとどのくらいかと言うと、、、、

1石は重さ約150キログラムです。
現在のお米の価格を10キログラム3,500円とした場合52,500円です。
すると、3000石は、年収1億5750万円になります。

別の考え方として、、、、
1676年(延宝4)の1石当の米価は銀58匁5分(約銀60匁)です、銀60匁=金一両ですので、3000石=約3000両になります。金一両はいくらかというと、これも一概に現代の価値に換算できませんが、江戸後期の庶民の年収は20~30両といわれています。そして現在のサラリーマンの世帯あたりの年収は600万円前後とした場合、金一両はだいたい20万円位の感覚ですね。
そこで、3000石は年収6億円になります。この計算方法でいくと、米価が高騰していた時期だと、例えば、1859年(安政6)安政の大獄の年は、銀121匁5分ですので、先ほどの計算でいくと約3億円になります。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J004.htm

いずれにしろ3000石は、現代人からみると大金持ちに見えますね。

ただし、3000石とはいっても飢饉・凶作などもありましたし実際は3000石もなかったと思います。

参考URL:http://www.shizuoka.info.maff.go.jp/nousei/data/ …
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この回答へのお礼

教えていただいたHP、大変、興味深いものでした。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 17:15

追加補足しますと、軍役では三千石から小馬印が許されていました。

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 はっきりこれ、とはいえませんが、だいたい千石以上を云うのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

1000石。
これが最低ラインだろうとは私も考えていました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 17:09

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5000石 103人(騎士5、侍9、槍持等89)

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1000石 24人
3000石 45人
5000石 75人

 ●拝領屋敷地(元和6年(1620年))
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