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危険な外様大名は遠方に
安全な譜代・親藩は近くに配置?
えっ!逆じゃん?
「何するかわからん=危険」な外様は近くに置いて常に監視し反抗を防止する。
親藩譜代は信頼がおけるから監視の薄い遠方に置いても反抗の可能性は薄く大丈夫。
こう考えるのが自然かと・・・。
理解不能です。教えてください。

A 回答 (6件)

当時の交通手段では遠方に領地があれば攻め上るのが大変で、日数もかかります。

 この間の兵糧の確保も大変です。

徳川幕府の防衛を考えると交通の要衝(大阪、名古屋など)に有力な親藩を配しこれを援助する譜代をその近辺に配置することで戦時の動員を容易にしたのです。

また危険視される外様大名の隣国には忠誠心のある強力な外様大名を配置し、牽制しました。
薩摩に対して細川を肥後に、黒田を博多にその隣に監視の為譜代の小倉藩を置いています。

また長く同じ領地に置くことを避け国代えを頻繁に行いましたし口実があれば改易を断行したのです。

参勤交代は外様大名の財力を使い果たす為に考えられ遠国の為費用が莫大で、各藩の経済力を費消させました。
譜代大名はおおく江戸定府なのでこの費用はかかりませんでした。
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皆さんのご回答の通りだと思います。



ただ、実現はしませんでしたが、江戸初期に長州毛利家を肥後熊本あたりに国替えして、長門・周防・豊前の三カ国に御三家クラスのいずれかを西国の押さえとして配置しようという動きはあったみたいですね。
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有力外様大名(島津、毛利、伊達など)をそれぞれ遠隔地に置いて連携を妨げるという意味も大きかったと思います。


幕府成立時の徳川家の力がまだ不確定で彼らを遠国に置き、江戸の周囲と江戸への街道の要所々に譜代大名を配した結果、自然に外様。譜代の遠近分布になったと思います。
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栃木は東京から見て遠方でしょうか?


栃木県黒羽町はかつて外様大名大関氏の藩がありました。

> 危険な外様大名は遠方に
> 安全な譜代・親藩は近くに配置

はっきり言ってウソです。

外様大名は、徳川の支配が及ばない地域です。
親藩は一門衆、譜代は戦国時代からの家臣団若しくは類する大名、外様は降伏したり傘下に降った大名です。
薩摩・仙台・長州は徳川以前より彼らの支配地域であって手出しが出来なかっただけです。
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親藩を近くに配置するメリットはある。


外様を遠方に置くデメリットを解消するために、しょっちゅう大名のロケーションを入れ替えて、外様同士を連携させないようにして、孤立させていたんでしょ。
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信頼できるの遠くにおいて危険なの近くに置いたら盾になるのがいないじゃないか。


そんなこと少し考えたらわかるだろ。
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