
「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説という内容の本を読みました。
つまり、実際の坂本龍馬が歴史上果たした意義、さらには龍馬自身の人物像は、司馬遼太郎の誇張によるところがかなり大きいとういう内容です。
実際、司馬遼太郎本人も
『あれは僕の竜馬なんだよ。「竜馬がゆく」は小説だから、史実の龍馬と区別するために「竜馬」という字を使ったんだ。』
と対談集で言っていました。
この「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説を知って以来、「竜馬がゆく」をそのまま信じて
「坂本龍馬が薩長同盟を締結させた。」
というのは間違った歴史観だと思えてきました。
小説のように龍馬が日本を救うための薩長同盟をひらめき、薩摩も長州も嫌がっているのに、ムリヤリ同盟締結をしたのでしょうか?
薩長同盟は少なくとも西郷と桂に代表される実質的な指導者層が必要性を感じていなければ坂本龍馬がいくら周旋したところで成功はなかったでしょう。
やはり薩摩もしくは長州に同盟に意志があり、同盟締結のための一つの手段として龍馬を使ったという方が納得できませんか?
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
事実として明治維新後、坂本龍馬の名前はほとんど知られていませんでした。
日露戦争の時、昭憲皇太后の枕元に白装束の武士が立ち「私は魂を海軍の上に宿して、必ずロシアに勝利させます」と言上したという逸話があり、時の宮内大臣田中顕光(土佐出身)が「それは坂本龍馬である」と語った話が新聞に報道されてから、名を知られるようになりました。では、龍馬が風評伝説の中だけの人物なのかといえばそうともいえません。実際に薩長同盟締結の裏書もしているのですから、相当のポジションにいたことは疑いがないと思われます。
西郷と龍馬は親しく、西郷に関する記録にも龍馬の名前が度々出てくるようですが、薩摩のもう一人の大立者、大久保利通と龍馬は面識が薄かったのか、あるいは仲が良くなかったためか、大久保に関する記録には全く龍馬の名前が出てきません(確か『大久保日記』の某日に「土州坂本某来る」と書かれているのが唯一の記録だった、と記憶します)。
維新後、西郷は政権中枢から外れ大久保が壟断するようになって行きましたから、維新の功績を評価する場面でも自然に龍馬の名前も出なくなってしまったのではないかと想像します。
『竜馬がゆく』のすべてを鵜呑みにすることはもちろんできないと思いますが、坂本龍馬が薩長同盟締結の重要なキーマンの一人であったことは否定できないのではないでしょうか。
No.6
- 回答日時:
長州征伐に参加した薩摩に対して、長州側は猛烈な反感を持っていました。
そうした長州藩庁の薩摩憎しの感情論がうるさい中で、現実的な視野から、薩摩とのタッグを推進したのが、長州の桂小五郎です。
薩長同盟の交渉でも、この長州の藩庁によるアンチ薩摩の感情論の激しさから、交渉役の桂小五郎は薩摩の西郷に、「まず薩摩は長州への過去の誤りを認めるように」としきりに言います。
が、当時の力関係では薩摩の方が圧倒的に上なため、西郷はそんな条件はのらりくらりとかわして交渉は進みません。桂小五郎、このまま同盟を結べば、長州はずっと薩摩の下風に立つ事になる、これはさすがに同盟締結の結論は見送りに、と心に決めた時、登場したのが土佐の坂本龍馬。
坂本は長州のメンツを潰す事なく、薩長同盟を結ばせるべく、薩摩の西郷に、「薩長同盟を薩摩から申し出る形にするように」アドバイスします。西郷とて、このまま同盟の交渉が決裂するのは望ましくない。
この坂本のアドバイスを受け入れた西郷の方から薩長同盟を申し出る事で、桂も長州藩庁への申し訳も立ち、メンツも潰されずに済む、こうして薩長同盟締結となったといいます。
西郷と桂の高度な政治判断、停滞した交渉に適切な落としどころを提示した坂本の働きによる薩長同盟ですが、薩長の対立は遂に昭和20年の敗戦まで後を引きます。陸軍(長州)と海軍(薩摩)の反目は、海軍が昭和19年の台湾沖航空戦の幻の戦果が幻である事を陸軍に伝えず、陸軍はその戦果を信じてレイテ戦に突入した、はたまた陸軍の東條首相は海軍による真珠湾攻撃の詳細について、その1週間前まで把握できていなかった、などなど。
No.4
- 回答日時:
ついでに言うと、外交は昔も今も、それが成功するにあたっては背後の国内・
国外情勢の動向というものを、決して排除することができません。
互いの外交官がどれだけ優秀で、また懸命に努力しても、同盟や協力といった
ものは、環境が整わないとできないことが多いのです。
例えば日露戦争前に、大国ロシアとぶつかることを恐れた伊藤博文は、ロシア
に出かけて日露の同盟を模索し、また交渉相手であったロシアの実力者ウィッテ
もその構想に賛同していたのですが、結局ロシア・日本ともに内部を説得できず、
その構想は流れてしまいました。
一方、当時の最強国であったイギリスは、どの国とも同盟を結ばずにいたの
ですが、そのイギリスがまだ先進国とも言えない状態であった日本と日英同盟
を結んだことは、近代外交の奇跡といってもよいかと思います。
当時の外務大臣であった小室寿太郎はそれなりに優秀でしたが、彼の外交手腕
だけで日英同盟が成ったわけではなく、ロシアの極東進出を食い止めるために
同盟を結ばなくてはならない思惑がイギリスにあり、また日本もイギリスの
協力を必要としたからです。
このように、外交の問題を論ずるにあたっては、外交当事者の能力だけでは
なく、背後の国内・国外情勢を総合的に判断して評価することが、重要では
あると思います。
No.3
- 回答日時:
薩摩の西郷には、以前から明治維新に至るまでの大まかな構想をもっていたようです。
(出典は忘れましたが、たしか『代表的日本人』(著:内村鑑三)だったかと)
すなわち、幕府を倒すには長州と手を組まなくてはならないが、尊皇攘夷で
過激な状態ではどうにもならない。
よって、まずは幕府と手を組んで長州藩をいったん叩き潰し、その後長州藩と
手を握って、幕府を打倒すると。
そして禁門の変・第一次長州征伐と、ほぼ西郷の構想どおりに事が進みます。
しかし、このままでは幕府の天下は安泰のままです。
そこで、当初の予定どおりいったん叩いた長州藩と手を結ばなくてはならない
のですが、既に薩摩憎しの感情で凝り固まっている長州に対して、薩摩が直接
交渉することは、ほぼ不可能な情勢でしたが、そこで仲介役として登場する
のが、土佐藩を脱藩した坂本龍馬と中岡晋慎太郎でした。
彼らは別に西郷の命令を受けたわけではないのですが、第三者的立場にいた
坂本・中岡の目から見れば、同じ反幕府勢力である薩摩と長州が手を結ばないと、
維新回天の大業を成すことができないのは明らかであったからです。
また敗戦につぐ敗戦でボロボロになっていた長州藩は、外国からの武器の購入も
禁じられ、単独で藩を立て直すことはほぼ無理でした。
どんなに薩摩が憎くても、どこかで妥協しなくてはいけない情勢であったわけです。
実際の同盟交渉では、薩摩と長州は戦争していた間でしたから、それぞれの
藩の立場というものもあり、すんなりとは進みませんでした。
このあたりの紆余曲折の事情については、『竜馬がゆく』の記述をほぼ信じて
問題ないかと思います。
また同盟締結にあたっては長州過激派と信頼関係のあった中岡と、ビジネス
も交えながら互いの感情の刺を抜いていく坂本の外交手腕が果たした役割は、
決して小さいものではなかったと思います。
もちろん見方を変えれば、坂本と中岡を薩摩と長州がうまく使ったと言うこと
もできますが、この二人が薩摩ないしは長州藩の指示で動いたという形跡は、
私の知る限りではないようです。
No.2
- 回答日時:
坂本竜馬が長崎の武器商人とルート持ち、長州は武器欲しかったが方法がない、薩摩は長州なくなると幕府が権勢盛り返すので避けたい事情があった。
長州薩摩間で調停に当たったのは中岡慎太郎だが互いに面子もあって桂と西郷は納得しなかった。
坂本竜馬が最後に背中押すのに役立った(薩摩の名義で長州の武器買うことできた)とはいえるでしょう。
>ムリヤリ
そうではなく薩摩にも長州にも利点多かったわけです。
江戸時代は幕藩体制といわれるように幕府(中央政府)と藩(地方政府)の2重体制。徳川(幕府側)が優勢なのは東国で、西国は朝廷の影響力強かった。
No.1
- 回答日時:
長州側には禁門の変で孤立していましたから薩長同盟には大きなメリットがありました。
ですから指導者層としては必要性もわかっていたでしょうが、禁門の変で薩摩と戦った一般兵士の間には薩摩に対するしこりがあったのはたしかです。薩摩にも同じような感情はありましたが、指導者層としてはメリットがわかっていたはずです。
ですから、どちらも嫌がっていたというよりは嫌がる勢力があったにもかかわらず指導者層に説得したということでしょう。
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