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過去の質問も見ましたが、わかりません。
私は高校2年の理系の男です。
自分ではしないよりはしたほうがいいと思うのですが(日本の文化に触れるため)、理系にとって、また時代のニーズからしても他にやらなくてはいけないことはたくさんあると思います。
なのに古文、漢文に補習いれて週に3、4時間も費やし更にこれを大学受験で扱うということに軽い反感を抱いています。
ありきたりな質問ですが、結構悩んでいるのでご返答お願いします。

A 回答 (10件)

最近思うことなのですが、


抽象的な概念に関する用語の理解力に劣る人が増えてきたな・・・と感じます。
知らない用語に出会っても、初歩的な漢文の素養があれば簡単に理解できるだろうにと思うのですが。
理解力が劣るということは、造語力にも欠けるということでしょう。
そうなると、先端的な学問を行っている人が新しい概念を世に提唱しようとしても、
その概念を他人に伝えるのに多くの言葉を費やさなければならないということになります。

幕末に司馬凌海(だったかな)という医者がいたそうです。
藪医者だったのですが、維新後は翻訳家として活躍した人です。
実話か作り話かはちょっとわからないのですが、その人についての話です。

戊辰戦争時に、アメリカの軍医が野戦病院の手伝いにきてくれました。
最先端の西洋医学を身につけた医者が来たので、野戦病院の蘭方医たちは
「勉強の絶好の機会」と思い、臨床講義をしてもらいました。
そのとき英語に堪能な司馬凌海が通訳をすることになりました。
ところが、臨床講義ではそれまでの日本の医学では使わなかった用語がどんどん出てくる。
そのとき、司馬凌海はその場で訳語を漢語で造語していったそうです。
それがまた、すんなりと生徒の蘭方医たちは理解していったそうです。
翻訳者と生徒たちに、共通の漢学の素養があったから可能だったのでしょう。
(ついでに言うと、現代の日本で、「経済」のような割と新しい抽象的な概念を、外来語でなく、
 漢字二文字で表現できるのは、幕末明治期の漢学の素養のおかげだと思っています)
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この回答へのお礼

全員に返答できなくてすみません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/12/16 22:47

人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり(荘子)


ってことです。

漢文は短期間に成績を上げられる一番オイシイ分野ですけどね。
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> 理系にとって、また時代のニーズからしても他にやらなくてはいけないことはたくさんあると思います。



すごーく簡単に言ってしまいますと、「時代(現代)のニーズ」もありますが、「昔からずっと、今でも継続しているニーズ」ってものがありまして、古文や漢文はそこに依然として入っています。西欧圏だとラテン語なんてのがそれにあたるのですが、専門でなくても、今日本の中学・高校で古文や漢文を学ぶ程度の基礎知識は学びます。理系でも。

高校までに接する文章や資料ではほとんど感じられないかもしれませんが、大学や実社会に出られたときには、思っていらっしゃる以上に古文や漢文が入ったものや、素養がないと理解できない文脈に出会います。理系でも。「いづくんぞ」なんて言葉、漢文の教科書でしか見ないと思っているでしょうが、ごく普通に出てきますし、係り結びの法則だって、使えないと恥ずかしい目に合います。本当ですってば(^^;

「古文・漢文は、現代文の基礎」と考えられたらどうでしょうか。理系でいらっしゃるなら、例えば物理や数学で「今は難しいから説明しない。とりあえず暗記しとけ」と教師に言われるような部分があったかと思います。後にそのところを理解したとき、ああそういうことかとなるわけです。現代文だけ知ってりゃいいというのは、言ってみれば暗記だけで終わってるようなものです。

言葉というのは文化そのものなのですが、学問も言葉で表記されます。理系でも(←しつこい)。文化は(遠い昔のものとして)触れるものではなく、今どっぷり浸かってるものですから、大学受験のレベル程度ならやって損はない、無駄じゃないと思います。

少し年上として経験からアドバイスするのですが、言葉の常識って馬鹿にできないですよ、本当に。クイズ番組などを観ていて感じられることもあるかと思いますが、知らなくて当然って開き直れるほど、世間の常識レベルは低くないようです。え、これ知らないの、って雰囲気になると、一気に知的イメージが崩れますよね(^^;

このことは、まだまだ当分の間は続くと思われますので、軽く反感持ちながらも、軽くやっておくことをお勧めします。
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理系ですか?


理系だから、「古文漢文は必要ない」と思うのは目先のことしか考えていないという指摘が先の回答者さんからありました。確かに私もそのように思います。
あなたは、「理系だから文系科目の英語や現代文は必要ない」と思わないですよね?なぜですか?目先の大学入試に課せられているから?
これも他の回答者さんからありましたが、あなたは「文系の生徒に数学や理科科目(生物や地学など)は必要ない」と思いますか?
何人もの回答者さんが言うように、日本人としての素養・教養・基盤とも言えるものだと思います。
いろんな栄養素を吸収し自分のものとして熟成させ、そこに自己の哲学を培う。その上での科学の発展に確固たる信念で望めるのではないでしょうか。世界の、日本のトップクラスの人たちは、自己の哲学をしっかりお持ちです。
回答になっていないかもしれません、私の言いたいことの端緒に過ぎませんが。
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私も一応、理系人間ですが、古文・漢文を大学受験で扱う意味はあると思っています。



古文や漢文の中には、故事成語などの元となっている話も多く、教養として学んでおいて、損はありません。特に昨今の理系大学は、一般教養をとらなくても卒業できるところが多いと思います。ですので、大学受験で勉強しなければ、勉強する機会なんてありませんし、大学を卒業し、いざ社会に出た時に「無教養者」のレッテルを貼られても仕方がないと思います。逆に、理系文系を問わずこうした方面への理解や知識が深ければ、「この人、知識人だな。」と感心されます。

古文は敬語の勉強にもなりますし、漢文は英文法を理解する手助けにもなります。高校の古文漢文は教養や道徳的な色が強いものが多いので、面白くないとは思いますが、学び方一つで役立つ知識に変わると私は思います。
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古文と漢文は、日本語の文化の精華として、現代の日本語と文化の基層を形造っております。

私たちは日本語で読み書き話しし、感じたり考えたりして生きております。その際に、古文も漢文も基層として働いていると思うのです。この空気のような、その効用に普段は意識しない事を、あえて学ぶのは、日本語と文化の深さや広さ厚みを学ぶことだと思います。このような抽象的で直接的には意識できないことも、わざと意識的に学習しなければならない時期があると思います。それが、学校であり、より効用を考えるのが、大学入試であると思います。
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そこまで嫌なら、やらなきゃいいんでは。

大体受験の科目分け程度
の事で、理系だとか文系だとかの物を、いかにも人間のタイプの様
に考えてること自体が、なんともはや。
漢文0点とっても得意科目で取り返せるんなら、いいんじゃないの
かなぁ。
第一、ソレやれば大学がとってくれる、って言うんだからやってれ
ば良いわけで、所詮そういうシステムなんだし。
あなたが考えるニーズと大学が求めるニーズが違って、己を貫くか
大学のニーズに下るかは、自分の自由です。
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高校生の段階で、勉強しなくてはいけないことを具体的にはっきり認識できるかというと、一般的に考えてそれは非常に難しいものだと思います。



生業とするものが既に決まっているとすれば、学校で勉強することは無駄な部分が非常に大きくなるので、実利ある具体的なものの勉強をすればよいと思います。しかし、将来に選択肢を残す段階では、人間の幅を広げることが重要に思います。

また、コンテンツの時代といわれる昨今、知識や経験を豊かなものにしておくことが、理系のものづくりのアイデアにつながると思います。大量生産するコピー製品しかつくらないロボット人間にならないためにも、そうしたバックボーンを育てておくことは重要ではないでしょうか。アイデアの源泉をつくるのです。

日本人に脈々と受け継がれる文化を知ることが、古文漢文の意義でしょう。歴史的経緯から言って、日本文化は中国の先進文化を取り込み、それを日本流に消化して新たな丸みのある文化をつくりました。そうした血脈を具体的な文献で経験しておくことが古文漢文だと思います。

学校の勉強は、実社会で役に立つことはありません。でも、考え方や経験は、あなたの行動に何かしらの影響を与えますし、よい影響を与えるための教材が学校で用意されているものなのだと思います。数学の証明問題や関数だって、実社会では役に立ちませんが、考え方を学んでいるのです。

目先の利益にとらわれないで、人間としての土台を広く堅くつくっていかれることを期待します。
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こんばんは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、受験はスポーツと同じです。決められたルールの中でどれだけ効果を上げられるかです。

例えば、サッカーなどで、オフサイド。こんなルールは意味がない、ゴール前に一人いてパスを出せばいいじゃないか。と言ったところで始まりません。意味ではないんです、

他の方もおっしゃっていますがね、その筋のトップの方は、漢文とか詳しいんですよね、理系であっても。漢文を勉強したことがあるのですが、理系の方とお話しする時も、漢文のことに話題があがると・・結構びくびくしてお話をします。
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教養とは本来実利は伴わないものです。


それに、今は理系でも、ずっと理系とは限らないでしょう。
文系が数学を学ぶのも同じこと。
実生活では小学校の算数で十分です。
教養とはそんなものです。
無駄の効用といえるでしょう。
でも教養のある人は一味違いますよ。
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