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こんにちは~★切腹についてお尋ねします!
切腹でなぜ腹を切るのですか?
あえて腹を切る理由を教えてください!!

A 回答 (6件)

回答者の方々も言っておられるように、「腹」には心があると考えられました。

「切腹」は、だからそもそもは「死ぬ」ためではなく「心を見せて、二心がないことを証明する」ものだったのです。
はじめのうちは、腹を自分で裂き、肝をとりだして相手に見せたとか‥‥おそろしい話です。
それがいつか「名誉ある自死」のように変化し、武士のみにゆるされる死に方となります。それも文明開化とともに切腹禁止令がでて、おわってしまうのですが。
しかしそもそものはじまりがはじまりなので、死ぬのにはひどく効率が悪い。だから介錯してあげるわけです。
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  一応アドヴァイスにします。というのは、この問題の背後にあることについて、わたしは十分に会得していないからです。
 
  簡単に述べたく思います。肝が、頭よりも心臓よりも重要であったという記述がありますが、これは違うのです。頭というか首、そして心臓・心、第三に腹があるというのが実状です。この三つは、どれも重要なものだったのです。それぞれが意味を持っていたのです。
 
  「臍下丹田」ということを述べておられる方がいますが、その通りで、腹には、太陽神経叢もあり、これは、腹にある「第二の脳」ではないかと考えられるのです。無論、大脳などとは働きが違っています。頭や首が決して軽んじられていたのではないのは、戦国武士が、首級(みしるし)を頂戴するといい、首を落とし、それを武勲とし、また勇猛な人物などの首は丁重に葬ったことより、決して軽視していた訳でないのが分かるのです。また、心・心臓も、たいへん重要な部分であったのです。武士と町人と農民と、それ以前の平安貴族でも、「心情の交わり」「心情の結びつき」「心ある人・心映えの美しさ」を賞賛したし重視したのです。
 
  武士が、世に心ある者はいないのかと慨嘆したり、逆に、心ある人と出会え、その恩義を受けたことに、男泣きになき感動するというのもごく自然なことなのです。「こころ」は、万葉の昔から、日本人の文化の機軸にあるのです。他方、頭・首はどういう意味かというと、これは心よりもっと古い呪術的な思考の名残があります。「首を切る」というのは、世界中の文化で、非常に大きな意味、宗教的意味を持っているのです。
 
  とまれ、これだけでは何のことか分かりにくいので、もう少し説明すると、頭は、その人の「思案と知解」の場になります。頭が切れるというのは、要領の良さや知恵や、策略などの能力なのです。これは世間で表の顔、面子を立てるのに大いに役立つ能力で、これが、個人の「人格」だと考えられていたと言えます。無論、人格とは昔はいいませんでしたが。また、頭や首には、霊が宿っているのでしょう。その人個人の霊という意味です。従って、個人の恨みである怨霊は、切られた首と関係してくるのです。
 
  そこで、腹は何かというと、第二の「脳」だと言いました。このことは、直感的に昔の人は知っていたのです。肝がすわった、肝を据える、肝を冷やす、肝を潰す、肝に銘じるなどの場合、この「肝」は、「腹」のことではないのです。試しに、腹を、この肝に入れてみると、何かおかしいことが分かるでしょう。腹がすわった、はあります。しかし、腹を冷やす、腹を潰す、腹に命じるなどは、おかしいでしょう。これらは、心が冷える、心潰れる、心に命じると通じるはずです。しかし、心がすわった、とは言いません。
 
  頭は、現代的に言うなら、「自我」の座です。心は、「心情・感情」の座と考えれていた訳で、嫉妬は確かに心から発するものですが、これは、頭を通して、自我のプライドの問題になるのです。このような頭、心に対し、「腹」は、腹をすえる、腹をくくる、腹のできた、腹の底の知れぬ、腹を立てる、腹黒い、腹を決める、などの用法を見ると、自我よりも「大きなわれ」の本体が宿っているように見えます。頭を意識自我とすると、腹は、無意識的われの統合だとも見なせるのです。肝が太いとは、怖れない、びくびくしないと言うことですが、腹が太いの方が、大地にどっかり座り込んで怖れるものはないという感じです。腹ができているもそうでしょう。また、奸智にたける、と腹黒いでは、奸智はいかにも頭だけの軽薄なところがあり、腹黒いは、しぶといというか、首を切っても、直らないような重みを感じます。奸智にたける者は首を切れば終わりですが、腹の大きい、腹黒い人物は、頭で奸智なのではなく、身体全体、存在全体でしぶとく悪の強さと底がある感じがします。
 
  明智光秀は知に優れ、他方、徳川家康は、腹が底知れず、腹黒いとも言えるのではありませんか。
 
  平安の貴族は、花鳥を見て泣いたり感動したりしていたのですが、これは心情の文化でしょう。そして万葉の詩人などは、雄勁ないさおしを知っており、武士とは違う腹のすわりかた、心の覚悟があったとも言えます。しかし、武士は、元々人殺しの集団としてあった訳で、武士の擡頭は、血と殺人にまみれているのです。
 
  万葉の詩人の「死の自覚」と、武士の「死の自覚」は、かなりな隔たりがあり、武士は切り取り強盗で、「力」が何にもまして意味を持ったのです。武士は、発生において、職業的戦士であり、戦場がその晴れ舞台で、死を怖れないことが、その心がけ、覚悟だったのです。こういうことは、頭の自我には耐えられないことで、心や胸の心情にも耐えられないことでしょう。そこで、自我よりも大きな「われ」つまり「腹」に自我を託し、恐怖に震える自我を「腹のわれ」で、大きく支えたというか、「腹を造り、腹を据えた」のです。
 
  武士にとっては、腹ができている、腹がすわっているということが、戦場での心得であり、また日常での心得であったのです。腹を割った話は、心を開いた話よりも、もっと重いのです。
 
  何時頃から、切腹があったのか分かりませんが、鎌倉幕府の末期、南北朝の始まり頃に、武士の集団切腹が流行したという記録があります。これは、腹ができているということを、腹を割った仲間と共に腹を切ることで、比喩的に言っていた、「腹を据えた」状態を誇示したとも言えるでしょう。また、全身全力で意気込みを示すには、腹から叫ぶのですし、腹をくくって覚悟を見せるということになるでしょう。刀で首の頸動脈を自分で切ったり、心臓を突いたりしても、腹の底からの覚悟や、全身全霊の意気込みの表現にならないことが、何となく身体的に分かるのです。
 
  武士たる者、腹をさらけ出してて生死をくぐる必要があり、死はまさに、腹をさらけ出すことで、集団切腹の理由は、みな陶酔したこともあるでしょうが、腹を共にし、討ち死にしたということでしょう。
 
  平安時代に切腹はなかったはずで、武士の時代になって、武士が切腹をしたのです。また、切腹は、斬首よりも名誉ある死だと考えられていたということがあるでしょう。切腹した後の介添えは無論いた訳で、潔く死ぬためにも、そう長々と苦痛にのたうっていては話にならないのです。腹を切る苦痛に耐えるということが、武士としての覚悟=腹ができていることの証で、腹を切った後、長時間苦しむというのは、浅く切った場合でしょう。無論、切腹の美学があって、あまり深く切ると、内臓の中身が出てきて汚いので、出血多量となり、しかし内臓の中身はでないような、深い切腹の作法を学んだということです。この場合、出血多量で、介添えがなくとも、気を失い失血死します。浅く切った場合、止血すると、苦しんでなかなか死なないのです。
 
  切腹は日本の武士の文化なのです。何故、腹を切るのか、短くと言いながら長くなりましたが、分かったことと思います。
 
  なお、腹のチャクラと、「臍下丹田」は密接な関連があり、どちらも、無意識と意識の統合の修行をする時、重要となります。ヨーガも、座禅も、基本的には、意識自我と無意識のあいだの統合を果たすことなのです。武士は、それを死への準備として、名誉ある儀礼としたのでしょう。
 
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切腹は日本独特の方法ですネ。


生麦事件のときだったと思いますが,有罪となった武士たちが続々と切腹を続けるのを見たイギリス人たちは途中で恐ろしくなって退席したとか言われていますネ。

先に丹田の話が出ていますが,昔は『肝(きも)』というのが非常に重要なものと考えられていたのですネ。
肝を据える
肝を潰す
肝に命じる
というように肝(つまり腹)は脳よりも心臓よりも重要な位置付けだったと言えます。
その大切な魂の入っている腹を切ると,或いは,腹の中の臓物を引きずり出すことは死に直結する行為と考えられていたことは想像に難くありませんネ。

デモンストレーションとしての強さの証明ということも理由の一つですネ。
実際の切腹では,腹を切るだけでは死にきれずに介錯人が首を打つというのが多いことで分りますように,非常な苦痛が長時間続くものなのですネ。
ですから,この苦痛に打ち勝つ心構えがあるんだぞというデモンストレーションの意味も大きいと考えられます。
現実には,刃物の上に倒れこんで自身の体重を利用するということも多かったようですネ。

鎌倉時代頃から始められた切腹は江戸時代になると武士の死罪として強制されるものとなりましたネ。
これは,やはり死を美化する日本の武士道の精神
死を恐れない,苦痛を耐えるという武士の美学
これらが大きなウエイトを占めていたのだと思います。
以上kawakawaでした
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推定のアドバイスですが・・



「臍下丹田」(せいかたんでん)と関係があると思うのですが、ネットでちょこっと検索しただけでは、でてきませんでした。

位置はハラキリと同じで、そこに「気」を集める事により、
心身統一できたり、肉体的な力以上の能力を発揮したりと
なんともすばらしいとこです。
禅や武道では、重要視されています。

余談なんですが・・
合気道の先生が、臍下丹田の説明で「臍下丹田に気を集中したとき」と
「そうでないとき」に「さぁ、私を持ち上げてみなさい」といいました。
(いま、思い出すとわりと滑稽な状況です)
体重50kgくらいの割と小柄な先生で、
「そうでないとき」は、私1人で持ち上がりましたが、
気を入れたときは、友人と2人がかりでも上がらなかったことを
思い出しました。
(マジっす)
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こちらに詳しく解説してあります。



参考URL:http://homepage1.nifty.com/SEISYO/sepuku.htm
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切腹についての時代的な経緯についてはよく知らないのですが、


いわゆる武士の切腹について

「武士道」著者:新渡戸稲造

の中で著者が考察しています。(注:新渡戸さんは5000円札の人です)


細かい内容は今は覚えていないのですが、切腹が単なる自殺ではない
ことがいろいろ書いてあったと思います。

「武士道」は日本人の著作では、世界初(?)のベストセラー本です。
今はほとんど見られなくなってしまった、立派な日本人の姿がそこに
あります。一度読んでみてください。
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