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今、世界史の勉強をしています。
わからない事があるので質問させてください。
聖像崇拝を禁止した皇帝とその宗派はなんでしょうか?
また、聖像崇拝を認めた宗派とその背景について教えていただきたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

偶像崇拝問題は、ローマ教会(カトリック)よりも、ビザンチン教会(正教会)で問題になりました。



ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝レオ3世が、偶像崇拝禁止令を出し、ビザンツ帝国内では、大混乱となります。

過去も現在もキリスト教では、偶像崇拝を認めていません。
神の像を拝む事も、神の像を造る事も禁止されていますが、神の子であるキリストの像やキリストの象徴である十字架は、神の像ではないため、造る事も礼拝する事も認められていました。
(宗派によっては、認めない宗派もありました)

ビザンツ帝国に、イスラム軍の圧力が強くなると共に、イスラムより、キリストの像や十字架を礼拝する事は、偶像崇拝に当たると非難されるようになります。
またその当時、イスラムとビザンツの国境付近には、キリスト教徒でありながら、キリストの像への礼拝を否定するパウロス派の国(カッパドキア公国)が有りました。

ビザンツ帝国は、それまでシリアやエジプトを支配していましたが、その地のキリスト教(コプト教やヤコブ教)を、異端として弾圧していたため、その地のキリスト教徒達が、宗教の自由を主張するイスラム軍になびいて、シリアやエジプトを失ったため、現在のトルコ東部にあったパウロス派の国を確保する目的もあり、偶像崇拝の禁止を打ち出しました。

この偶像崇拝禁止令は、偶像破壊につながり、当時の西ヨーロッパのカトリック教会との軋轢を広げる結果となる一方、ビザンツ国内でも、破戒派と崇拝派との対立が続きます。
726年に出された偶像崇拝禁止令による混乱が収まるのは、843年のコンスタンティノープルの公会議によります。

これにより、正教会では、聖像の崇拝はしないが、聖画(イコン)への礼拝を行うようになります。

現在のカトリックでは、「神には崇拝を、キリストには礼拝を、聖人には崇敬を、聖母マリアには超崇敬を」する事になっており、「キリストの像に行うのは、礼拝であって崇拝ではない」という事になっています。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2006/02/26 22:07

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