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 くだらない質問でゴメンナサイ。
 よく、○○で縄文人骨発見、縄文時代の墓発見とか、石器時代の人骨発見なんていうとスゴイ!ということになりますよね。なのに、ここは、古戦場跡で多数の人が亡くなった。ここは、墓場だった。なんていうと、怨霊が・・・、という話になってしまう。
 ~の家のあるあたりは、昔、墓場だったところだ。地元の人ならあんな所に住まない。なんていう話をよく聞きます。でも、太平洋戦争で東京、大阪など大都市は空襲にあって、たくさんの人が亡くなっています。その焼け野原の上に(?)新しく都市ができています。何が違うのかな?と、疑問に思ってしまいます。
 くだらなくてゴメンナサイ。でも何だか矛盾しているようで。
 この感覚の違いは、どこから来るのでしょうか?

A 回答 (4件)

同じ人の死体がごろごろ、という状態が、状況によってさまざまに扱われる。



数万年前のネアンデルタール人も死者を葬ることをおこなっていたといいますね。でも現代人がそれを発掘したら、重要な考古学資料! と、モノ扱い。

少し新しい時代のお墓には、独特の異界感覚が呼び覚まされるし。でも空襲で大勢の方が亡くなったあとなど、ふだんほとんど意識されませんね。
新しい舗装の上の都市は、過去の死を思い出せなくしているとも言えます。

矛盾といえば矛盾ですね。人間って、自分の都合ばかりで一貫してないんですね。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

>ふだんほとんど意識されませんね

 そうなんです。この意識するか、しないか。で、いろんな問題も起こりえると思うんです。例えば、霊感商法なんか・・・。
ホント
>人間って、自分の都合ばかりで一貫してない

ですよね。

 ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/26 14:27

すごい質問(良い疑問)ですね。

人の死だけを単一で取り上げれば、言われる通りです。でも、あなたもこの事が疑問に感じたように、人は、なぜ、どうして、と言う探求心を持っています。約1000年前位からは、古文書なども多数保存(発見)されていますが、それ以前、奈良・平安時代ですら一部の都市以外のことは、良く解っていません。ましては縄文人や石器時代の人の生活はごく一部のことが解っているだけです。遺骨を調べることによって、その時代の生活状況が解ります(手がかりが掴める)ですから、単に遺骨ではなく、歴史の語り部として大切な資料なのです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

>歴史の語り部として大切な資料
  確かに、そうですよね。でも現在の死体も科学捜査においては、ある意味「語り部」であると思います。主体をどこに置くか、によって考え方が変わってくるのでしょうか。

 また、新たな疑問が。
 江戸、室町、平安などの時代では、縄文人(だとは、言わなかったでしょうが)の骨ってどんな扱いだったんでしょうね。(ホントくだらなくてゴメンナサイ)

 ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/26 14:34

このテーマについて、50年前から研究している者です。

(ウソ)

「死」に対する受け止め方(感覚)の違いですよね。私なりに、うすうす思っていたことを書きます。うすうす。

(A)「昔、墓場だった場所」
   「前に住んでた人が自殺した賃貸アパート」
   「亡くなった友人が使っていたロッカー」
(B)「空襲で多くの人が亡くなった町で暮らす」
   「縄文人の骨」「ツタンカーメンのミイラ」
   「多分何人かの人が亡くなった病院のベッドで寝る」

と言う風に大きく分類できると思いませんか?

(A)妙に気になる。怨念があっても不思議ではない。
(B)それほど気にならない。「言われてみれば・・そうだなぁ」という程度。

ではないでしょうか?

それは、
(A)死んだ人の名前(人格)を知っている。
(B)死んだ人の名前を知らない。名前がわかっても思い入れがない。

という違いがあると思うんですよ。わたしは。

ということで
>この感覚の違いは、どこから来るのでしょうか?

「名前」じゃないかな?



(おまけ)
 (A)飼っていたペットが死んだ。
 (B)道路で動物が車にひかれていた。

(まだまだ)
 牧場とかで、牛に番号をつけていたのですが、1頭だけ、何かのきっかけで「クロ」という名前をつけた。
 食肉になるとき、「クロ」の時だけは、みんな涙を流して泣いたそうです。

(さらに)
 昭和の時代、工場にロボットを導入、「モモエ」「ジュンコ」という名前をつけて、大切に使っていたそうです。
型が古くなり、「もと」を取ったので、新しいのと入れ替えになったとき、職場の人が、お葬式をしたそうです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

>このテーマについて、50年前から研究している

 むむっ・・・。恐れ入りました。お師匠様。(笑)

>「名前」じゃないかな?

 確かにある意味うなづけます。でも、私たちは、落ち武者の名前を知らない。まして、係わり合いなどあるはずもない。でも、落ち武者の祟りと言われると、すごく気になる。
 
 最近はリサイクルで中古品に抵抗感がなくなりつつありますが、やはり、気になる人は、気になる。

 個人個人の感じ方の違い、備わっているアンテナの違いなんでしょうかね。
 う~ん、お師匠様。

お礼日時:2002/01/26 14:44

こんばんは。


私が思うに、これは希少価値の問題なんじゃないでしょうか。
縄文時代の人口って26万人くらいだったらしいです。
その中で、長い年月を経て、残っている人骨を見つけたらこりゃすごい!と。
もちろん、歴史的価値もありますが。
古本でも、このごろの初版本なんて安いでしょ。あれは、大量生産しているから初版本でも珍しくもなんともないからです。世の中にたった一冊しかない、というものが高くなる。
人の骨といっしょにしたら不謹慎でしょうか。
でも、魚だって鰯の骨なら生ゴミでポイだけど、シーラカンスの骨なら、きっと学者がほしがるはず。
そういうことでは。
でも、どのあたりから大発見と怨霊の差がでてくるんでしょうね。
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