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近現代史において、敗戦責任は問われないというのは普通なのでしょうか。
ここでいう敗戦責任とは、国民が戦争指導者(政府、軍部)の責任を追及するというものです。
太平洋戦争では、東京裁判は別物なので、結局敗戦に対する責任の追及は行なわれていません。一億総懺悔のもとにうやむやになってしまった感があります。
ドイツも同様でしょうか。
フォークランド紛争では、敗戦責任を負ってガルチエリ大統領が確か投獄されたと思うのですが、これはレアケースでしょうか。

A 回答 (6件)

近現代において、問われないのは「戦争責任」であって、「敗戦責任」ではありません。


「戦争責任」とは、近代国家の国家主権に交戦権があるという、国際法の解釈により、主権国家が戦争を起こしたことそのものを罪に問われることは無いということです。
ご存知のように、東京裁判はこれを裁いたことにより、異常な裁判といえます。

「敗戦責任」は純粋に国内法の枠内です。戦争を遂行した指導者に、公務員法や行政法に規定された違法行為(背任・汚職)があり、それが戦争開始に直接影響したとなれば、告発の対象になるでしょう。

しかし、そのようなことが無い場合、戦争を起こしたことや、戦争に負けたことはすべて等しく国民が享受すべき責任になります。
なぜなら、戦争指導者と呼ばれる人々は、民主的な方法で国民より選ばれた国民の代表だからです。

戦前の日本がどの程度まで民主的だったのかは、異論もあるでしょうが、少なくとも独裁国家や軍事国家ではありませんでしたので、民主的な取り決めの上に立った国家だったといってもいいと思います。

国民総懺悔して、一から出直したのならよかったのですが、実際には戦争指導者こそが悪くて、日本国民も被害者であるという論調が多くあります。(東京裁判史観ともいいます)

戦後、国民の責任も(翻って指導者責任も)きちんと総括しなかったことが、今の近隣諸国との軋轢の遠因になっていることは間違いの無いことだと思います。

ドイツは、戦争責任を総括し、戦後ナチス的なものをすべて排除するように努力しています。
ネオナチというものが出てきているようですが、「ナチのようなものは自分たちの心の弱いところから出るのだ」という反省があるドイツ国民は、そう簡単に時代に逆行するような蛮行は起こさないと思います。
また、それに対する近隣諸国の信頼を60年かけて取得してきました。

それが「なぜ太平洋戦争が起きたのか。それに対する日本全国民の責任とはなにか?」を総括できていない日本との一番大きな違いです。
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この回答へのお礼

翼賛議会が民主的だったとは思えませんが、
共感できます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/01 09:04

たぶん問題は、日本自身が当時のだれに又はどこに責任があったか、自らコメントしないところなのでしょうね。



ドイツはナチス自体を否定しましたので、当時の第一党を否定しナチの名のもとに集まることも許していないとおもいます。
ドイツがヒトラーが首謀者といったかはわかりませんが、ナチスの犯罪という認識はあるようです。

日本は当時の党の責任とも内閣の責任とも、また戦犯の中の誰の責任・犯罪とも言明しないため、海外からは誰に責任があったのかがわからなくなっている。
それがうやむや感につながるし、わかりにくくなっているのでしょう。
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この回答へのお礼

共感します。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/01 09:15

国民が投票した代表者は、


国民の意見(国民投票)で裁く事が出来ます。

大臣は、内閣の指名です。
これは、国民の代表としての地位は裁けますが、
内閣の指名については裁く事は出来ません。

国民が戦争指導者(政府、軍部)の責任を追及するというものです。

軍人は、国民の選出ではありません。

国民は、人を裁く神様ではありません。

むしろ、狂気の指導者を選挙で国会に送り込んだ
※国民の責任はむしろ重大です。

これを1人で全て東條は背負い込みました。

この時、
選挙で選ばれてやむを得ず職務についた。
嫌々やった。
やらねば日本人の一部に確実に殺されていた。
正当防衛だ。

こう言えば、

日本は計画通りに4分割ですね。


軍事方面のヲタに走るのは早急に感じます。
正しい知識を吸収してから、
正しい「ヲタ」をしましょう。
^_^
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この回答へのお礼

>軍事方面のヲタに走るのは早急に感じます。
>正しい知識を吸収してから、
>正しい「ヲタ」をしましょう。

オマエモナー^_^

お礼日時:2006/06/01 09:14

私のような軽輩には、とうていお答えできる問題ではありませんが、私の乏しい読書歴のなかで、質問者さまがお持ちの疑問に少しでも参考になるかもしれない図書がありますので、厚かましくもご紹介いたします。


とうにお読みかもしれませんが、そのときはお許しください。

さまざまな論者による執筆集ですのでいろいろな意見を聞くことができます。
『ぼくらの「侵略」戦争―昔あった、あの戦争をどう考えたらよいのか』
宮崎 哲弥・編集  洋泉社
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896911857/24 …

戦争責任の取り方について、ドイツと日本の比較についてはこちらに詳しいです。ただし著者が保守派の方ですが・・・
『異なる悲劇 日本とドイツ』  西尾 幹二  文藝春秋
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167507021/24 …

どうして日本はあの戦争に突き進んでしまったのか、明治維新までさかのぼって分析しています。
『日本の戦争―なぜ、戦いに踏み切ったか? 』
田原 総一朗  小学館
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093892415/24 …

日本はどこでどう間違ったのか、戦争責任は誰が追うべきなのか、おなじみ「朝生」の放送内容まとめた一冊です。
『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。―朝まで生テレビ!』
田原総一郎 アスキー
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4756138594/24 …

最後にもう一冊、こちらも興味深い内容です。
『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』
猪瀬 直樹
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093942382/24 …
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この回答へのお礼

たくさんの本を紹介して頂いてありがとうございます。

お礼日時:2006/05/30 20:38

国民が責任を問うことは「負けたこと」に対する責任ですか?それと問うたら敗戦後も国民は戦争を肯定していることになります。

これは第二次世界大戦敗戦国ドイツと日本には許されないですよね。
「戦争したこと」い対する責任の場合は国民にもあります。戦争責任者のみに背負わせるのは筋が通りません。
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この回答へのお礼

>戦争を肯定している・・・
うーぬ、確かにそうともいえそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/30 20:19

東京裁判では戦争責任を問われて死刑になったものは何人もおります。

 GHQは昭和天皇も戦争犯罪人にしたかったのですが、昭和天皇を巻き込むと大暴動が起こる可能性があったので何も出来ませんでした。 実際、昭和天皇には責任はなかったのですが、最高責任者という立場にいました。 しかし全責任は私にあると言う態度を取ったので攻め切れなかったのでしょう。 ドイツは完全にヒットラーとその取り巻きで、ご存知のようにヒットラーは自殺しています。 その取り巻きは、何年経っても世界の果てまで追い回されています。 因みに、イラク戦争の責任はフセインにあるのでしょうか?

この回答への補足

回答ありがとうございます。
東京裁判は別物としたのは、戦勝国が責任を追及したものであって、国民が責任を追及したものではないとおもうからです。
また、ヒトラーの取り巻きを地の果てまで負いまわしたのは、ユダヤ人であって一般ドイツ国民ではありませんよね。
フセインについては、イラク国民が責任を追及しているといえそうです。

補足日時:2006/05/30 17:02
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