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死後の世界を知らない和尚に布施など払いたくありません。仏法を説かれても信用できません。和尚は死後の世界を知るような悟りの境地に達しているのでしょうか?そういう和尚はどこにいるのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

No2で回答した者です。


 墓には母親が眠っています。
 私は30代です。
 で、お盆だったかな、住職の奥さんに聞いた事があります。
 「父親が倒れましたのでこれからは私がお布施持ってきます。金額がわからないので教えて下さい。」と。

 そしたら
 「お布施は気持ちなんですよ、決まった金額はございません。」

 どうです?こういうの一番困りません?(w
 タチ悪いですよね。

 これ、宗派によって違うみたいですね。

 うちとは違う宗派の檀家に聞いたら
 塔婆代はOO円
 管理費はOO円
 とかハッキリしてるらしいです。
 この方が明朗会計でいいです。

 払う根拠・・・、手間代として払うって事で納得するしかないのでしょうかね。

 回答になってないですね、すいません。

 

 
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この回答へのお礼

二回目ありがとうございます。「お布施は気持ちなんですよ」って困りますよね。じゃあ、金額で気持ちを測るんかい!!って言いたくなる。たとえばお布施が100円なら気持ちがないとか? そして100円払ったらその和尚さんは次も来てくれるのかな。俺は実験する勇気がないが、やってみたらどうなるんだろう。
明朗会計の宗派もあるんですね。高値だと困りますが・・・。

お礼日時:2006/07/26 17:01

私は逆に死後の世界を知っている(語る)和尚に布施を払うというのは、カルト詐欺教団の教祖に献金してるような感じがするので嫌ですね。

同様、死後を語る和尚の仏法など信用できません。

むしろ死後の世界というのは、悟りの見地からすれば邪見であり、全く正反対の事柄だと思います。死後の世界があるか、ないかに関わらず、仏教的な悟りでは今、現世に重きを置くのであって、死後世界など関係なく、語られたとしても方便にすぎません。
あなたが霊、死後の世界にこだわるのなら信頼できる霊能者を探せばいい事です。和尚にそれらを求めるのは「見当違い」だと思います。

<俺の場合は微妙でいい僧侶なら法事をしたい。どうしようもない僧侶には法事をしたくないし、お金も払いたくない。そんな感じです。

それでいいじゃないですか~。
もし「お布施は気持ちなんですよ」って言ってくれたらラクでいいです。その和尚の言うとおりにしましょう。
私は死後の世界のことなど別に信じてはいませんが、その和尚が真面目で誠実に法事をしてくれるなら自然と感謝の念がわくのでお金を払っても良いという気持ちになると思います。

この回答への補足

そうですねぇ,確かに「お布施は気持ちなんですよ」って言ってくるんだから,本当に言葉のまま気持ちで払えばいいんですよね.

補足日時:2006/07/31 18:18
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  「生老病死」といはれる人生の大事件のうち、「生」は、自分の氣付かない間に始まるし、「老」は、確實ながら、その進展は緩やかで、「病」は、治ることもあるので、しばしば輕く見過ごされ勝ちですが、「死」は、突然にしろ、徐々にしろ、自分が意識して迎へる事件であり、その經驗を語る者は近くにゐないので、最大の大事件として不安な氣持で取り扱ふことが多いやうです。


  佛法は死後の世界を語るものではなく、現實の今の生き方を語るものですが、日常的に佛道を意識しない人にとつて、「職業として佛法を語る和尚」と接するのが、葬儀の場であるといふ人が多いのも事實です。佛教が社會の制度として、また職業として葬儀を取り扱ふことで、名稱は何であれ、和尚に何らかの代價を支拂ふ譯ですが、この支拂ひは、純粋な宗教活動としての、自己の宗教實踐の中での金錢の遣り取りといふよりも、葬儀や法事の料金支拂ひの意味が濃いと考へられます。
  「死後の世界を知る」ことが「仏教者としての悟り」と結びつくかどうかは、大いに疑問のあるところですが、一般に言はれてゐる、死後の中陰についてとか、輪廻の意味、前世の因縁などについては、「職業としての佛教者である和尚」は、われわれ素人に、詳しく解説してくれるはづです。そのことで、「和尚は死後の世界を知る人」と言へるでせう。
  和尚が悟りを得てゐるか否かといふことについては、自分が悟る事が大切であり、他人である和尚の悟りは、自分にとつて、參考になり、励ましになるでせうが、「他人の悟りは自分の悟りではないこと」に氣付くことが必要でせう。悟りをひらいたと言はれるお人は、澤山おいでます。その代表が御釋迦樣でせう。近い時代の、我々のすぐ近くにも、ゐるはづですが、見えてゐて見えない場合が多いやうです。それを、觀音經には「佛はあらゆるお姿で示現する」と示唆してゐます。

この回答への補足

そうですかぁ。和尚に死後の中陰?とか、輪廻、前世の因縁などについて聞いてみれば、詳しく説明してくれるはずなのですね。それで和尚の実力が見えてくるかもしれないです。それで実力がある和尚なら布施を払う意味もあるというもの。

補足日時:2006/07/26 16:45
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和尚さんは仏教者ですが、もともとの釈迦の悟りの内容を考えると、「死後の世界」のことは関係ないはずです。

だから知る由もない。確か仏教も他の宗教と同様に「よりよく生きる」ことが主題であったはずで、死後の世界のことは、そのあとから出てきたはずです。

もしお時間があれば、原始仏教について書かれた、増谷文雄著「この人を見よ ブッダ・ゴータマの生涯 ブッダ・ゴータマの弟子たち」を読んでみて下さい。
お布施のもともとのかたちのこともよくわかると思います。

この回答への補足

ごめんなさい。本を読むまでは・・・。

補足日時:2006/07/26 17:17
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死後の世界を知り、悟りの境地に達している、と真剣に語りかけてくれる和尚さんが、本当に死後の世界を知っている和尚さんではないでしょうか。

この回答への補足

ちなみに和尚って霊能力者も多いんですかね。お寺ではずいぶんいろいろ出るってある和尚が話していましたけど。

補足日時:2006/07/26 16:48
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南方仏教(上座部仏教)で先祖供養はしませんね。


あの世のことはあの世の方々に任せて
この世に生きる人の為に施しをしよう。
ということだと思います。

個人的に、先に旅立つ人は
後世の人の友愛を願って旅立っているのだから
その為に誇らしく生きているなら
充分供養になると思います。

大切な人の思い出に、いきなり他人が介入して
金銭のやりとりがあるのは不快なので
私は法事をするつもりないです。
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この回答へのお礼

法事をするつもりがないと言える人がいるなんて心強い。
ただ、俺の場合は微妙でいい僧侶なら法事をしたい。どうしようもない僧侶には法事をしたくないし、お金も払いたくない。そんな感じです。

お礼日時:2006/07/24 22:17

和尚であれ神父であれ神主であれ、


全てのマツリゴト(本来の意味で)の施行者は生きている人間を満足させる商売なのですから、
満足できない人は布施など払う必要は無いです。

あなたが感じる通り、当然ながら死後の世界などありません。
宗教屋の詭弁です。
新興宗教だろうが歴史の重い宗教だろうが、全ての宗教は生きた人間相手の詐欺集団です。

私は受け継いだ仏壇と神棚を叩き壊してゴミの日に出しました。
すっきりしましたよ。(`ー´)

この回答への補足

私は一応死後の世界はあると思っていますよ。ただ、法事とかは必要がない気がする。和尚は死後の世界について教えてくれる人であって欲しいな。でも、どなたか回答してくれた人がおっしゃっていたような気がしますが、生き方を説いてるんですよね。
それにしても、仏壇と神棚を叩き壊すってすごい。

補足日時:2006/07/26 16:51
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そうですね、


死後の世界を知っていたら
「前生占い」とかが出来るのではないでしょうか?
直接聞いてみるしかないですね。

悟りとか解脱は「魂の浄化」というものらしいです。
魂の浄化という作業は
高次な体験と理解を会得したことのようです。
この世は時間を含めた4次元か3.5次元ですが、
あの世は何次元か?も理解しているのでしょう。

その高次元を低次元な人類に理解させることは
まず無駄足なのですが、
それでも何か感じさせ善い方向に導いて
謙虚を利用してではなく、
納得して払わせてしまうもの。
それがお布施だと思います。

私には幸運にも
人生の全てを投げ出して掛けてもいいぐらい
尊敬する人物が居ますが、
その方は「同情や尊敬を受けることは死んでも嫌だ」
といって私を恨んでます。
与えるだけ与えて逃げられました。
もうどうしていいかわかりません。
もう会えなくなってしまいました。
そんな変な方だから余計今も心配なのですが!

この回答への補足

前世占いの話から思いついたのですが、和尚になりたい人が和尚になれるのではなくて、前世占いとかができるいわゆる霊能力を持っている人が和尚になればいいのにね。
ところで、あなたにはそれだけ尊敬できる人がいるのですね。与えるだけ与えて逃げる。すごい人だ、その人は。和尚もそうあって欲しい。お経をあげることで対価を得ようとするのではなく。

補足日時:2006/07/26 17:18
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こんにちは。

結論から行くと、大半の和尚さんは死後の世界を知りませんよ。それからお布施と言うのは、志です。霊を弔ったり、お墓の管理をしたり、和尚さんもこの経済社会に生きているのですから、衣食住必要ですよね。お経のお礼ですよ、お経の必要性は霊への供養言葉です、あの世とこの世を結ぶ言葉とでもいいましょうか?これは理屈とは違います。古来釈迦の時代日本に仏教が入ってきてから先祖がそうしてきたものです。もちろん信徒は信徒、キリスト教はキリスト教でいいとおもいます。私は貴方の先祖が今までしてきたことを文化として受け継いでほしいのです。すみません答えにならなくて、なぜなら我々の先祖は今のように学問を知らない人でもずっと守ってきたことだからです。死後の世界も現世と同じです。自分の気持ちが、かかわって来ますので先に死んだ自分の分身先祖とお寺を挟んで交流をしていれば、死後も安心だし、日頃も守ってもらえますよ。

この回答への補足

和尚さんも経済社会に生きているなら価格競争というかサービスの向上をはかって欲しいと思いませんか?
それをしない和尚はいやなんです。お布施はもらえて当然というか。
霊的な世界を知る和尚ならお布施を払ってもいいって俺は思うんだけど。

補足日時:2006/07/24 22:19
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 仏教の開祖である釈迦自身が、死後の世界については「語らず」という姿勢を通しています。

死後の世界を重要視されるのでしたら、仏教は不向きでしょう。

この回答への補足

釈迦はどうして死後の世界について語らないのだろう。では、死後の世界を重要視するなら何が向いているのだろうか。

補足日時:2006/07/26 17:05
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