

新撰組ファンの方は多いと思いますが、どうしてそこまで新撰組は人気があるのでしょうか?
自分の抱いている新撰組のイメージは
・幕藩体制を終わらせ天皇中心の政治に動こうとしている時代の流れを読めずに、
・農民が武士に憧れ、
・憧れたがゆえに局中法度で変に規律を守ろうとして、背いたら仲間であっても殺す。
・更には尊皇攘夷派の人間を池田屋事件で殺害し明治維新を数年遅らせた。
・その後大政奉還が終わった後も、無意味に「武士らしくあろう」として抵抗して死んでいった。
というものです。(間違ってたら指摘してください)
日本の歴史上それほど大きなエポックメーキングな事件を起こしたわけでもなく、かと言って、信長や竜馬のように、「ああ、もっと生きていてくれれば、日本をどんな風に変えてくれるだろう」という期待が持てる人物というわけでもない(と、自分は思っています)。
新撰組ファンの方、一言で語ってくれても良いですし、長く熱く語ってくれても構わないので、教えてください。(決して新撰組批判を目的とはしていません)
ちなみに、評判の高い「燃えよ剣」は過去に2度ほど読もうとしましたが、2度とも途中挫折してしまいました。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
時流に逆らい、鉄の規則に縛られた緊張した日々を送り、『武士らしくあろう』として無意味に死んでいく・・・というのは、ある人が見れば間抜けかもしれませんが、また別の人から見ればたまらなく魅力的で共感できる生き方だったりするのかもしれませんね。
一般に新選組というと『倒れゆく幕府のために戦い続け、節義を守り抜いて散っていった』という悲壮美みたいなものが、やっぱり一番の魅力なんだろうと思いますが・・・
ただ、私は二十年くらい前に『燃えよ剣』を読んで土方歳三のファンになったというありがちな人間なんですが、私にとって土方歳三の魅力というのは『悲壮美』という暗いものではなく、もっと明色な感じです。
すなわち、もともと田舎剣術に励んでいたに過ぎない農民の子が、時代の混乱に乗じて成り上がったというサクセスストーリー。アメリカンドリーム。そういう明るい痛快さを感じます。
倒幕側の人間は新選組の中でも特に土方を怖れ、彼が隊士を率いて巡察にくると蜘蛛の子を散らすように逃げたと言いますが・・・もとこれ単なる農民剣客だったにもかかわらず、威風堂々と京の町を闊歩する土方さんはさぞかし気持ち良かったろうなあと、その場面を想像すると思わずニマニマしてしまいます。
またこの人は、真剣を握っての個人的な戦闘力はもちろんのこと、新選組の実務を掌握するチームリーダーとしても、後には京都時代とは少し違う『戦争の指揮官』としても能力を発揮したそうで、そういう多才ぶりにも惹かれます。腕も立つし頭も切れる、度胸は据わってるしおまけに美男子で女にもモテる、私も『男はかくあらねば』と思った一人です(笑)。
土方歳三個人のことばかり書きましたが、近藤勇や沖田総司についてもおおむね似たように感じます。剣の腕だけを頼りに混乱に乗じてのし上がった彼らについては、悲惨な末路に同情するよりは『よくやったなあ、痛快だったろうなあ、それなりに本望だったろうなあ』という感じですか。
彼らの行動が正しかったのか、歴史的意義はあったのかとなるとこれはまた別の課題でしょうし、私にはその辺りはよくわかりませんが・・・新選組には『男のロマン』みたいなものをついつい感じてしまいます(笑)。
サクセスストーリーという観点は気付きませんでした。農民から関白まで登りつめた秀吉人気と同じですね。
>悲惨な末路に同情するよりは(以下、略)
この感想は、なるほど!と思いました。
そういう視点で新撰組を見てる方も多いのですね。善悪だけではない魅力を感じている事が分かりました。
回答して頂きありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
私は、地理的にいえば薩長側の人間になります。
しかも、ご先祖様がほんの少し明治維新に関ってたらしいです…。でも、新撰組が大好きです。もちろん薩長側の人達も好きですが、新選組ほどではないですよ。
確かに新選組は教科書に載るほどの大活躍もしていないし、明治維新の邪魔になったのかもしれないし、
別に新選組は時代に必要とされてなかったんじゃないか…
と思うかもしれません。私も新選組ファンではありますが、そういう
一面もあることは否定しません。でも、時代の役に立つことが全てではない、と私は思います。
結果的には意味のないことでも、彼らは己の信念を貫いて真っ直ぐに生きただけだと思います。
そこが魅力なのではないでしょうか??個人的にはそういうところが好きだなァ、カッコいいなァって思います。
ちなみに、池田屋事件で明治維新が数年遅れた、といわれていますが、
逆に池田屋事件で明治維新が数年早まったと考える学者さんもいるんですよ!!
池田屋事件が起こって、長州の人達を逆に勢いづけてしまった。ということらしいです。
この回答への補足
最後にまとめて皆さんに・・・たくさんの回答を頂き、有難うございました。
自分が勘違いしていたこと、気付かなかった見方を教えて頂き、大変参考になりました。
皆さんに教えていただいた点に注意しながら、もう一度だけ「燃えよ剣」にチャレンジしてみようと思います。
それでもやはり魅力を感じれないようだったら・・・諦めます。
>でも、時代の役に立つことが全てではない(以下、略)
そうですね、言われてみると改めて気付きました。
歴史的に意味があるかどうかだけではなく、「信念を貫く」という事が難しいからこそそういう生き方に憧れる人が多いようですね。
>逆に池田屋事件で(以下、略)
他の回答者さんにも教えていただきましたが、「早めた」という見方もあるようですね。今回の質問で初めて知りました。池田屋事件で「同士の仇討ちを!」という機運が高まったとも考えられますね。
回答して頂き、ありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
回答者のなかには私の尊敬するかたもおれれるのでどうかと思いましたが幾つか気になる点について補足いたします。
そもそも新選組は幕府にとって目障りな勤王攘夷派の浪士を弾圧する為の緊急避難的手段で、対抗する傭兵として組織されたものです。
この為思想も信条も種々雑多な集団で、中には勤王派も含まれている位でした。
目的が目的なだけに剣術の腕は一応確かだったとおもわれます。
従って武士出身のものと半農の郷士(近藤、土方などの至衛舘出身者など)が混在していたのです。
この為京都に到着すると直ちに思想的対立が生まれ内部抗争の末思想的にも単純で実力のある郷士組が勝利したのが新選組に組織変更された結果でした。
かれらは隊旗にあるように佐幕一筋の「誠」に忠実であろうとしただけです。
当時の尊皇派の浪士は多く学問や口説の徒で武力的には経験不足で実戦の経験もないのが普通でした。
これに対し新選組は法度に違反した隊士の切腹の介錯を新入りの隊士の訓練に利用する等実戦的な訓練を積み重ね、出動の際は籠手脛当て、胴丸など防具も十分でしたからその強力さは格段に勝っていたのです。
それでも思想的な対立は近藤が3000石の旗本格に取り立てられる末期に顕著になり一部の隊士は分裂離脱しました。
このような実態を理解したうえでのご議論を希望します。
ss79さん、再度回答して頂き有難うございます。
>この為思想も信条も種々雑多な集団で、中には勤王派も含まれている位でした。
勤皇派まで居たとは知りませんでした。やはり隊のやろうとしていることに疑問を抱く隊士は多かったのでしょう。
>このような実態を理解したうえでのご議論を希望します。
ss79さんは分かってらっしゃるかもしれませんが、議論と言っても、決してこの質問は「新撰組の善悪、白黒はっきりさせよう!」という意図のものではありません。
「新撰組ファンの方がそれぞれどのように捉え、どのような点に魅力を感じるかを教えて頂きたい」というものです。
もちろん、誤った認識、先入観、誤解を指摘して頂くのは大歓迎です。
No.13
- 回答日時:
つまり、思想等ではなく、剣としての鋭さ、機能性の高さに彼らの魅力があるのではないでしょうか。
彼らは、確かに剣としては最高でした。
強靭で鋭利、機能的。
非情であるがゆえに合理的で、ひとつひとつの目的を遂行するという点において優秀でした。
大きな目標、イデオロギーに関する点ではしばしば目標を見失いがちだった事は本人達も自覚していたのか、「やりたかった事はこんな事ではない」と彼らが考えていたのでは、という意見もあります。
「剣」の強さへの憧れ・・・No.1のR34TOPGUNさんと同じような考えという事でしょうか?
>大きな目標、イデオロギーに関する点では(以下、略)
やはり隊士の中にも疑問を抱いていた人がいたのですね。
だからこそ脱走者が多かったのでしょう。
回答して頂きありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
何度もすみません。
No.8です。私も、NO.10の方と同じく、イデオロギーや社会倫理、公共の幸福等と切り離して、田舎もの集団のサクセスストーリーという視点で捉えています。
>結局、目の前の「食い扶持」が目当ての集団であり、理想を掲げた人達ってわけではない印象です。
これは、私もそのつもりでNO.8の回答を書きました。
当初は義のためが半分、喰うためが半分、と解釈しております。
後に、どちらかの思想に偏ってしまうという事はあるでしょうが、純粋にどちらか一方だけの動機であるという事もなかなか無いかと。
また、彼らは基本的には思想集団ではなく、行動集団だと捉えております。
「国を守りたい」という思いで軍隊に入ったとしても、イデオロギーや正義を思考するのは政治家であり、軍はその剣にすぎない、という理屈と同じかなと考えます。頭が間違えば剣も間違います。
>両者に明確な理想と言うかビジョンがあったように思えず、単に意地になって戦った印象です。
生き延びた隊士もいるのだから、土方も家族と平凡な幸せを求める道を選ぶのも良かったのでは?と思ってしまいます。
意地になって戦ったところにロマンを感じているのかも。
最期まで初志を貫徹した、という点において。
正しさとは相対的なものですし、内容の正否は問題ではないのかもしれません。
また、土方は、平凡な家庭を持ち平凡な生涯を送る、という事をしたくなかったからこそ、京都へ行ったのだと解釈しております。
28にもなって職にも就かず、農家にあって農業を手伝わない土方は、そのままでは居場所がなかったと思います。
じゃあそこで地道に働こう、と考える人間であったのなら、28歳になるのを待たずに仕事に就いていたと思います。
個人的な推測ですが。
再度回答して頂きありがとうございます。
やはり、サクセスストーリーという所に痛快さというか、面白さを感じるのですね。この視点は全く気付きませんでした。
>また、土方は、平凡な家庭を持ち平凡な生涯を送る(以下、略)
言われてみればそうですね。
そういう平凡さを求めるのではなく、敢えて困難な道を選び最後まで自分の意思を貫いたところに「ロマン」を感じ、魅力を感じているのだという皆さんの意見が何となく分かってきました。
No.11
- 回答日時:
No.7です。
さらに回答を重ねようと思ったのですが、No.8の方にほとんどいわれてしまいました(笑)。新選組の見え方については小説的な見方をすれば「正義対悪」になるのでしょうし、歴史的な見方をすれば「正義だの悪だのと言う二極対立ではなく、もっと別なところに魅力がある」という事になると思います。
>幕府が存続して諸外国に対抗できるか?と言う視点
これについては、特に佐幕側だけが責めを負うのは「贔屓の引き倒し」というものでしょう。薩摩も長州も「対外姿勢については似たり寄ったり」でしたから。むしろ幕府の方が「いたずらに攘夷を唱えるよりも、開国の上通商によって力を蓄え、しかる後に一国として自立するビジョン」を持っておりました(ご存じないと思いますが)。
そう言う意味では「自らの野望の為に、いたずらに国内に戦乱を招き国力を低下させた薩長」こそ海外を見据えていなかったと言えます。
小説を元に歴史を見るのも楽しいものですが、もう少し「偏らない視点」も必要かもしれませんよ。一概に幕府側を持ち上げる訳にもいきませんが、必要以上におとしめる事もないのではありませんか?
再度回答して頂きありがとうございます。
>むしろ幕府の方が(以下、略)
はい、全く知りませんでした。恥ずかしながら「佐幕派は既得権益を守る事しか頭になかったのんじゃない?」くらいに思っていました。
>小説を元に歴史を見るのも楽しいものですが(以下、略)
はい、仰るとおりです。ご指摘有難うございました。
No.8
- 回答日時:
自己犠牲、殉職的ロマンチシズムもあるでしょうが、個人的には
「正しいこと=憧れの対象」
とは限らないからではないかと思います。
ダークヒーローという存在もありますし、正しさと人気は別のものなのではないでしょうか。
良くも悪くも、目に留まる存在ではあったと思います。
かく言う私は、現代の感覚で判断すれば新撰組は正義ではない、と思います。
従来の小説的な新撰組像ではなく、歴史として捉えた新撰組を、質問者さまの掲げたイメージに一つ一つ垂らし合わせながら述べさせてください。
但し、これもひとつの考え方に過ぎず、これのみが正解であると言うつもりはありません。
まずは
・幕藩体制を終わらせ天皇中心の政治に動こうとしている時代の流れを読めずに、
ですが、これは、新撰組の起源に鍵があると考えます。
彼らは、時代の流れが読めなかったというよりは、むしろその潮流を感じていたからこそ、焦って「時代の流れがどうであろうと、それに逆らおうとした」のだと考えられます。
彼らの母体である試衛館一派は、多摩の富裕層の支援を受けて京へ送り出されました。
御料(幕府直轄領)である多摩で富裕であるという事は、即ち幕府からの恩恵を受けているからこその地位と財産であるという事です。
幕府に代わって直接の地方自治を請け負う代わりに、幕府から特権としてそれらを保障されていたのです。
彼らは当然、幕府が無くなり、支配体制が変われば、その在来特権は剥奪されると予測するでしょう。
だからこそ、新撰組を支援し、京都へ行ってからも物心両面で支援をし続けたのだと思われます。
また、浪士組に参加した人たちには、食い詰めた人が多かったといいます。
つまり、彼らにとっては、義のためでもあり、自分たちの明日のご飯のためでもあったわけです。
次に、
・農民が武士に憧れ、
・憧れたがゆえに局中法度で変に規律を守ろうとして、背いたら仲間であっても殺す
ですが、農民が武士に憧れた事自体は否定しません。
しかし、土方以外は一応は武士の端にひっかかっていたので、新撰組という集団が全員で武士に憧れていたかと言うと疑問です。
逆に言うと、武士に憧れていたのは近藤と土方くらいで、後は食い扶持や活躍の場を求めていただけかもしれません。後には彼らの目標がひとつになったとしても。
局中法度という名の規律が実際にあったわけではありませんが、似たような決まりごとは確かにいくつか存在したようです。
それらをあそこまで執拗に遵守させようとしたのは、単純に武士たらんとした、という精神性のみではなく、ならず者の集団を纏め上げるための手段としての恐怖政治、ととらえる事もできます。
集団行動を取るなどとは考えたこともない、何の訓練も受けてない個人主義の権化のような連中(武士は基本的に個人主義です)を、集団としてまとめ、ひとつの組織として機能させなくてはならない。そのために選んだ道が、あの過酷な罰則であったと考えれば、筋は通ります。
若く力のある、訓練を受けたことの無い暴れ馬を、軍馬として使わなくてはならない状況を考えてみるとしっくりくるのではないでしょうか。
そのやり方が正しいとは思いませんが。(ですので、京都時代の新撰組が好きな方は、ダークヒーロー的な感覚で捉えているのかな、と感じました。)
次の、
・更には尊皇攘夷派の人間を池田屋事件で殺害し明治維新を数年遅らせた。
ですが、池田屋事件に関しては、その事件によって攘夷派が激怒し、より苛烈な決意を抱いて復讐戦的に行動を起こしたので、逆に維新を早めた、との見方もあります。新撰組ファンにとっては複雑でしょうが。
・その後大政奉還が終わった後も、無意味に「武士らしくあろう」として抵抗して死んでいった。
近藤に関しては「武士らしく死ぬこと」は、彼を支えにしていた人々や彼を応援してしまった人々からすれば半ば義務のようなものなので無意味とは言いかねますが、下っ端の隊士達の命が戦争で落とされたのは残念です。
土方は、生きていてもすぐに殺されそうだ(戦犯としてか、復讐されてか)というのが大方の予測ですし、本人もそう考えていたのではないでしょうか。
ならばせめて、という事でしたら分かる気がします。
土方以外の隊士達はまとめて降伏し、命を許されたので、明治以降も生きています。
小説のイメージから新撰組が好きなのか、歴史として見て好きなのかによっても違ってくるでしょうが、小説から得られるイメージは、質問者様のおっしゃるものが一般的だと思います。
歴史として興味を持っている私一個人の理由は、上記の見解を踏まえた上で、以下の通りです。
新撰組は、当時数多存在した、似たような集団のうちのひとつに過ぎないと思います。それが、たまたまある程度成功したため、クローズアップされただけかと。
そして、たまたまクローズアップされた群像が、思いのほか人間臭く、現代に通じる感覚を共有でき、ドラマチックだったために、人々の心を捉えたのではないでしょうか。
結果として何を成し遂げたかよりも、そこに至るまでの経緯に興味深い部分が沢山あり、非常に魅力的な集団であることは否定できません。
目的が殺人だったとしても、武士の常識になかった複数対一人という戦法で味方の死者を減らし戦果をあげたことは革新的ですし、藩程度の組織で始めて存在する監察方、勘定方といった戦闘部隊以外の部署をひとつの私的集団の中に設け、内部で全てを賄っていた事は驚異的です。
そうした種々の小さな、しかし興味深い革新が、歴史好きである私の心をくすぐります。
正義かどうかと聞かれれば、歴史は正義か悪かでは計れない、という月並みな言葉を返すかもしれません。
まとまりの無い意見で申し訳ありません。
>正しさと人気は別のものなのではないでしょうか。
はい、言われてみるとその通りですね。現代でも正論が必ずしも受け入れられるとは限りませんね。
>むしろその潮流を感じていたからこそ(以下、略)
倒幕の機運があることは感じていたと思いますが、「幕府が存続して諸外国に対抗出来るか?」という問題意識は無かったのでは?と思っています。結局、目の前の「食い扶持」が目当ての集団であり、理想を掲げた人達ってわけではない印象です。
>土方以外は一応は武士の端にひっかかっていた(以下、略)
あっ、そうなのですか、知りませんでした。「道場で剣術を習った者は多かったがほとんどが農民」と勘違いしていました。
>土方以外の隊士達はまとめて降伏し、命を許されたので、明治以降も生きています。
明治以降も生きていた方もいるようですね。だからこそ、近藤にしても土方にしても、残念です。両者に明確な理想と言うかビジョンがあったように思えず、単に意地になって戦った印象です。
生き延びた隊士もいるのだから、土方も家族と平凡な幸せを求める道を選ぶのも良かったのでは?と思ってしまいます。
・・・と書きましたが、そう理想通りではないからこそ「人間臭さ」を感じて新撰組に魅力を感じる人が多いのでしょうね。
回答して頂きありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
私は薩長のような「テロリズム」は大嫌いで(心情は理解しますが)、目的が高邁で有れば手段は問わないというのは「運動として下の下」だと思っております。
京の街に放火をして・・・、とかですね。ましてや蛤御門の変に見られる「天皇を拐かして自らに正当性を与」など許されざる事だと思っております(少なくとも「尊皇」を唱えるので有れば)。私の好きな言葉に、「風が変われば雲も変わる。その雲を守るのは器が小さい(正確ではありません)」という言葉があります。風、すなわち時代の変化によって「守るべき物を変えてしまう」というのは、私は好ましいとは思いません。時代が変わっても変わらないもの(友情や自らが認めた主君など)を守る人間でありたいと自分は思います。
多摩は元々天領として尚武の気風があります。現代でいえば「予備役兵」です。単に「武士にあこがれた農民」ではないのです。
新選組という組織は試衛館組を中核に構成されましたが、洛中を騒がせた不逞浪士や、新規参入組との扱いにおいて「鉄の規律」は必要不可欠でした。洛中の治安維持部隊として自律を内外に示さねば、市民の支持や組織の維持はおそらく不可能だったでしょう。
近年の腐敗公務員や、帝国時代のアジア侵略政策を見ると、一概に「明治維新=正しい事」と私には思えません。ましてや薩摩の「とにかく倒幕」という姿勢は正に「武士にあるまじき行為」と考えています(私の先祖が佐幕と言うのも関係有りますが)。いかに高邁な理想が有ろうと、市中に火を放つ、重要人物を誘拐する、公文書を偽造するような「不逞の輩」は取り締まられるべきと考えます。
武士の本分は「一所懸命」です。死ぬ事と見つけたりなどという人もいますが、要は「命懸けで何かをなす」という事です。時代が変わったから敵にしっぽを振って生き延びようというも「武士にあるまじき行為」でしょう。
田原坂の戦いで活躍した、政府警官抜刀隊についても勉強されてはいかがでしょうか。少しは「武士」という生き方をご理解いただけると思いますが。
回答有難うございます。
>単に「武士にあこがれた農民」ではないのです。
との事ですが、つまり兵農分離されていない戦国時代までの農民のような人たちって事でしょうか?
平和な時代だからこそ刺激やステイタスを求めて武士に憧れていた人達?
>ましてや薩摩の「とにかく倒幕」という(以下、略)
はい、自分もこの点は同感です。まさに「勝てば官軍」なやり方には好感が持てません。
しかし、だからと言って新撰組が正当化されるものでもないように思えるのですが・・・。
>田原坂の戦い(以下、略)
推奨、ありがとうございます。西南戦争の頃のお話ですよね? 恥ずかしながらその時代については全くと言っていいほど知りません。田原坂も名前は聞いた事あるって程度ですので、今度折を見て勉強してみようかと思います。
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