単二電池

最近めっきりはやらなくなりましたが、かつて自衛隊は違憲って力いっぱい主張していた人々がいましたよね。
今でも熱心に主張している人はいらっしゃるのでしょうか?
もしいらっしゃれば、憲法全体を見渡して、具体的にどの部分が違憲なのか教えていただきたいと思います。
逆に、昔は違憲だと思っていたけど、今はそう思わなくなったという方がいらっしゃれば、どうしてそう思うようになったのか、教えていただけますでしょうか?

A 回答 (23件中11~20件)

#8、ちょっと気になったので、さらに追加ですが、



他の方が書かれているように、改憲論議は別として、
他国に攻められた時にどうするか、という現実論も別として、
純粋に違憲か合憲か、という議論になれば、どこをどう押しても、合憲という結論は出てきません。

しかし現実に自衛隊は存在して、国家予算で経費がまかなわれているため、それを正当化する「屁理屈」が必要になります。
「屁理屈」が「屁理屈」であることを「屁理屈」をいう人たちが理解しているため、「改憲して、屁理屈を言わなくていいようにしよう」という話になるのです。
これが「事実」であり、「原因と結果」です。

若い人たちは、どうしても戦争を観念として考えますが、それが許されるのは、ごく少数の政治家と軍の高級官僚だけです。
質問者の方を含め、国民の99%以上の人たちにとっては、戦争は敵兵を殺すことであり、敵兵に自分が殺されることであり、銃後にあっても、空から降ってくる爆弾によって、四肢ばらばらに吹き飛ばされることです。
そうして、数百万人の国民が死んでも、軍需産業は肥え太ります。
前も書きましたが、質問者の方は、自分の黒こげ死体が路端に放置され、あげく穴を掘られて数十体の同じような黒こげ死体と一緒に放り込まれて、上から土をかけられるイメージを想像してみてください。
わずか五十数年前、この日本で、そういうことが日常的に行われていたのです。

半世紀経ちましたが、国民にとって、太平洋戦争の傷口はまだ癒えていないと思います。
改憲論議が国民の間でイマイチ盛り上がらないという現実は、いいかえれば、日本人が、自分の国の政府を、完全には信用していないということなのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>わずか五十数年前、この日本で、そういうことが日常的に行われていたのです。
確かに戦争は悲惨ですが、せざるを得ない戦争もあると思います。悲惨だから避けるというのはちょっと違う気が・・・。ただ、今回の話題とは違うのでこれ以上はやめておきます。

>どこをどう押しても、合憲という結論は出てきません。
私が疑問なのはまさにこの点です。
何で「どこをどう押しても」なのか?まさにこれが疑問点なのです。

お礼日時:2006/10/24 22:53

#8ですが、



> 国権の発動たる戦争を放棄しているだけではないのでしょうか。

国権の発動でない戦争はありません。
国家と国家の戦闘が戦争です。
そうでないものは、私闘です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>国家と国家の戦闘が戦争です。そうでないものは、私闘です。
テロも私闘なのでしょうか。そうであれば、私闘に備えた軍隊は合憲ではないでしょうか。
>国権の発動でない戦争はありません。
そもそも、なぜ単純に「戦争を放棄」ではなく、「国権の発動たる」という形容詞句があるのでしょう。ここを吟味する必要があると思うのですが。

お礼日時:2006/10/24 18:46

憲法9条が規定しているものは、



・自衛権の否定?
・戦力保持の否定?
・戦力の規定?(排除の為最小限~近代戦争遂行能力など)

との論議がありました。

「自衛権」は否定されておらず、何らかの対応をすることは可能であるとされています。

つぎに、戦力の保持は否定されており、ならば、「戦力とは何か」ということになります。

政府解釈は、時代と周辺国との関係により、2転3転しています。年々、兵器の性能が向上し、近代兵器も出現してきていて、「自衛」の概念自体が相対的に変化しているものと思います。

憲法学者においては、憲法が戦力の保持を否定しているので、自衛隊は戦力に他ならず、違憲であるとの見解が一般的ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>年々、兵器の性能が向上し、近代兵器も出現してきていて、「自衛」の概念自体が相対的に変化しているものと思います。
おっしゃるとおりですね。なので、解釈もその時代に応じて変更されてしかるべきだと思います。
違憲派の方々は「素直に読めば違憲」ということをよくおっしゃるのですが、これだけ概念が変化している時代ですので、言葉の定義も固定されるものではないと思うのですが。

お礼日時:2006/10/24 18:19

 自衛隊が合憲か違憲かを最終的に判断するのは最高裁です。

しかしまだ、私の知る限りではこの問題が裁判になったことはないと思います。なぜなら、裁判に持ち込んで自分の主張と逆の判決が出ることを恐れるからだと思います。憲法は戦力を禁じていますが自衛隊は他国の正規の軍隊に劣るものではありません。だから政府は憲法上まずいので自衛隊を戦力ではなく実力と称しています。
 憲法を素直に読めば自衛隊が禁じられた戦力に当たることは明白でしょうが、政府は解釈を変えて「自衛隊は合憲である」立場を維持してきました。しかし、その理屈も限界に近づき、アメリカからの海外派兵の要請もあって、憲法改正の動きになってきたものと思われます。
 憲法改正は国民投票で過半数の賛成が必要ですから、これから改正派、護憲派のせめぎあいが活発になってくるでしょう。「海外に出て戦争すること」の是非をじっくり考えたいものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>しかし、その理屈も限界に近づき、
ですよね。かなり苦しいはずです。
>憲法改正は国民投票で過半数の賛成が必要ですから、これから改正派、護憲派のせめぎあいが活発になってくるでしょう。
私もそう思います。ただ、これは改憲vs護憲の話ですよね。合憲vs違憲とは別の議論のはずなんです。でも、実態は、合憲派≒改憲派、違憲派≒護憲派のような気がしてなりません。逆じゃないの?というのが私の疑問の根本です。

お礼日時:2006/10/24 18:15

回答を読むときに注意して欲しいのですが、


  ・自衛隊は憲法に違反しているか否か

  ・防衛力は必要か否か
は全くベクトルの異なる問題であることに留意して欲しいです。

実は憲法にかかわる議論はいろんな面でそうなりやすいんですが、
ことに憲法9条は、解釈論とイデオロギーのぶつかり合いと現実論を
きちんと峻別できずにごちゃごちゃしたままで進みやすいので…

…現にそうなってきている危機感があります…
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純粋に違憲か違憲でないかという議論であれば、憲法はそもそも戦争を放棄しているのですから、違憲でしょうね。



ただ、元々日本人には極めて「東洋的」な、
「法律というものは、お上が決めるもの」という無責任な感覚があって、いわいる「ムラの掟や社会規範」とは区別している側面があります。
その点、自然村の掟がそのまま法律になっている欧米法とは異質です。

たとえば法律が現実に合わなくても、特に問題が起こらないなら、そのままにしておけばよい、ということになります。
「さわらぬ神に祟りなし」ということです。

今、憲法と自衛隊に整合性がとれないにもかかわらず、いま一歩改正論議が盛り上がらないのも、その流れの中にあると思います。
それは別な角度から見れば、今明確に自衛隊を合憲とすると、

戦争好きな人たちが調子に乗るのではないか、
三菱重工を筆頭とする軍需産業が、肥え太り、国民の負担が無意味に増大するのではないか、
兵器輸出で、世界の大量殺戮に手を貸すことになるのではないか、

という恐れだと思いますし、それが日本人のバランス感覚だと思います。

なんといっても、太平洋戦争の記憶はまだ生々しいですからね。
質問者の方も、自分が黒こげの死体になって、道路端に転がりたくはないでしょうし、外国の人がそうやって死んでゆくのに手を貸したくもないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>純粋に違憲か違憲でないかという議論であれば、憲法はそもそも戦争を放棄しているのですから、違憲でしょうね。
ただちに戦争を放棄しているのでしょうか?国権の発動たる戦争を放棄しているだけではないのでしょうか。このあたりを疑問に思っています。

お礼日時:2006/10/24 17:39

 自衛隊の違憲論者と合憲論者との間に、根本的な食い違いがあります。



 たとえば掲示板などでは、違憲論者が「憲法で定められてるんだから自衛隊は違憲だ」という言い方をしているように書かれていることがありますが、客観的に見るとこれはおかしいですよね。

 「実際に攻め込まれたらどうするのか?」という問いに答える意思が全く感じられません。
 いうなれば、アルカイダのような「圧倒的な武力を持ち、かつ外交が通用しない相手」といった組織が存在しないと信じているかのようです。
 なんか、最後には「戦争を回避するのが国の仕事だろう。何とかしろ」と押し切ってしまいそうな感じです。

 ヤフーで軽く検索してみたんですが、違憲論者は圧倒的にマイナーで、その真意を推し量るのはかなり困難でした。
 ほとんどが「日本は軍力を持たないというルールだから」とか「イラク派兵はよくないことだと思うから」という頓珍漢な回答が並べられているだけです。

 とすると――。
 当然の疑問として、本当は違憲論者は、「いけないことだからいけないんだ」なんてことを言いたいのではないのではないか……?
 という疑問が出てくるわけです。
 違憲論者だって、生きて呼吸する人間のはずですから、それなりの理論を持っているはずです。居酒屋で理屈の通らないことを言うトンデモ論者じゃないんですから。

 ところが。
 この疑問に真っ向から立ち向かえる回答が、ウェブ上にはありません。
 少なくとも、俺が今(および過去)に検索した範囲では。

 これの意味するところは何か。
 俺なりに考えてみた答えとしては、「本当は真の違憲論者なんて存在しないんじゃないか?」ということです。
 合憲論者が「じゃあ自衛隊を軍に戻しちゃおうよ」とか言い出さないように、ギリギリのところでブレーキをかけるために、自分達で生み出した架空の存在じゃないかという気がするわけです。

 たしかに、自衛隊が軍に戻るとなると危険です。
 爆撃機を装備してみたり、ファイティングファルコンにフェニックスのマウンターを付けてみたりすると、ちょっとただ事ではありません。
 相手国に「日本は戦争する準備がある」とみなされてしまい、下手をすると本当に戦争を仕かけられてしまいます。

 そうならないように、日本国民が自分で自分にブレーキをかけるために生み出したのがいわゆる「違憲論者」なのではないかと、ちょっと思いました。
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違憲だが合法であると言う煙に巻く存在だったのでは?

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>憲法全体を見渡して、具体的にどの部分が違憲なのか教えていただきたいと



教えて貰わなくても、憲法を読めば誰でも違憲だとわかるでしょう。
違憲だけど自衛隊は必要だというのが世論でしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>教えて貰わなくても、憲法を読めば誰でも違憲だとわかるでしょう。
それが、憲法をいくら読んでも分かりません。
もし、違憲なのであれば、日本に武官は存在しないはずなのに、第66条第2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」とあります。
この規定は軍隊の存在が前提でなければ意味をなしません。
なので、質問文には「憲法全体を見渡して」と記しました。
私の考え方がおかしいのでしょうか?

補足日時:2006/10/24 17:26
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1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これを厳密に見れば、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」とあるので、持つこと自体は違憲ではないことになりそうです。
しかし、武力を使用できない(持った瞬間、違憲となる)ので、持っている意味がない、となります。また、「武力の行使」がどこまでの範囲かが不明確ですが、解釈の仕方によっては訓練もしてはならない、ということになりかねません。

> 今でも熱心に主張している人はいらっしゃるのでしょうか?

現在の政党では、社民・共産ですね。あとは、市民団体を名乗っているところとかですね。こういったところは、かつて革マル派なども含む革新・左翼系の団体が日本国民の支持を受けられなくなって衰退していった際、それまでのイメージを脱するためにそういった団体に所属したり、もしくは新しく市民団体を立ち上げたりしたのが始まりだったりするので、そういった主張になりがちです。

最近では、「つくる会の教科書採択に反対する杉並・親の会」のバックに、革マル派がいることが明らかになったらしいですが、そんな感じらしいです。
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