
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
最初に断っておきますが、私は歴史の専門家ではないのであくまで推測のお話です。
近代になってマルクス史観が輸入されて以降、農民は為政者から搾取されていたはずだという先入観から、農民の生活を必要以上に悪く想像している人が多いようですが、日本の農民は西洋のいわゆる農奴と違い、比較的おおらかな統治を受けていたようです。
当時の税制は租庸調といって、お金と労働力と貢ぎ物の形で納税していました。国分寺や大仏を建立するときには当然労働力が必要になりますので、庸の部分が多くなります。しかしそのかわり租や調の負担が軽くなりますので、必ずしも生活が苦しくなったとは言えないでしょう。
むしろ、国分寺や大仏建立が果たす精神的役割のほうが大きかったと思います。
ご存じのように、当時流行していた疫病を祓うために国分寺や大仏は建立されました。現代と違い、当時は疫病は一種のたたりや怨霊の仕業と信じられていました。
国分寺や大仏が建立されている間に疫病が下火になれば、民衆はありがたい仏様の御利益だと思った事でしょう。聖武天皇という諡号や光明皇后のエピソードからして、実際に疫病が下火になったのではないかと思います。
今でこそ、怨霊だたたりだなどと言えば笑われてしまいますが、当時は非常に切実で生活に密着したものでした。
仮に国分寺や大仏建立によって生活が多少苦しくなったとしても、疫病の恐怖から救われたことで精神的な余裕が生まれ、むしろ生活は楽になったという可能性も十分考えられます。
No.1
- 回答日時:
良くはなりませんよ。
むしろ悪くなったという方が正しいです。
たぶん奈良 東大寺の大仏の建造の事だと思いますが、東大寺は、その時に全国で作られた国分寺、国分尼寺の中心として作られています。
この東大寺、国分寺、国文尼寺の建設には、一般民衆がかり出されています。
一般民衆の普段の仕事は、主に農業ですが、かり出された期間は、農作業は出来ませんので収入は減ります。
一方大仏の建造のために寄付をした貴族には、この時に新たに田畑を作ったら、それを私有化する事が認められるようになりました。
(それまでは、全ての土地は天皇のものであった)
貴族の土地で働く民衆は、従来の国に払う税に加えて、貴族にも税を払うことが必要になります。
従って、民衆の収入は減る一方です。
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