単二電池

八・一宣言に共鳴して張学良が西安事件をおこし蒋介石を監禁した際に、張学良が共産党と協力して抗日するべき、と説得しても蒋介石は頑なに張学良に取り合わず、そこで共産党の周恩来がきてなにかを話したところ、たちどころに蒋介石が態度をかえて抗日に動き出したという裏話的な話を聞いたのですが、この時周恩来がなんといったかは現在分かっていることなのでしょうか?もし分かっているならそれはどういう内容だったのでしょうか?教えてください。

A 回答 (1件)

周恩来は蒋介石に「蒋経国を帰国させる」とスターリンの条件を伝え、国共合作して日本軍と戦おうと言いました。

蒋介石はこの条件を受け容れて解放され、南京へ帰還しました。

この経緯の背景は次の通りです。

事件の前から、蒋介石の息子の蒋経国がモスクワに留学していました。しかし、蒋親子が帰国を希望してもソ連共産党のスターリンが帰国を認めないという状況が続いていました。蒋経国は事実上、スターリンの人質でした。

またスターリンは事件前から毛沢東と蒋介石が手を組んで日本軍と戦うことを望んでいました。一方、毛沢東は、自分を攻撃する蒋介石を憎み、機会があれば殺したいと考えていました。しかしスターリンは、「蒋介石を殺すな。息子の帰国を条件に彼を解放しろ」と毛沢東に命令したのです。

張学良が蒋介石監禁に成功したので毛沢東は蒋介石を殺したかったのですが、日本軍と戦うには毛沢東は力不足で蒋介石の方が役に立つと考えるスターリンには逆らえませんでした。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって本当にごめんなさい。
そうだったんですか。なんか女性関係とかばれちゃやばいことで脅されてたのかと思いました。ありがとうございます!!

お礼日時:2006/11/29 00:48

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