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中国の城郭都市と日本の城郭都市の違いについて
中国の城郭都市がありますね、市街地に高い城壁がある都市です(西安、南京、etc)、それと日本の大都市の城郭の城壁(堀が一般的ですが 江戸城、名古屋城、大阪城など)に囲まれた区域の違いが判らないので教えてください。
私の理解は 日本の城郭の内側には もちろん城主とそれに仕える人間しか入る事ができず、城主以下は城外に居を構えていると思います。
対して 中国の城郭は城壁内に多くの人が住み 商人なども住んでいる様な形態だと認識していますが違うのでしょうか?

A 回答 (7件)

中国に城郭都市はほとんどないという不思議な回答がありましたので、私も回答します。



中国の都市は城壁で囲まれているのが普通でした。現在では都市開発の邪魔になるので城壁が取り壊されている都市が多いですが。
中国語の「城」はもともと「城壁」の意味ですが、後に「都市」の意味も付け加えられました。これこそ中国の都市が城郭都市である証拠のひとつでしょう。

それに対して日本語の「城」は城壁ではなくて城塞のことを指します。
江戸時代には領主の居館の意味になりました。
江戸時代の日本には城壁で周りを囲まれた都市、つまり城郭都市はありません。
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補足です。



中国の町は(少なくとも清朝末期までは)ほぼ例外なく城壁で囲まれていました。
その数はおよそ1,500と言われます。


日本については小田原や堺の例が挙げられていますが、もっと有名な都市で、全体が防御壁で囲まれていた例があります。

それは他ならない京都で、防御壁は「御土居」(おどい)と呼ばれていました。
(もっとも、この防御壁は永くは存続しませんでしたが...)

御土居についてはネット上に数多くの解説が載っています。
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>>基本的に東洋には城郭都市はあまりありません。

<<
本当に不思議なご意見ですね。私もそんなに詳しくはありませんが、中国の古い時代には結構城郭都市が存在したと思います。日本では特に、後北條氏が小田原の町を9kmの城壁や堀で囲ったことは有名ですね。
秀吉軍は小田原攻めで一歩も、戦いの最中には、城壁内に入れなかったのです。江戸時代にはそのような街の存在は絶対に認められなかったのです。
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 まず、城郭都市という概念に関して精査する必要性がありますが


城郭都市は、西洋・東洋で分ける傾向であって、日本と中国では大差ありません。

西洋の城郭都市は文字とおり、都市全体を城郭で囲ってしまうことで、都市国家が発展したイタリア、ドイツの中世においてよく見られるものです。

しかし、東洋の城郭都市は、要塞・城郭の周囲に都市が存在しており、西洋の城郭都市とは異なります。
まずは、城郭都市の総合的な部分として、日本と中国の城郭都市は似ていると理解してください。
(ちなみに、西安・南京は城郭都市とは言われません)

さて、基本的に東洋には城郭都市はあまりありません。
日本では唯一、堺・博多・石山本願寺などの宗教勢力都市が都市国家であり、城郭都市と言えるでしょうが、それも高い壁があったわけではなく、簡単な堀があったにすぎません。
中国もおおよそ中世以降は同じ傾向ですから、違いがあるとは言えません。

理解されていることに関して言えば、日本の城郭都市は、安土桃山時代以降から城下町が増えてゆきますので、それに前後して状況が変わります。
 つまり、城下町方式では、城下に集落を抱えるようになりますが、それ以前の日本の城下は集落を抱えることがありません。

 中国でも城郭は時代によって変わりますが、日本と同じようなものです。
一般的に、城郭都市としては、西洋のように大規模化したものを指します。
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あなたのご存知ナのは”城下町”であり、”城郭都市”ではないような気がします。

平城京、平安京などは
漢などの城郭都市をまねて建設されたのですが、完全な城郭都市とは呼べないでしょう。
戦国時代の小田原は、旧小田原町の殆どを囲む城壁、土塁などで守られていたので、秀吉軍は一歩も町に入れなかったのです。あとは、初期の大坂、堺などで数は少なかったはずです。
城壁都市は中国ばかりか、ヨーロッパにも結構あります。ドイツでは、”ローテンブルク”、”ゾースト”などは城壁が綺麗に残っています。トリアーやヴォルムス等では一部残っております。ウィーンでは環状道路になっていますね。
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 大平野に立地する中国やヨーロッパでは、異民族の襲来に備え、強固な城壁で市街地を防衛するのは当然でした。

古い話ですが、大学で、壁に囲まれていない都市は、殻のないかたつむりのようなものだと聞かされたことを思い出します。

 日本の場合、川や急峻な断崖に囲まれている場所が選ばれることが多く、市街地の防衛にはこうした自然的障害物が利用されました。しかし、江戸のように平野中央に立地する都市では、城壁ではなく、川やお堀が防衛の主役でした。京都では、秀吉が堤防(御土居)で市街地を囲みました。

 市街地を壁や堀で防御する城郭都市を「総構え」と呼びます。こうした都市は、全国的に広がっています。どんな都市があるか、下記を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%A7%8B% …

 面白いことには、平城京には南面だけ城壁と城門(羅城門)がありました。外国からの使節に見せるためだったようです。

 なお、平城になってから、城郭内には城主の他、藩主の一族や重臣の屋敷が設けられる例も少なくありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。詳しい説明ありがとうございました、「総構え」は初めて知りました、平城京の門はその様ないきさつとは知りませんでした、今ぽつんと建っているあれですよね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/23 23:59

おっしゃる通りで日本の城郭の場合、それは純軍事的な砦としての施設を差します。

その周囲に市民が住む都市が広がります。
一方、中国も含めた海外の城塞都市の場合、都市が丸ごと城となるのです。
北京なんぞは都市計画に基づいて碁盤の目状の道路が通ってますが、欧州などでは道路も複雑怪奇に入り組んでいます。スペインの城塞都市トレドに行ったことがあるのですが、文字通り迷路になっていて、観光客はそこら中で右往左往し、元いた場所に戻るのでさえ道に迷う始末です。

これは言うまでもなく外敵、特に異民族の侵入から身を守るためです。異民族の目的は略奪です。市民から財宝や食料、女を奪えばそれで充分なのです。

日本では異民族の侵入はほとんど受けたことがないので、都市を丸ごと囲ったのは、戦国時代の小田原と堺くらいでした。

都市を丸ごと囲うメリットは前述のように敵から身を守れることです。一方、デメリットとしては、都市のキャパシティがあらかじめ決められるので都市の人口が増えた場合、城壁が邪魔になることです。
多くの現在も残る城塞都市では、城壁の中だった地域を「旧市街」なんて呼んでいます。
ウィーンのようにかつて城壁があった場所は道路となっているケースもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。おおよそ私の見解も見違っていなかったみたいで安心しました、確かに日本には異民族はいませんね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/23 23:54

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