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祖父江新一郎死んじゃいましたね(前回の大河ドラマで一両具足に殺された)。
あれって史実なんでしょうか。

その後、祖父江家はどういう経過をだどるんでしょうか。
五藤家ともども、糟糠の妻ならぬ家臣として、山内家の元勲として、子孫が平和に暮らしたんでしょうか。

A 回答 (4件)

Wikipediaからの引用です。


祖父江家に関しては、新一郎の存在を含め、脚色がなされているようですね。
祖父江家のその後は不明、五島家は幕末まで残っているようです。

祖父江 勘左衛門(そふえ かんざえもん、生没年不詳)は、安土桃山時代の戦国武将。山内一豊に仕えた。実名は不明。本姓は藤原氏。
司馬遼太郎『功名が辻』
当作内では祖父江新右衛門の原型となった。新右衛門は五藤吉兵衛と共に流浪時代の一豊をよく支えた、一種の親代わり的な存在であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6% …

五藤 為浄(ごとう ためきよ、天文22年(1553年)‐天正11年3月3日(1583年4月24日))は、安土桃山時代の戦国武将。山内一豊に仕えた。通称は吉兵衛。五藤基浄の子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%97%A4% …
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この回答へのお礼

先週の大河の最後で、江戸時代一揆があったとき、中村城で祖父江なんとかが城を守ったとか(一瞬だったので聞き逃したんですが)・・・

でも、かなり架空の部分もあるんですねぇ
ちょっとショック

お礼日時:2006/12/02 16:58

「大河ドラマ=史実」と思い込む傾向がありますが、あくまでもドラマです。


史実かどうかは自ら調べましょう。
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「でも、かなり架空の部分もあるんですねぇ」


現在放映中の大河は「史実」ではなく「司馬遼太郎の小説」を映像化したものです。司馬氏の小説を読めば分かりますが、大胆に史実をデフォルメしている作品が大半です。あまり深いことは考えずに、司馬ワールドに浸るのがお勧めです。小説と大河でクローズアップされている「千代」の人間性や行動もほぼ全てが司馬氏の創作です。彼女は、誰の娘かすらあやふやな程で、確実な情報は皆無に近いです。

津本陽氏の作品は、歴史書の文章を書き直したようなものがいくつかありますが、枝葉(余計な情報)が多すぎて読みにくさを感じることが多いです。司馬氏の方がエンターテイナーとしては一枚上かもしれません。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6% …
もう一ページwikiを見てみると、祖父江新一郎のモデル新太郎一秀は、別に死んでないですね。彼こそが大阪冬の陣のとき中村城を守った本人のようです。その後はちょっとわかりません。
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Aベストアンサー

土佐は統治の難地と見られていたようです。
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Aベストアンサー

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2. 「一豊がそれだけの器量が無い、凡庸」と言う見方はかなり当たっていると思われます。この人は、信長・秀吉に長年仕えて、信長や秀吉が天下人になったのでその余慶を受けて、豊臣政権下で5万石の大名になった人です。経歴を調べれば、5万石も惜しいような平凡な武将であったとしか思えません。関ヶ原の合戦の前までの50年間では、歴史に名前が出ることはほとんどありませんでした。
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山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。
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Aベストアンサー

多分次回の功名が辻で放映になると思うんだけど、一豊が土佐に入ったとき長宗我部の遺臣らの激しい抵抗にあったと思うのですが、その抵抗をうまく抑えて、幕末の雄藩として歴史に残る土佐藩の礎を築いた武将。
充分英雄といえるのではないでしょうか。
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ご先祖さまを調べています。士分であれば分限帳に先祖が載っている可能性があるかもと思い、そのような資料があるかどうかを調べていますが行きづまってしまいました。
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その辺の土佐藩士の記録って残っているのでしょうか?

以前から亡くなった祖父にご先祖さまは侍だったと聞いています。
祖父の代には高知を離れていて祖父のいとこも亡くなっていて、親戚筋からの情報はありません。

このようなことに詳しい方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

土佐藩クラスでしたら分限帳(という名称かはわかりませんが)レベルの史料は残っていると思います。

土佐山内家宝物資料館

高知県立歴史民俗資料館

このどちらかに問い合わせてみてはいかがでしょうか。

なお、同苗の藩士もいる可能性がありますので、
実際の閲覧前に除籍をたどって幕末・明治初期のご先祖の本籍と名前を調査されておいた方がよいと思います。

ちなみに土佐には長宗我部検地帳がありますので、分限帳から戦国期までさかのぼることができるかもしれませんね。


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