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 かくありたいという気持ちが強すぎて、いつも自分の考え出した理想の自分を演じようとしてエネルギーを使ってしまい疲れてしまいます。特に、人から嫌われることを極度に恐れ、そうならないように人間関係を良好に保とうとして過度にエネルギーを使い疲れてしまいます。また、いい人を演じるために、そう思われるように人を印象を操作しようとし疲れてしまいます。
 自分自身を、ありのままの自分自身を受け入れれば疲れることも少なくなるように思うのですが、どうしたらよいか悩み、混乱してしまいます。どなたか、アドバイスを頂けませんでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

♯8です。


『気が晴れる心理学』、『どうにもならないときは穴を掘れ』
『無名兵士の言葉』等、というよりなんでも良書です。図書館
等で探してみてください。

人を怖れるのは、人がみんな自分のことを敵視しているのではないか、
と無意識に自分が感じているからです。なぜそう感じてしまう
のでしょうか。それは、自分が世界を敵視しているからです。
自分が周囲を無意識に敵視しているから、周囲も自分を敵視
しているだろう、と無意識に感じるのです。親が世間を敵視
した価値観を持っていると、そういう感じ方、価値観が植えつけられます。もし親の価値観をあなたが絶対視しているなら、
それを疑ってみるべきです。本当にそれはあなた自身の考え方なのか、
もののみかたなのか、言葉なのか、なぜそんなものにいつまでも
拘泥しなければならないのか、そんなものが正しいという理由が
どこにあるのか、そんな価値観、他人をすぐに見下すような価値観によって自分がここまで苦しめられているのに、と疑ってみるべきです。
親から心理的に離乳することにより、自我の形成が始まるのです。
自我の形成により、人は一個の独立した人間になるのです。
自我が形成されていないと、自分が自分の主人になっているとはいいがたいでしょう。自分が自分の主人でない人は、世間から甘く見られるのです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。再度のアドバイスありがとうございます。また、本をご紹介いただきありがとうございます。早速読んでみたいと思います。ご指摘の点、思い当たる節があります。

お礼日時:2007/01/08 13:11

今のご自身と、理想のご自身との間にある距離はどれくらいでしょうか?


その層がというか、距離が厚くなればなるほど、離れれば離れるほど
生き辛さが増していきます。
その距離を縮めることが、最短だと思います。
理想の自分は、どうなりたい、どうありたいご自身なのでしょうか?
そして、その理想にしがみついている理由はどうしてでしょうか?
そして、どうして自分はそうなれないのか・・。
慣れるまでは、大変かも知れませんが
その瞬時瞬時の自分をもうひとりの、俯瞰の自分で観察すると
自分で作った自分へのしがらみや、理想としている自分をどうして創って
いるのか?がわかってくると思います。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html#2
この方法は、画期的な心理療法だと思います。
宗教がらみかと、敬遠されがちですが、
洗脳、勧誘、所属、もないし、無料ですのでお試し下さい。

あと、AC(アダルトチルドレン)という概念に該当されるフシが
あるのでしたら、そちらからのアプローチも有効だと思います。
http://homepage3.nifty.com/bansoukou/ac1.htm

同じ仲間が集う自助会も有効です。
http://www.geocities.jp/eikoreanjapan/tiiki.html

ACで有名な斎藤学(さいとうさとる)先生の本も紹介しておきます。
●「自分のために生きていける」ということ
●アダルトチルドレンと家族
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。アドバイスありがとうございます。HPも参考になりました。ACかもしれませんね。

お礼日時:2007/01/08 13:08

ごめんね。

本は自分で探してごらん。
一応HPを参照にしてね。

時間があれば大きな本屋に足を運んでください
PHP文庫には多くのよい本がありますよ
http://www.php.co.jp/bookstore/

いちいち細かく読む必要はありません。いいなあという言葉だけでも
心に留めておきましょう。日々の習慣をつけること、1ヶ月に1回ぐらいは本屋によりましょう

参考URL:http://www.kato-lab.net/
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなりました。再度のアドバイスありがとうございます。HP参考になりました。

お礼日時:2007/01/08 13:02

私の親も厳格です父が病死し母がグレードアップしてます。


父は厳格とはいえなぜその意見が駄目なのか行動は駄目なのかを納得行くように説明をしていました。
母は厳格と言うより自分の娘を自分のマニュアルの型枠にはめるばかりで、型枠にはまる妹は気に入り、意見する事がある私の事は役立たずと親族に言いふらしてます。
ここ数年私が否定ばかりするので「なんでこうなるかわからん」と言います。
私も疲れました、質問者様もお母様に嫌な事は嫌と言ったほうが今後のためです。
それによって相手が疲れてもそれは今まで質問者様を押さえつけた罰なのですから。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。回答ありがとうございます。親とはもうしばらく会っていません。しかし、その呪縛からはなかなか抜け出せません。

お礼日時:2007/01/08 12:53

人の顔色が気になるのは、お礼から察するに母親との関係でしょうね。


母親から好かれよう、愛情を得ようとして自分自身を偽って、自分自身を抑圧してきた結果だと推測します。加藤諦三氏は父親が権威的だった
のですが、それゆえ氏の著作はあなたにも参考になるものと思います。

さて、自分が人からどう思われるか、に常に注意が集中しているときはたいてい
他者にたいして相対的に優越しようという復讐の念に駆られています。
無意識にある自分を蔑視しているから、その蔑視の対象となっている
自分を見つめるときに生じる不安や葛藤が恐ろしくて、その不安や葛藤
から逃れるために反射的に他者に対する優越、あるいは非現実的な理想の自己を実現しようとするのです。それによって、無意識に不安や葛藤
を解決しようとするのです。ですが、その行為が仮に成功したとしても、不安や葛藤は一時的に和らぐだけで、根本的になくなりません。
むしろ、『行動することにより動機が強化される』という精神医学
における一説に従うと、他人に優越しよう、理想的な自分を演じようと思って行動するとその結果、その強迫観念がさらに強くなります。さらなる優越、理想像と進まざるを得なくなるのです。

まずこれを頭だけででもいいので理解してみてください。その上で
蔑視している自分を怖れずに見つめてみることです。本当の自分の長所
は何なのか、自分のどういうところに他人が本当に安心するのか、
そういう長所を反射的に嫌っていないか、考えてみてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>母親から好かれよう、愛情を得ようとして自分自身を偽って、自分自身を抑圧してきた結果だと推測します。
そのとおりだと思います。人の顔色がとても気になります。人との関係を過度に良好に保とうとします。
中段の回答をなんとか頭で理解しようとしています。今まで考えもしなかったことです。どうしたらいいのか不安になりました。
>本当の自分の長所は何なのか、自分のどういうところに他人が本当に安心するのか、そういう長所を反射的に嫌っていないか、考えてみてください。
考えてみます。
加藤諦三氏の本をどれかご推薦いただきませんか。

お礼日時:2007/01/03 18:14

過去の私がそうでした。

よく気持ちが分かります。そして私もずっと思っていました。ありのままの自分になりたいと。

今わたしがありのままでいられているかといったら、まだ100パーセントではないでしょう。でもだいぶ楽になりました。

あなたがありのままの自分でいたいと願えば自然とそれに近づいていきます。安心していいですよ。
ありのままの自分は急には訪れません。あなたが習慣として培った分だけありのままになるには時間がかかるのです。
どうしたらいい、とのことですが「こうしたらああなる」ものでもないのです。ありのままの自分になりたいと思い続け、もし演じてしまったら反省する。この繰り返ししかないと思いますよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。ありのままの自分でいいんだと何回思ってきたことでしょう。よい子を演じることを何度やめようと思ってきたことでしょう。徐々にありのままの自分自身を受け入れていくしかありませんね。今の自分でいいんだと念じ続けます。

お礼日時:2007/01/03 09:46

よく見せようとする気持ちはよくわかります。


しかし、すべての人には到底無理がある。人というのはイエスを言い出すとノーというのは言いにくいという心理が働いています。

そして自分の意見や自分の人生観がない場合、イエスといえばすむので楽になりますよね。もう自分の意見や自分のできる範囲を見せましょう
そうしないとただのよい子だけになります。この人の価値観あるのかな?こんな感じです。ときには自分で決め、自分で考える事も必要です

そして人はできないから嫌う、できるから好きになる。そんなものではありません。
後は本を読んだり、何か趣味を持つ、自分で何かをやってみてください
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。母親のしつけが厳しいだけでなく、彼女は気分にムラがあったようで、なんで怒られるのかわからない時がありました。理不尽なしかられ方されたものです。こういう幼児期、児童期をすごし、いわゆるよい子になったように思います。そして、自分の価値観が他人の意向に大きく左右されるようになったと思います。

お礼日時:2007/01/03 09:38

おはようございます。

遅くなりましたが、私の考えを書きますね。

「自分自身を、ありのままの自分自身を受け入れれば疲れることも少なくなるように思うのですが、」←答えはご自分で既にわかっていらっしゃるではないですか。
と言っても、それがなかなかできないのが人間、しかも雑な人間なら気づかないところ、細やかな神経をお持ちなので悩まれるのだと思います。

どなたかも回答されていましたが、世の中自分の思い通りになることばかりではありません。
むしろ、思い通りにならないのがあたりまえ。(←これは加藤諦三さんの本にも書いてあり、以前私もあることで自縄自縛状態だったとき、目からウロコでした。)
世の中の全ての人に好かれる人なんていません。そんな考えはきっぱり捨てて、自分を大切にすることです。

他人に対して神経を使い、優しく接してあげるのは大切なことですが、それで自分が疲れてしまうようでは本末転倒です。
何もかも周囲に合わせるのでなく、YES or NO を考えて言動するように心がけてみてはどうでしょう。
NOと返答しても嫌われるとは限りません。
ただしNOの場合は、こういう理由でご希望に沿いかねるということを丁寧に言って断りましょう。例えば仕事の場合は今これだけのことを抱えているから、ということを説明する、どうでもいい飲み会等の場合はウソも方便、今日は習い事があるので、とか母の誕生日なので早く帰らなくてはならない、とか、そんな理由でもいいと思うんです。
万が一、特に仕事上の人間関係がうまくいかなくなるとキツイですが、それはまたその時に考えればいいことです。
私個人的には、八方美人よりも、Yes or No をはっきり言ってくれる人のほうが仕事でも私生活でも返ってラクです。

誠意を持って接していれば、全ての人にイエスマンにならずとも、返って信頼されるということもあると思います。(現に私も仕事上、お客様にNOと言った後不安だったのですが、後から上司経由でそのお客様が私の対応を誉めていた、と言われたことがありました。そんなこともあるんです。)
自分をとりつくろわず、ただ誠実に行動することです。

なんて、エラそうにスミマセン ((^┰^))ゞ
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 YESしか言えなくて、決してNOと言えないのです。嫌われるんじゃないかと思って。でも、NOと言っても、相手は本当はどう思っているのかはわかりませんよね。そういうことに気づかされました。大変大きな気づきでした。その方が誠意がありますよね。ちゃんと断る理由を言えばいいのですね。相手の気持ちばかり気にして生きていくのにもう疲れてしまって。うつにもなってしまうなんて。なんとかしたいと質問しました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/02 10:42

こんにちは。



以前も回答させて頂いた者です。
質問者様が混乱してしまった原因が少なからず私にもあるのでは?と思い、何処まで伝えられるかわかりませんが書き込みさせて頂きます。

先ず、いきなりですが。

「自分を肯定できない受け入れられないということを肯定できない受け入れられない、ということすら、自分は肯定できないし受け入れられないということぐらいは受け入れましょう!!」

昨年、質問者様と同じように自分を受けいれられずに悩んでいる純粋で心優しい愛すべき青年に書いた言葉(↑)です。


>かくありたいという気持ちが強すぎて、いつも自分の考え出した理想の自分を演じようとしてエネルギーを使ってしまい疲れいて、特に、人から嫌われることを極度に恐れ、そうならないように人間関係を良好に保とうとして過度にエネルギーを使い疲れてしまう。また、いい人を演じるために、そう思われるように人を印象を操作しようとし疲れてしまう。

そういう自分がイヤだ。と思っている自分が、「ありのままの」の質問者様なのですよね。

でも、そういう自分を好きになれないと思うのは、健康で正常な人間であれば、当たり前の心理です。

性急に好きにならなくても良いんです。
ただ、「そうだと認める」こと、自分の気持ちを裁かないで事実を認めることです。

(※人に人の気持ちを裁く権利なんてないんです。
自分の気持ちであっても、自らが裁く権利はありません。)


欠点や弱点、コンプレックスのない人間はこの世にひとりもいないのですから、欠点、弱点&コンプレックスがあることが問題なのではなく、その自分の欠点、弱点&コンプレックスを認められない(=ありのままの自分を受け入れられない)こと、欠点や弱点やコンプレックスは悪いものであり、それこそが自分を不幸にするものという一方的な裁きによって罰しようとする誤った考えこそが、生き辛さや疲れを感じる原因なのです。

人間は誰でも欠点を持っているけれど、その人によって欠点の種類は違います。
他人に過度に迷惑をかけたり、悪意のないものであれば、無理に直そうとする必要はないと私は基本的に思っています。

そうは言っても、人間関係を良好に保とうとするあまり、大きな負担や苦しみを感じたり、自分で自分を責めて自身が壊れてしまっては本末転倒です。
自分の弱点をしっかりと自覚なさっている質問者様なら、人間関係の負担を少しでも軽くするために、自分に優しく生きるために、少しづつ自分の考え方や生き方を修正して行くことは十分可能なはずです。

けれど、決してお世辞ではなく、質問者様の文面から、本当は無理に取り繕わなくても飾らなくても、ありのままで十分に優しい素敵な方だと(直感ですが)私は思いました。
どうか、ご自分に自信を持って下さい。

質問者様の人間の価値は、誰かに嫌われたくらいで決まってしまうほどちっぽけなものではないし、質問者様のことをわかってくれる人は必ずいる!ということを、どうぞ忘れずにいて下さいね。

何も良いアドバイスが出来ずに恐縮ですが、2007年が質問者様にとって良い1年でありますように。
そして、ご自分の未来は明るいと信じていて下さい。
私も遠い空の下から祈り信じています。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
おっしゃるとおり、前回質問したhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2604893.html
ときのあなたの回答に気づかされました。大変大きな気づきでした。ありがとうございました。また、再度のアドバイスありがとうございます。大変感謝しています。
>他人に過度に迷惑をかけたり、悪意のないものであれば、無理に直そうとする必要はないと私は基本的に思っています。
>そうは言っても、人間関係を良好に保とうとするあまり、大きな負担や苦しみを感じたり、自分で自分を責めて自身が壊れてしまっては本末転倒です。
>自分の弱点をしっかりと自覚なさっている質問者様なら、人間関係の負担を少しでも軽くするために、自分に優しく生きるために、少しづつ自分の考え方や生き方を修正して行くことは十分可能なはずです。
 私は考え方が極端過ぎるかもしれません。少しづつ治していけばよいことですよね。このことに気づかされました。焦ることはないんですよね。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/02 10:31

自分の思うようになることが理想なわけですね。


自分の思うようになるとそこには何か良いことがあるのでしょうか。
たぶん辿り着いたところには自分が思っていたほどのものはないと思います。
それよりもより厄介な問題を抱えてしまう恐れもあると思います。

思い通りにならないことは、普通にあること。
それをどうにかしようとして疲れているのですね。
別に放って置いてもよいものではありませんか。
もしそうなら、こだわらなければいいだけです。

思い通りにならないことだって、考えようによっては楽しむこともできると思います。
こうならなければ楽しめないではなく、この状態をどう楽しむかだと思います。
自分の考え方をすこしだけ変るだけで、気持ちも変わるものです。

ありにままの自分を受け入れるということは、不完全な自分でいることを許すことではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
 厳格な母に育てられたせいか、不完全な自分をなかなか許すことができません。もう一人の厳格な自分がいるようです。
 人に嫌われたと思うとなんとかその人に好かれようと努力し、しかし、人のことですから、なかなか思うようにならず疲れてしまいます。この疲れがうつにつながっています。
 なんとかありのままの自分を受け入れたい。円満主義をやめたいと思っています。

お礼日時:2007/01/02 10:15

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