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友達から山口県と福島県は不仲だから、福島ナンバーの車で山口には行きたくないといっていたことを覚えています。でも理由をわすれてしまいました。ご存知の方教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

戊辰戦争で、薩摩藩、長州藩を中心とする明治新政府と、会津藩およびこれを支援する


奥羽越列藩同盟などの旧幕府勢力との間で行われた戦争があった為でしょう。
白虎隊で有名な、あの戦争です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/08 14:19

今日の 会津白虎隊 のドラマ御覧になりましたか?



白虎隊 長州 戊辰戦争 会津戦争 などで 検索してみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/08 14:19

福島県といっても会津地方ではないでしょうか。



明治維新のとき薩長が会津を攻めましたから。しかし、政府軍の主力は長州(山口県)ではなく、薩摩(鹿児島県)ですが。

明治天皇が会津藩主に賜った親書(お前を頼みに思う)を長州閥の親玉山県有朋が取り上げようと画策した話があるそうです。
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この回答へのお礼

会津のようですね
ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/08 14:20

明治維新に際して


長州から会津藩が目の敵にされたせいでしょうね
(映画「釣りバカ」シリーズでも盛り込まれています-
山口ロケ-第12作)
遡れば、「関が原」の恨みもあるでしょう
幕末期の会津藩主は松平容保(かたもり)-聡明な人でしたが
若さゆえか、無理やり貧乏くじを引かされました
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2007/01/08 14:20

江戸時代末期の政争や戦争によるものですね。



長州藩(島根県や山口県)は江戸幕府と会津藩(福島県)によって滅亡寸前まで追い込まれました。

一方の会津藩は、その後に逆転され敗戦します。
その折の戦いで長州藩兵等から非人道的な行為を受けたという記録もあります。

双方に多大な恨み辛みがあるから、いまだに不仲状態が続いているようです。

また、土佐(高知県)や薩摩(鹿児島)のとっても会津は敷居が高い土地のようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/08 14:17

会津地方のお年寄りにとっては「前の戦争」は「戊辰戦争」だと言うほどだったという話を聞いたことがあります。


また、全国知事会でも山口県と福島県の場所を近くにしないように気をつかった....という話さえあったと聞きます。
原因は、他の回答にあるように戊辰戦争で長州に会津が負けたこと、さらにその後青森に転封になり苦労したということが加わって恨みが酷くなった、ということだったと思います。
何年か前に山口県知事と福島県知事が話し合って和解した、という記事を読んだ記憶があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/08 14:17

戊辰戦争の会津での戦いが大元でしょうね。


薩長軍は会津では相当な残虐行為(同じ日本人同士とは思えないくらい)をしたので恨まれたようです。
といっても#3の方の言われるようにこのときはどちらかといえば薩摩の方が主力でした。
そして今度は薩摩との西南戦争のときは、政府軍は旧会津の武士たちを多数配下に入れました、彼らはあの時の仇とばかり勇猛に戦ったそうです。
ですから山口と福島もそうですが、鹿児島と福島の方がその傾向はより強いようです。
以前鹿児島出身の方に聞きましたが、ほんの20年ぐらい前まででも「福島から嫁をもらうな」と言っている年寄りが結構居たそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2007/01/08 14:15

すでに説明は十分されていますが、余談のエピソードを。



軍歌「抜刀隊」を一度ネットで検索して、聴くか歌詞を見てください。

会津藩士の警視庁抜刀隊構成員の薩摩・西郷隆盛への怨念・恨みつらみがよく伝わる軍歌です。
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この回答へのお礼

一度検索してみます。有難うございます。

お礼日時:2007/01/08 14:16

「理由」については既に他の方が書いているとおりですが、「友達から山口県と福島県は不仲だから、福島ナンバーの車で山口には行きたくない」と言った話は「ジョーク」に近いと思います。



実際、遠く離れた福島県と山口県の直接の交流はほとんどありません。例えば、位置関係を少しずらして、宮城県と愛媛県の交流がどのくらいあるかを想像すれば分かるでしょう。たまにニュースで「萩市と会津若松市が恩讐を超えて文化交流」なんて話がありますが、これも「面白いからニュースにしている」程度のことです。

ちなみに、福島市には「福島製作所」という会社があります。この会社の親会社は昔から「宇部興産機械」という山口県の会社です。ビジネス上は何も問題は起きていないようです。現実社会ではそんなものです。

また、
「以前鹿児島出身の方に聞きましたが、ほんの20年ぐらい前まででも「福島から嫁をもらうな」と言っている年寄りが結構居たそうです。」

九州の南端にある鹿児島県に、里帰りするのも容易でない福島県から嫁ぐ女性がどのくらい実在すると思いますか?

例えば、JR会津若松駅から鹿児島市の中心駅であるJR鹿児島中央駅まで行こうとすれば…ヤフーの路線探索で
http://transit.yahoo.co.jp/search?p=%bc%af%bb%f9 …
会津若松を朝の6時台に出て、鹿児島中央に着くのは14時、片道4万円です。私が親だったら、「そんな遠くには嫁に行くな」と娘に言いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。片道4マンはきついですね

お礼日時:2007/01/08 14:13

不仲説については説明され尽くしています。

 私は山口県に三年間住んだことがあります。 その時、不仲説を聞きましたが、内容は逆で山口県人が福島に行く時は要注意だったと思います。 だって、恨みのあるのは旧会津藩の出身者の方が大きいでしょうから。 

山口県の萩にはお城があります。 江戸時代、ここでは毎年の正月に定例行事がありました。 藩士たちが一同に会し、『殿、いよいよ今年こそは、でございますか?』と詰め寄る。 毛利の殿様はやおらこう答える。 『待て、待てと申すに。 今年は待つのじゃ。』

関が原の戦いで徳川軍に味方したにも拘らず、石高を百万石から僅か29万石に減らされ、領地も長州一国にされた。 さらに築城も地の利に恵まれない辺境の萩に限定されている。 

このように徳川家への恨みは深く、毎年正月には上に記述したような幕府への恨みを確認する儀式を行うのが慣わしであった。 彼らは260年の長きに亘って綿々と続け、遂に倒幕を果たすのです。 長州人の執念深さをこの辺りに伺うことはできます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E% …
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
よく思い返したら山口の出身の友達でした。だから福島にいきたくないというのが正しかったです。すみませんでした。

お礼日時:2007/01/08 14:09

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