最速怪談選手権

ボランティア好きな方とかそういう方いらっしゃいますよね。
他人の為に無償で何かをし続けられる人の根底にある気持ちって
どういうものなのでしょうか?
何が、気持ちを駆り立てるのでしょうか??
具体的に説明してくださる方いらっしゃいますか?
どうぞご返答よろしくおねがいしますm(_ _)m

A 回答 (9件)

私自身が思うには


答えは人それぞれだと思います。それで良いと思います。
が、
starstarssさんが望まれる答えはstarstarssさんの中にあると思います。
何事も行動に起こしてみなければ答えはでないと思います。
最初は、ただなんとなくの気持ちでボランティアに参加したりしているうちに、その人なりの答えが見えてくるのではないでしょうか?
ちなみに私自身の考えでは
只の自己満足でも、純粋な気持ちでのボランティアでなくても、それで誰かが助かれば良いと思います。
私自身がそうだからです。
最初は(細かい理由はイロイロありますが)ただ、なんとなくで出来ることだけをしていました。(今でもそうですが)
ですが最近になって他の方がおっしゃっているように充実感みたいなものが出てきました。
自分が誰かの為に何かをしているのではなく、受け取ることの方が多いと思います。
偉そうでごめんなさい。
私も大したことはしていないのですが。
    • good
    • 0

私の経験から答えさせてもらいます。

物事いろんな角度から見る必要があります。無償で他人のために労を惜しまない事と、反面 他人への貢献を通じて私は沢山のものをもらっています。それは満足感と達成感です。相手の目から喜びや感謝を感じ取ったとき、自分もとても充実してやっていて良かったと思います。
またボランティア仲間の人間関係が得られます。対価を得て仕事をしているときの人間関係とは全く別の世界がそこにあります。
ボランティアを通じての専門知識や技術が見に付きます。このボランティアをやっていなかったら得られなかったものです。
私の場合、差し引き 得る物の方が多いと考えています。
    • good
    • 0

自分もいろいろな団体と仕事上だけでなくプライベートでかかわり、仕事の範疇を超えて活動をしております。

おかげで彼女からはものすごくいやーな顔をされつつも笑、理解と協力もあってボランティア活動を続けています。

なんでこんなことをしてるのかといえば、やっぱり「かかわった人たちの笑顔と感謝の言葉」なのかなぁと思います。
自分以外の人たちが自分の行動によって喜んでくれたこと、それこそが自分の喜びなんだと思うこと、これがいわゆる「ボランティア好き」の気持ちなんだろーなと思います。

ところで「ボランティア」っていう言葉の元々の意味って、「志願兵」から来てるということだそうです。つまり、「自発的」(自らの意思を持って進んで参加する)というのが前提にあるということです。
「ボランティア好き」の人たちって、やっぱり積極的な人が多いんですよね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/
    • good
    • 0

 ウルサイことをいえば、家族のためとか、チームのため、会社のためというのはボランティアとはいいません。

自分たちの共通の利益のためだからです。
 また、家族の枠を広げて、社長は父親、課長は母親、家族のために働くのだという論理がまかり通っていました。会社のためならウソをついてもいい、談合も許されると言うわけです。
 家族愛の延長としてのボランティア(人類みな兄弟)という考えは大事なことですが、兄弟愛だけで説明しようとすると、時に味方に優しく、敵に厳しい(北朝鮮は別だ)結果を招きます。
 また、最近はボランティアのなかに当事者活動を含めたり、自己実現(自己満足)が目的でもいいという意見も有力になりました。
 以前は倫理的(自己犠牲)、宗教的(禁欲的)な色彩が強かったのにたいし、楽しみとしてのボランティアが認められるようになったといえます。さらに、有償ボランティアさえ是認されてきました。これにはそれなりの事情がありますが、国際的には無償と言う原則が一般です。
    • good
    • 0

ペルーで識字率向上活動のボランティアをしています。

日本では不可能な(必要の無い)活動です。生徒の全員が主婦で、対象者全員が貧しく(水道さえない家もたくさんある)危険な地域に住み、字も満足に書けない人ばかりです。
個人的に、ペルーは精神的な祖国だと思っているからです。物理的な豊かさと心の豊かさは必ずしも一致しません。そのキッカケを与えてくれた国の人々に自分が何か出来ることは無いかと考えて行動に移しました。
給料はなく、交通費等すべて自費です。しかも長期間。全てスペイン語で。しかし、教えることの出来る喜びは何物にも変えがたい経験だと思っています。自分で出来ることはほんのわずかであっても、必ず芽を出し成長してくれるものと確信して行動しています。それがなければここにいる意味はありません。
No.4の方のご意見に賛同します。
    • good
    • 0

ボランティアというと少し堅苦しいですが、家族というものに置き換えると分かりやすいと思います。



家族の中で、誰かが困っていたり苦しんでいたら、心配するし、助けてあげることがごく自然の行いだと思います。無償とか有償とかを問う次元でもありません。

家族が一緒にいることが嬉しいし、喜んでくれたら嬉しい、そのためなら努力も惜しまないと思います。

他人のために無償で何かできるという人は、たとえ他人であっても家族の延長のように感じ、関心を持っている人だと思います。

その人に真剣に関心を持っていけば、自然と何かしてあげたいという気持ちに駆り立てられるのが人間なのではないでしょうか?
    • good
    • 1

 いわゆる利他的な行動ですね。

ボランティアだけでなく、イラクで戦っている兵士も、自爆するテロリストも、マリアテレサも同じです。
 宗教学者、心理学者、生物学者なども、利他的な行動の背後にある原理を探求しています。ビルゲイツも、10兆円の私財を福祉事業に投じているし、ビルに次ぐ世界2位の資産家バフェットも私財をビルゲイツ財団に寄付しました。
 スポーツ選手も芸術家も、なにか説明できない衝動にかられて新しい目標に挑戦しています。恋人のために、すべてを捨てるのも具体的に説明するのは難しい。
 利他的な行動がなければ、世界はとっくに崩壊していたかもしれません。ボランティア好きという狭く偏った範囲で考えるのではなく、世界を変えた人々のことに目を向けてはどうでしょうか。
    • good
    • 0

毎月子供と遊ぶボランティアに参加しています。

有償・無償に囚われません。それだけです。
    • good
    • 0

私は子どもたちと昔の遊びや手細工をするボランティア活動をしていますが、根底にあるのは「社会とかかわりを持って、私という存在を認めてもらう」という気持ちです。

社会と共に生きたいと思っています。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!