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こんにちは!
こちらでもう一つ「ボランティアをすると偉い?」という質問をさせて頂いております

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1372845

そこで新しい疑問が浮かんだので、新たに一つ質問させてください。

なぜボランティアの行動に移しづらいのでしょうか?
私が思うには人にバカにされる。恥ずかしい。
面倒くさい。このような理由からだと思うのですが…
他に何かありましたら教えて頂けませんか?
そしてどうすればこういう事を無くせるのかということが一番知りたいです。

だってボランティアというのは助け合い。人間の基本的な所だと思っています
それをバカにする人は今まで人に助けられた事があるにも関わらず
その人をバカにしているような気もしますし…
できればそういう事はなくしたいのです。
よろしくお願いします

A 回答 (12件中1~10件)

多分、ボランティアといううのが、自分からかけ離れたものだと思っているからじゃないでしょうか。


まさしく、自分がやらなくても誰かがやるという精神の人がたくさんいるからだと思います。
まあ~、確かに馬鹿にされるから、恥ずかしいから、
という理由でやれない人も多かれ少なかれいると思っています。ボランティアやっている人を、見てもみんな、知らん顔・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

たしかにボランティアというとかけ離れたものかもしれないですね。
ただ、近くで困ってる人がいれば助けるのも今の言葉でいうボランティアですよねぇ。
ボランティアという言葉が流行ってるので使ったんですが
助け合いってつもりで書きました。

自分がやらなくても誰かがやる。これが結構強いのかもしれないですね。

お礼日時:2005/05/07 12:46

ボランティア、というほどのことではないですが、


私は困っている方を見かけると、なるべく声をかけて
「私に何かお手伝いできますか?」と聞くようにしています。
駅で障害物にぶつかっている視覚障害の方とか、

道路を横断したいのに車が止まってくれず困っているお年より、とか。(大きく手をあげて、両進路の車に止まって~と合図しました。かなり恥ずかしかった)

一瞬、まわりの人に見られると恥ずかしい、という気持ちがおこります。それでもお手伝いしよう、と思うのは、
困っている人を助けたい、という気持ちもありますが、
それよりも
「困っている人を助けなかった」という事を私が後悔したくない、という気持ちからです。

自分がお手伝いしなかったら、あの人はあの後何十分も立ち往生したかもしれない。
または、つまづいて転んだり、車にはねられるかもしれない、と思うとこわくなるからなんです。

そんな気持ちからお手伝いするのはぜんぜん、偉くないですよね。「ボランティアが偉い」とはぜんぜん思いません。「情けは人のためならず」です。自分のためになるものなんです。

私は交通事故で半年間足が思うように動かず、たくさんの方に手助けしてもらった経験があります。

私の祖母の家は昨年の台風の被害で浸水し、たくさんのボランティアの方に御世話になりました。
ボランティアとしての仕事だけでなく、「若い方の元気な姿」を見ただけで勇気付けられたと涙をながして感謝していました。

「ボランティアなんて偽善だ」などとうそぶく人には、
「でも、私や私の家族は本当に感謝してるんだよ」と伝え、
「私がやるのは自分の気持ちのためで、助けてあげてる、なんて思うのはおこがましいかもしれない、と思うときがあるよ」
などと話しています。

長い割に、まとまっていなくてすみません。

この回答への補足

みなさん素晴らしい回答でポイントをつけられません。
が、せっかくのポイントなので先着順でつけさせて頂きます。

補足日時:2005/05/12 19:20
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

よく分かります^^
私も同じような心境から手伝う事が多いですね!
確かに恥ずかしいと思うこともありますけど、気付けばすぐ忘れちゃいますね

お礼日時:2005/05/12 19:19

バカにされるというところだけ回答します。


ボランティアだけではなく、他の行為だってバカにされるケースって多いと思いませんか?

例えば誰も聞いていないストリートライブや揶揄されてしまうような職業、私はセールスもやりますがセールスマンもけっこうバカにされます。

こう考えると「バカにされない」という行為のほうを探す方が難しいでしょう。巷では尊敬される学校の先生、それでも生徒達には嘲笑の対象にさえなってしまうんです。

他の方もいわれているように「心の持ちようです」バカにしている人も別の環境では今度はバカにされている。世の中ってそんなもんではないでしょうか?

私はバカにされてもお年寄りには席をこれからも譲ります。ボランティアもします。セールスマンとしての誇りを持ちます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

確かに色んなシーンでバカにされる事は多いですね
一生懸命やっていたり、他人のためにとか必死な時って
たいてい周りから揶揄されたりしまいますよね

仰るとおりバカにされない行為は私には浮かびません
バカにする行為ですら揶揄されますもんね

確かにそう考えれば、私のような考えは小さいですね!
ただ、私のような考えの人も多少なりともいそうな気もします
まずは自分から、徐々に広がればいいかな?って感じです

お礼日時:2005/05/12 07:51

外国では、家族、民族、人種、宗教でのグループ化というのが、良い、悪いは、別にして、日本では、考えられないほど、重要です。

例えば、キリスト教の強い地域だと、こじきに、パンを上げるとき、自分の分が一人分であっても、こじきの人数足す自分の数で、パンを割って、配ります。日本の場合は、自分と家族の分のパンを確保して、残ったらこじきにあげます。
タイへ行ったとき、こどもに、ピーナッツを1個あげたら、森影に2人の兄弟がいたらしく、ピーナッツ1個を見事に3つに割って、3人で食べてました。ルールがあって、割った人は、最後に選択権があるようです。大きさが違っても、最後に大きいのが残るかは解らないですね。(これ平等だと思います)

宗教では、インドの新聞の、お見合いコーナーと言うのがあって、私はOO教という宗教で、カーストが**だから、それに合う人、連絡くださいと新聞に書いてあります。

こんな中での、ボランティアって、日本の気が向いたら、ボランティアとは、だいぶちがいますよね。

で、お金持ちのボランティアは、やはりお金を寄付することって言います。労働は要らないから、マネーってね。
日本じゃ、お金持ちが、労働奉仕しても良いという考えですが、外国は、その人が、世間に、一番、期待されていることを、するのが、ボランティアだそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

外国ってそういう風になってるんですねぇ。
初めて知りました^^
まぁ日本が同じ事をする必要は全くないと思いますけど
こうしてみると全然違うんですねぇ

お礼日時:2005/05/08 21:45

日本では、宗教がタブー視されている、哲学を専攻する大学が少なすぎるなど、ボランティア、ドネーション、フィランソロフィーなど、労働奉仕、金銭奉仕、心の奉仕などについての合理的勉強の場を、学校で受けていないからでしょうね。


つまり、1日1善など、宗教情操教育が、教育の場で必要なのに、教育の場で、逃げているので、理解できるベースが出来ないのですね。無償、有償は、どうでも良い話で、外国のチップ思想でも、感謝の表現からスタートした(中国のように、賄賂が禁止されたので、日本人観光客にチップを要求するというチップもありますが。。)

宗派教育、宗教を利用した政策誘導など、いけないのですが、宗教情操教育つまりどのような宗教を自分の心の拠り所とすればよいのか、とか、宗教とは?哲学とは?ということを、考える基礎教育は、必要なんです。そうしないと、イスラムやヒンズー、キリストのカトリック、プロテスタント戦争なんか、理解不能でしょう。

ボランティアという日本のマスコミ造語に、踊らされていませんか?世界でのボランティアとか寄付とか募金の意味と日本での意味が、異なるということから、国民が知らないと、お話になりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

いきなり難しい言葉が出てきてパニックです^^;
でも何となく言わんとすることは分かった気がします

確か世界と日本じゃボランティアのあり方が違うという話を聞いた気もします
何が違うのか分かりませんが(意識なのか認識なのか)

お礼日時:2005/05/08 12:20

面倒くさい


人に馬鹿にされる
恥ずかしい

ボランティアの行為にこういうイメージを持っていて
躊躇する人はボランティアをしないほうがいいのです。
それはボランティアを受ける人のためでもあります。
ボランティアを実際やってる人なんかからすると
上記の考えはそれこそ「自意識過剰もいいところだ。馬鹿じゃねえか?それこそ恥ずかしいよ」だと思うのですが。
ボランティアは自主自律の行為です。貴方が「やりたい」と思ってやればいいのです。他人がどう思うとどうでもいいのです。人の考えをどうこうということこそ
ボランティアの精神からも外れています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私は勝手にやってます
すみません他人のことに口を挟んで。
ただ、バカにするのを辞めさせるのはどうすればいいんだろう
っていうこの疑問だけはどうしても口を挟みたくなりました
確かになぜボランティアを云々の話は余計な事ですね。
前の質問が自分の中で勝手にベースになっていました
申し訳ありません

お礼日時:2005/05/08 12:18

ふたつのご質問から思うのですが、あなたは何をしたいのですか?

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この回答へのお礼

えっとどうすればボランティアなどの行為をバカにする人が減るか。
ボランティアをすると偉いのか。
別に私が何かしたい訳じゃないですけど?
質問を読んでいただければ分かると思います(多分

お礼日時:2005/05/08 12:13

>なぜボランティアの行動に移しづらいのでしょうか?



私の意見ですが…
(1)ボランティアをするほど自分に余裕が無い
(2)ボランティアをしても、心から感動できるわけでなく疲れるだけ
ということが考えられるかもしれません。

(1)について
ボランティアをしたいという気持ちがあっても、仕事で忙しかったり、精神的に落ち込んでいたり、今の生活をしていくの精一杯の人はたくさんいると思います。思いやりの気持ちをもって他人に奉仕するボランティア活動をするというのは、自分もある程度は心や時間に余裕を持っていないとしにくいような気がします。朝から晩まで働いてやっと休みをもらえた人が、疲れきった身体で休日にボランティア活動をするでしょうか!?自分のことで精一杯で生活するのがやっとの人が、他人のために何かやってあげようと思う気持ちが起きるでしょうか!?

もちろん、それでもボランティア活動をやる人はいると思いますが、やらない人の方が多いと思います。


(2)について
ボランティア活動は相手に喜ばれることであり、ボランティアをやると良い気持ちになります。私も社会福祉施設でボランティア活動をしたいことがありますが、利用者の方が「ありがとう」と言われると、すごく嬉しくなります。

このようにボランティア活動をして利点もありますが、次のようなことも起こりえます。
・相手のためにしてあげたのに、反対にその人から迷惑に思われて怒られてしまう。
・ボランティア団体の上の立場にある人に命令されてばかりで嫌な気持ちになる。
・相手に感謝もされず、交通費や食事代は自分で払っているので、ボランティア活動をしても損をした気分になる。
・相手にケガをさせてしまったら、問題になってしまう。また、そうなってしまったらどう責任をとればいいのかという恐怖心がある。

以上のことを経験してしまうと、はじめはボランティア活動に対してやる気があったとに、意欲が低下してしまう要因になってしまいます。


私が思うに、ボランティアというのは自分の以外の人…例えば、友達・恋人・家族・親戚の人など身近な人で良いので、困ったいたら助けてあげたり、相談にのってあげたり、優しく接してあげたり、励ましたり、自分に今できることから始めてるのが一番良いと思います。

「駅前を掃除をしなければいけない」「高齢者の介護をしなければならない」と思い、その意識が強くなるから、ボランティアは自分にはできないと考えてしまうようになるのです。母の日もありますから、まずお母さんの肩を揉んであげることから、やってみるといいんじゃないでしょうか!?

そういった気持ちが皆が持てるようになれば、ボランティア活動をしている人をバカにしたりする人はいなくなると私は思います。

参考になれば、嬉しいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

1)2)ともに賛成です
ある意味日本人が働きすぎだから心に余裕がなくなってきてるのかなぁと思いました
JRの事故の時はすごいたくさんの人が手伝っていましたけど
やっぱり大事にならないとバランスというのがあるのかもしれませんね

別に私はボランティアをしろ!っていうつもりはないんですけど
バカにするのだけはやめろ!って言いたいんですよねぇ。
やっぱりみんながそういう気持ちになるには、なかなか険しい道のりのようですね^^;

お礼日時:2005/05/08 12:11

心に余裕があるかどうかもあると思います。


献血も一種のボランティアですが、忙しくないときはしますが、忙しいときはしません。仕事などで精神的に余裕がないときは気がつきもしません。
その人の状況もありますよね。

ちなみに私が福祉系の大学にいっていたときに「福祉やボランティアは自分が救われたい人がしている」という話をしたことがあります
知らぬうちに「救っている」なんぞ傲慢な考えを生まぬようにでた言葉だったと思いますが。
私の知り合いでは、その傲慢さがある人のほうがかえってボランティア(無償)にかなり参加してましたよ。
一種の自己満足的なものだと思いますが。
でもまぁ、助かるのもまた確かです。

バカにする人というのはどこかに罪悪感というか変な善悪コンプレックスでもあるんじゃないかなーと思います。
何かされたわけじゃないのに、口を出すほど(とりあえず無関心じゃない)ですからよほど気に留める何かがあるんでしょう。

ただ、ボランティアという言葉に固執すればするほど人は離れていくような気がします。
「すばらしい」とか「いいこと」をとりあげすぎればすぎるほど自然に出る行動からは離れていくような気がします。
もっと違うアプローチはないものかと最近思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

そういや誰かが言ってましたが、今日本人は心に余裕がなくなってきてるのかもしれないというのを聞きました。
まぁ私は別にどういう気持ちでボランティアをやってもいいと思います
それが相手に知られなくて、相手に迷惑や不快感を与えないのであれば、、、

やっぱりボランティアという言葉があるから離れていってるのかもしれないですね

お礼日時:2005/05/08 12:07

ちょっとしたことでもボランティアになるのに、「さあボランティアするぞ!」と構えてやならなければいけないと思っているからという理由もあると思います。


席を譲るのでも献血でもボランティアだと思うので、できることをやれば良いだけなんですけどね。

でも一番大きいのは質問者様が挙げている「バカにされる」だと思います。
バカにする心理が何なのか的確に表現できないのですが、日本人は「良いことは隠れてするもの」と「周りから外れた事をする人を攻撃する」という2つの性質があるからだと思っています。日本人の多くはずっと日本に暮らしてきて、この2つの性質に慣れてしまっていますから、これを無くすのはなかなか大変ですね。
「堂々とやる」「批判されても相手にしない」「誘うときは無理強いしない」「サークルなどを作っているなら閉鎖的にならない」「独善的にならない」「誰かを攻撃しない」などを守って地道にやるしかないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私もここで質問するのにボランティアという言葉や、助け合いという言葉を使いすぎたと反省しています
ちょっとした事でもいいんですが、やはりこういう言葉を聞くと拒否反応が起こるんですねぇ。

下3行に同意です^^

お礼日時:2005/05/08 12:02

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