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 長年活動して居る団体のトップの立場上、仲間問題などで自分が体調を悪化させ、今回辞任をしました・・・・
 その経緯を話しをしたら、「馬鹿と違うか、ボラで自分の首を絞める馬鹿が居るか」「良いように利用されたんでは無いの?」「人が良いのもほどほどにしておけ」など、トップは早めに降りるべきポジションとも言われました。
 体を壊してまで頑張るとは、相当な奉仕熱心とも言われました・・・
 ボランティア活動の限界とは、最後は利用されるだけのものですか・・・・
 利害関係を知人から、言われてボランティアで責任的立場の方から見て、ボラで体を悪くする事は、最後は利用されて居ると言えるんでしょうか・・・・
 知人が言う利用されて来たと思うですけど・・・・・

A 回答 (4件)

わたしはNPOの支援センターの利用者です。


ボランテイアとは、資格もなしにもわきまえず土足で踏み込んでくるものだとおもってます。
施設に金を払って雇えと言ってます。
わたし達利用者に提供する食事はボランテイアに作らせ、客に配る配達弁当は責任が生じるパートに作らせ。

奉仕活動だという名のもとに、話し相手がほしい利用者に、家は、家族は、どんな生活、個人情報を淡々と聞き出し。
職員と同じ権限を持ってるかのように利用者に大きな声で注意をし、料理作成中も食材の前でもマスクもせず大きな声で世間話をし。

ボランテイアとして派遣するには、奉仕だ奉仕だという前に、社会に通じるような最低限の節度と常識くらいはわきまえさせるような真ともな教育をしろと言いたい。

利用者にとってボランテイアは害あって益なしです。
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この回答へのお礼

スレ有り難う御座います。
宅配食で気を遣う事は衛生面も当然ですけど、食中毒です。
ボラが検便をして居るかと言えば、NOです。依頼する側はボラから出た細菌までは管理しない、受け取る利用者も其処は相手を信用するしか無いです。
 事実、夏の盆踊りで出た屋台の食べ物の食あたりは、気の毒ですけど食べた方の自己責任で終わります。
 きちんとした業者が配る(資材を買い込むか)はその業者の責任問題です。
 ボラとは、施設・営利を目的とする側には都合が良いコア(労働力泊まり)で終えて居ます。
 今回の地震で災害ボラが怪我をするなら、自己責任です、行くならそこは自分の身は自分で守る事です。
 最近ボラ不足とマスコミが言いますけど、無料で来て暮れる助っ人が欲しいだけではないかとも思う昨今です。
 ボラとは、社会も都合が良い便利使いと思うでは無いですか・・・・
 ボラで動く事は、責任なしとは言えない、その活動先での破損などは、ボラ責任で先方は言うだろうし、そこは覚悟して行けがボラの覚悟と思います・・・・
 格好良いとか、マスコミは囃子叩きますけど、見てくれと現実はギャップだらけです。
 ボラと言う社会貢献は何処かで費用は出すべきべきでは無いですか?
 無料活動で体を壊す方が、自己管理が甘いと思えますけどね・・・
 だから知人が「馬鹿と違うか」と言うのも筋は通ると思います。

お礼日時:2011/11/03 11:34

私自身はボランティア団体の責任者として現在活動をしています。



ボランティア団体に対する考え方、価値観、組織論がそれぞれの団体によって違いますし、活動内容や目的によっても違うので一概には言えない部分かとも思いますが・・・

私自身の感想で言えば、まず、その組織に関する考え方が、ボランティアする人と、組織をまとめる人、組織が関わる(ボランティアを受け入れる側)でかなり認識に違いがあることを感じます。


ボランティアとはいえ、出来るときだけにすればいい活動もありますが、私の居る組織では、ある程度必要とされており、予定に穴が空けばある程度は誰かが無理をしてでも埋めなければなりません。

こういった体制について、改善の必要性もあり、組織の見直しもしていますが、中々メンバー全員には理解を得るのが難しく、一部の人間に負荷がかかってしまっています。

ボランティア活動とはいえ、最初は、何かお手伝いをするだけで済んだのが、メンバーとしてもだんだんと専門的・高度事をしたくなり、一度してしまえばその要求にも出来るだけ答えなければならなくなる、そんなスパイラルに悩まされることも多くあります。
私個人としても、ボランティアだから、出来る範囲で中途半端でいいのかと考えることも多々ありますし、評価を受ければそれだけ対処を迫られるのも事実です。また、メンバーからもより高度なことをしたいとの要求も常にありますが、やはりその線引きは難しいですよね

多くのボランティア団体のトップが、こうした悩みから活動を休止することがあることも知っているので、出来る限りメンバーとその線引きについては話し合いをして、状況が変われば、きちんと活動方針なども変えていけるように周囲と調整をしながら今はしています。

他の方の意見にあるように、いい加減なボランティア組織もあると思いますが、一方でキチンとしようとしてつぶれてしまう組織もあります。

ボランティアにとって報酬は金品ではなく、相手の喜びといいますが、現実にそれだけでは難しく、一方でメンバーも充実感がなければ、活動に参加するのが難しい中で、悩みはつきないことだと思いますが、それはそれぞれのとらえ方だと思いますよ

利用をされた、利用した、ボランティアは役に立たない、役に立つ、やり過ぎてしまう、いい加減であるなども、ボランティアを活かす環境がない場所では当然出てくることだと思います。

ボランティアの基本は私はニッチだと思います。行政が出来ることは行政で、個人で出来ることは個人で、その間にいるのがボランティアであり、ボランティアが出来たことを行政や個人ができるようになれば、また別の活動を差がしていく。その時には当然今までのメンバーでは出来ないことや、不満もたくさん出てきますが、組織を守る事に徹しないで、ボランティアとしてのその気持ちを忘れないようにすることが大切だと自分は思っていますよ。
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この回答へのお礼

スレ有り難う御座います。
ぎりぎりラインを走る結果を知人から指摘された様です。
組織で便利使いで使われる結果は、病んで見ないと分からないと言う現実、皮肉な結果です。
 今そのラインを外れ、やり過ぎは痛感して居ます。
 ボラも適度にする、他の活動は其処まで責任を問わないけど、行く時は真剣勝負です、手抜き出来ない、個人活動ですし、真剣に取り組んで居るかは、先方はプロですので、遊び半分では出来ない、もう一つの活動をメインにして行きます。
 落ちて分かる現実を知人から言われて分かるとは、知人は自分を映し出す鏡とも思えます・・・・

お礼日時:2011/11/06 22:44

利用されるものか?という問いに、根源的な間違いを感じます。


これは、あなただけに対してではなく、あなたに意見した方々も同じです。

ボランティアは「社会奉仕活動」です。
社会になんらかに支障が出ているときに、それを円滑化するために無償で働くのがボランティアの意義です。
それはつまり「利他関係」ではなく、あくまでも「自己奉仕」なのです。
ですからそこには「利用された」という言葉はあってはならず、また、もしそういった感想を持たれたという事であるならば、それはボランティアではないか、もしくは、奉仕先がそう思ってはいないか、もしくはその両方であるといえます。

互いが確認していくことなしに、ボランティア活動はできません。
ボラが進んで自らの行為への疑問を解決しようとすることや、それに対しての受け口などが無い場合、活動そのものが「ただの無償労働」に退化していきます。
ボランティア活動を行うことで、個人と社会とのつながりを確認していくことは当然です。
ですから、ただ疑問なく邁進するのも間違いだし、疑問に答えることができない中枢部も失格といえましょう。

互いが互いの「エゴ」を出し合える場所が必要なのです。
そうやって、ひとつの「結果」を作り出していくからこそ「活動」足りえる。
エゴも出せぬままに、黙々と作業をこなすのは、ただの使役に過ぎません。
賃金も出ない、無料の使役です…そこにあなたの「不満」があるのでしょう。
そして、それが「当たり前」という考え方があるから、ボランティアは「楽しくない」のです。

自分を安売りしないでください。
労働には対価があるのは当然です。
あなたにとって、賃金ではない「かたち」で、なんらかの報酬を得た、という実感が無いなら、それは「詐欺行為」です。
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この回答へのお礼

スレ有り難う御座います。
>ですからそこには「利用された」という言葉はあってはならず、また、もしそういった感想を持たれたという事であるならば、それはボランティアではないか、もしくは、奉仕先がそう思ってはいないか、もしくはその両方であるといえます。
 コアで使うと言う考えはボラでは、日常的にあります。
 只で使える資源と言う考えは、利用する側には温存して居ます。理想論では成立出来ない部分は残ります。

>ボラが進んで自らの行為への疑問を解決しようとすることや、それに対しての受け口などが無い場合、活動そのものが「ただの無償労働」に退化していきます。
 それを望むのもボラでは日常な要求です。

>ボランティア活動を行うことで、個人と社会とのつながりを確認していくことは当然です。ですから、ただ疑問なく邁進するのも間違いだし、疑問に答えることができない中枢部も失格といえましょう。
 中枢とは名ばかりなら、単なる代役です、それを求める組織では、我慢は強いられます。依頼する側も便利使いで使えるのも無料のボラでは無いですか?
 失格と言う言葉まで到達出来ない現実でした・・・

>互いが互いの「エゴ」を出し合える場所が必要なのです。
そうやって、ひとつの「結果」を作り出していくからこそ「活動」足りえる。
 ボトムアップ方式なら誰もがエゴが出せます、トップダウン方式では、ボラでは発言権は無いも同然です。

>エゴも出せぬままに、黙々と作業をこなすのは、ただの使役に過ぎません。
賃金も出ない、無料の使役です…そこにあなたの「不満」があるのでしょう。
そして、それが「当たり前」という考え方があるから、ボランティアは「楽しくない」のです。
 中で手抜きが許される体制が問題、やって当然は誰もが我慢をして居ます、手抜きをしてサボれる体制に問題視です、それを注意しないその組織がそもそも問題です(結果論ですけど)

>あなたにとって、賃金ではない「かたち」で、なんらかの報酬を得た、という実感が無いなら、それは「詐欺行為」です。
 賃金は出ないからボラでは無いですか?報酬を求めるなら仕事に行きますよ・・・
 詐欺行為以前にボラを受け入れ体制が出来ていない組織と認識して居ますけど・・・・ 
 だから、ボラで体壊すお人好しと言われたんですけど・・・

お礼日時:2011/11/02 20:09

見解の相違、です。


私の知っているNPOの代表者はみんなそんな感じです。
更に、自腹で大変なことになっている人もいます。

それぞれ考え方がありますから、誰に何を言われようとも、己の信じた道を貫く事ですね。
私は立派だと思います。
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この回答へのお礼

早急な回答有り難う御座います。
知人から言われて、自分がして来た事を振り返るきっかけです・・・・・
己を信じると言われますけど、利用されて居る面は確かにあるので、利用された理不尽さは痛烈に感じるます。
 無料の世界だけに、役付をする立場は損ばかりかも合点がいかない今の思いです・・・

お礼日時:2011/11/02 15:42

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