準・究極の選択

最近飛び級を認める学校が出来てきてますけど
飛び級ってのは一般的に理数系の学科だと思います
その子は国語や社会はどこでどういった授業を受けるんですか?

A 回答 (2件)

飛び級とは、小学でのことか中学でのことか高校でのことか大学でのことか、


また、あなた自身大学に通った経験があるか同程度に大学のシステムに詳しいか補足した方が良いでしょう。

理数系が何でも才能次第だと思っているのなら間違いです。
才能だけでどうにかなる方が限られています。
おそらく一部の数学や一部の理論物理くらいではないでしょうか。
それは、小説家学科があったとして、飛び級が不可能なのか考えてみると判るでしょう。
デビューしてしまえば飛び級どころか即卒業でしょう。
理系の他分野は、おそらく文系以上に経験、修練、演習、実践が必要です。
もっとも、大学のくだらないカリキュラムは割愛して、ということならアリだとは思いますが、それはむしろそれほど経験を必要としないだろう文系の方がし易いでしょう。

理系に限って言えば、大学でやる国語や社会のようなことは、通常一般教養として低学年の内に済ませると思います。
この「くだらない」物の扱いを、飛び級でどうするかは大学側の考え方次第だと思います。
通常、「糞の役にも立たない」「専門バカの講義」ですので、そんな物どうしようが初めから意味はないのです。
大学で片手間に授業を受けたくらいのことが社会で役に立つわけでもないし。役に立つなら会社が招いて講義させますよ。
おそらくは飛び級といえども、これらの単位は取っておけということになると思いますが。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます

高校生とかが大学に飛び級した場合を想定しています

考えてみれば大学入試のための授業なんですから、大学入学後に高校の国語習っても仕方ないですね

お礼日時:2007/04/19 10:44

高校生の飛び級でしたら、


理系の場合、国語を二次や私大で課されるのは、京大の理学部と東大くらいでしょう。他にもあるかも知れませんが個人的には知りません。
他はセンター程度で良いのですから、そもそも片手間で済みます。
現代文なら多くの高校現代文は文学オタクの役に立たない授業ばかりでしょうから、残念ながらそもそも無意味です。
そんな物を3年聴くより、まともな教材を半年やった方がずっと力(受験対策ではなく学力その物)がつきます。
古典は、個人的経験上、まぁ2年分しかやってませんね。
あとは慣れ程度。
そもそもそんな物でしょう。
社会は、誰がいつやったってどうにでもなる科目でしょう。
理系ということで飛び級するのなら、当然理系科目は修得済みでしょうから、その時間を使えばいくらでも。
センター程度で良いのでしょうし。
文系の受験社会のような重箱の隅は一般常識的に不要でしょうから。

数学の要らない文系の理数は、
一般的に要求されたって同様にセンター程度でしょう。
理科はどうにかして貰うとして、数学です。
文系の場合、中学数学も全くできないようなことが事実上認められていますので(国公立は無理ですが)、やらなくても良いでしょう。
ただ、そういう人が飛び級の対象になるかどうかは疑問ですが。
でも、文系数学ってそもそも2年分ですよね。
数学の要る文系の場合は、
飛び級するくらいですから当然その辺の理系並みにはできているのでしょう。

そういうわけで、
センター程度の能力が要るか要らないかという基準で考えれば、飛び級するような優秀な子ならどうにでもなるでしょう。
飛び級の有無にかかわらず、学校の授業を受けないことで最も問題になるのは英数だと思います。国理社は2年分受けておけばどうにでもなるでしょう。英数だけクリアしておけば、それができるような優秀な子なら後はどうとでもするでしょう。
ここでは便宜上センターレベルを持ち出しましたが、
当然のことながらその基準は各高校、受け入れ大学によって違うでしょう。
センターで拙ければ、センターレベルで高認科目(科目数)、でも良いかも知れませんけどね。
しかし、例えば大学がセンターレベル以上の基準を持ち出すと、ぼんくら大学が東大レベルの学生を求めるような格好になるでしょう。
一流大学に落ちてぼんくら大学に合格した場合、ぼんくら大学を蹴って一浪して一流大学を受け直す事例はいくらでもあるでしょうから、ぼんくら大学が1年分をサービスしたところで応募者はたかが知れているでしょう。
東大は飛び級がないが、東工大一橋なら一年早く出られる、くらいにはならないと。
高二終了で受けられて、大学内で更に一年飛び級できるかも知れない、くらいなら応募者は増えるでしょう。
特に外語系の大学がそうなれば、飛び級の分留学するか、海外で好きなことするか、さっさと卒業して社会科学系の所に編入するか、海外の大学に入学か編入学するか、なんてことが可能だと思います。
現実はおそらく違うんでしょう。良くは知りませんが。
おそらくは高二終了時には既に受かる大学がいくらでもある、例えば開成高校の連中みたいなのが動いてみたくなるような制度でないと。

大学のことはご存じではないようですので書きますが、大学入学後に高校の内容を勉強することが無意味とは思いません。
一般教養として、理系に抜け落ちている社会や古典の修行をするのはそれほど無意味なこととは思えません。
あるいは、文系が、レベルに応じて中学理数や高校理数を修得するのは有意義なことでしょう。
例えば中学理科ができない文系が、インチキ浄水器を売って歩いていますので。
ところが残念なことに、大学は腐っていて、こういう当たり前のことができていません。
専門バカを連れてきて専門のさわりを講義させるため、無意味な物になっているのです。
そうではなくて、高校の教科書レベルを広くやる方が多くの場合ずっと有意義だと思います。
少なくとも専門外の専門のさわりについては一つ二つ軽く聴いておくくらいが適当だと思います。
医学部に行きたかったが数学ができないため断念し文系に、だが大学の一般教養の講義で数学ができるようになり医学部に行った、という事例をついぞ聞かないのは、大学でやっていることがとんちんかんであることを表しています。
大学の語学なんて、単位だけやたら五月蠅いけど、力付きませんしね。(熱心な大学があればどうだか知りませんが)
そういうわけで、あなたの問題設定はそんなに変だとは思いませんが、大学がもっと変で、飛び級以前の段階で腐っちゃってるんです。
なぜ文系や一般教養を飛ばせないか。
おそらく大学が腐りきって意味がないということを認めることになるからでしょう。
理系の場合は学生が関わった研究で国際的に通用する物を結果として当たり前のように出していますからね。
少なくともまともな研究室の院生はそうです。
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