近所に国立民族学博物館があるものですから、よく見てまわります。
そのときに、いつも気になっているのは、アジアやアフリカには、
川や森、あるいは山を神として敬い奉る、あるいは畏れるという土着
信仰が見られるのに対して、西欧には宗教しか見受けられないことで
す。
一神教のキリスト教によって、それらが駆逐されていったのでしょう
か。にしても、痕跡があってもいいように思うのですが……。

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A 回答 (5件)

クリスマスと、それにまつわる各種の行事(ツリー、サンタクロース、ヤドリギ等々)はキリスト教成立当時~初期の様々な土着信仰と結びついているといわれていますね。



12月25日という日付自体、もともとはローマでの冬至を祝う日で、冬至の太陽信仰に由来するという説が有力ですし。
ツリーなどは、日本でも有名な北欧の神々、オーディンやトールなどの伝説に由来するという話もあるようです。

こちらのサイト
http://www.asahi-net.or.jp/~YQ5Y-YSD/essay5.html
にクリスマスについての色々な面白い話が載っています。
またこちら
http://www.user.globalnet.co.uk/~michiej/back6.h …
の「クリスマスの行事」の項には、クリスマスのヤドリギと民間伝承との関わりについて触れられています。

また、いわゆる「西欧」とは少し違いますが、中米ハイチのブードゥー教(死者を蘇らせるゾンビの話で有名ですね)は、キリスト教と土着信仰が混淆した結果成立したものだそうです。
他にも、スペインや南米などでは「黒いマリア像」を見ることのできる場所があるのですが、この「黒いマリア」への信仰も、豊作祈願などの土着信仰にキリスト教が取り込まれたものだという話を聞いたことがあります(こちらは少々うろ覚えなので、あまり自信はないのですが)

そんなわけで、土着信仰の「痕跡」は結構あちらこちらに残っているかもしれません。ところでどうでもいいことですが、私は大分以前に、北欧のある地区での、「昔ながらのクリスマスの行事」をテレビで中継しているのを見て、その形式が、なんとなく日本の「なまはげ」の行事と似ているなと思った記憶があります。
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この回答へのお礼

皆さん、ご回答をありがとうございます。
おかげさまで、私の疑問が少々解けたように思います。

キリスト教を宗教だと思ってしまったことが、そもそもの始まりだとわかりました。宗教ならば、これは仏教的な考え方ですが、他も生かそうとするはずなのに、どうしてキリスト教は他を滅しにかかったのか。西欧のどこぞに、健気にも生きながらえている土着信仰はないのか。そう思ったものですから、この質問となったわけです。

誰かが誰かを支配するために、大義名分としてつくられたのが土着信仰だと思います。キリスト教も、そういう意味では同列なのでしょう。
しかし、他の弱小土着信仰は、その大義名分を守るために、または受け継いでいくために、神とした森や林、池や湖などを大切にしました。言い換えれば、人間は自
然の支配下に置かれているもの、という意味から。ところが、この点において、キリスト教という土着信仰は違っていたのかもしれませんね。「神より理性を与えられた人間のみ。よって、この地における生殺与奪の権はすべて人間にあり」という根本原理から、次々と森や湖、自然のあらゆるものを壊していきました。それは、その森や湖を神と崇める弱小信仰を根底から滅していくことになります。

キリストさんの本意は、きっと違うところにあったはずでしょうが、キリストさんが人間のことだけしか言わなかったものだから、間違いが起こったのかもしれません。言葉足らずだったから、拡大異訳されてしまったのでしょう。その結果として、「神>人間>自然」という序列が生まれしまった。そしてキリスト教は、その覇を広げるために、次々と土着信仰を破壊していった。土着信仰の破壊が、自然環境の破壊だとは気付かずに……。

勝手ながら、キリスト教は土着信仰だったということがわかりました。そう考えれば、私の疑問も解けてきましたし、環境問題云々のことも解けたような気がします。

皆さん、ご回答をありがとうございました。返答が遅れましたことをお詫びします。

お礼日時:2001/01/29 10:22

ヨーロッパに残る悪魔崇拝、魔女などは、土着信仰の名残りと見なされているようです。

「妖怪は落魄した神である」というのは日本の民話に関しての言葉ですが、おそらくヨーロッパにも当てはまるでしょう。キリスト教が土着信仰を蹂躙したとき、それまでの神は「邪悪な霊的存在」すなわち悪魔とされ、しかしそれらへの信仰は根強く残ったわけです。
また、聖母信仰や天使信仰も同じように、土着信仰がキリスト教の内側に取り込まれた痕跡と見られる節もあります。地母神すなわち万物を生み出す大地の母への信仰はほぼ汎人類的に見られるもので、その地母神を聖書の教義に含まれる聖母マリアに投影した結果が聖母信仰である、という解釈です。
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こういうのは詳しくないので言葉があってるか分かりませんが、ネイティブアメリカンにも精霊信仰(?)みたいのがありますよね。



もともとアメリカで作られたゲームで「Civilization」というのがあって、古代文明から技術を積み重ねて最後は宇宙に移住!といった感じなんですが、この中では一神教と多神教は並列関係ではなく、多神教が進化して一神教になるとしています。一神教文化の人々には多神教は古代のもの、野蛮人のものといった意識が少なからずある雰囲気です。
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ローマ軍は自国がキリスト教化される前からスペインに進出していましたが、当時の古代ヨーロッパには多神教の民族が多数住んでいました。

ケルト、イベリア、ゲルマン、スラブ民族はその一部です。ローマがキリスト教化された時、これらの地域にローマ軍と共に或いは間接的にキリスト教が伝わったわけですが、キリスト教は広大な地域に住む多数の異教徒をキリスト教化するためには、一切の原始宗教を禁止せざるをえなかったと思われます。しかし、辺境に住む異民族すべての日常生活(習慣)を完全に払拭することは出来ないので、多神教時代の習慣が生き残り、後に姿を変えてキリスト教徒の間に生き残ったものがあり、クリスマスや樅の木、
ハロウイーンはその代表格といえます。他にもスペイン、北欧、イタリア、アイルランドなどにはいろいろな習慣が残っていると思われます。又貴族の紋章に描かれる動物や植物にも多神教時代の名残が見られます。

カトリック教会は16世紀以降、布教をたやすくする為に現地の習慣(多神教の)をある程度認めるように政策を変更したために、中南米や北米南西部の先住民はキリスト教徒でありながら、多神教の習慣を伝統として引き継いでいます。その点、我が国も非常に似かよった環境にあります。仏教徒であっても日常生活上は、神道
や縄文時代から続くと思われる習慣の中で暮らしているわけです。

キリスト教の習慣と思われている中に、ユダヤ、アラブ、ケルト、ゲルマン、北欧の痕跡を見出すことは欧米人であればそんなに困難なことではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴族の紋章にもその名残があるんですね。
たとえば湖のある領土は、その湖に棲むドラゴンをかたどった紋章をつくり、
「この地の神であり、湖に棲むドラゴンより、わが先祖はこの地を治めよとの
命を受けた。従って、民よ、われに従え」というようなことでしょうか。

てことは、普遍的だと思われているキリスト教と同じような考え方になるのか
な。
キリストさんの意図は知らないけれども、「神は人間のみに理性を与え、地球
の管理者(支配者)としての命を与えた」というのがキリスト教の原理だから。
もちろん、これは私の勝手な解釈ですが。
すると、キリスト教は仏教とは違い、経典のある巨大な土着信仰ということに
なりますよね。支配者と被支配者に分かれるわけですから。

巨大な土着信仰が他の弱小土着信仰を滅していった。日本に限らず、神話とい
うのは、ほとんどすべてがその戦記ですからね。それなら、痕跡がわずかにし
か残っていないのも理解できます。他を破壊し尽くすのが、戦いでしょうから。

お礼日時:2001/01/29 09:52

一般的に大草原とか砂漠とかの、どこまで行っても同じような風景が続くような地方では一神教がなじみやすく、日本みたいなちまちました国では多神教がなじみやすいって言うような事を、司馬遼太郎さんが言ってましたよ。


でも、西欧でもケルト族とかの土着信仰は残ってるんじゃないですか?
ハロウィンはその名残りでしょ?
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この回答へのお礼

「ケルト」と書いてくださったことで、ちょっとだけ納得しました。
土着信仰≒神話と捉えればいいのかな、と……。
そう考えれば、何となく納得できるような、できないような。

浅学な私は、ハロウィンは、てっきりキリスト教のイベントかと思っていました。

お礼日時:2001/01/21 18:21

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「主を恐れることが知識の始まりなのに、愚かな者達は知恵と訓戒を蔑む。箴言1:7」。                                                                                        初めの人であるアダムは神様を模って作られました「創世記1:26」。しかし、罪を犯すことによって神様の似姿を失いました。だから、今の私達は神様の似姿を失ってしまったアダムの姿を似て生まれたのです「創世記5:3」。つまり全...続きを読む

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西洋人は、人間は神の似姿に作られた特別な存在であって、世の中の生き物を自分のために利用する権利があるという考え方をします。特にキリスト教は、ユダヤ教の厳格な食のタブーを受け継がなかったため、ありとあらゆる動植物を自分たちの生活のために、征服し利用することを正当化するものとなりました。進化論が初めてダーウィンにより提唱された時、世間からの反発は非常に強く、ヨーロッパには猿がいないという事情もあって、進化論が科学として受け入れられるまで時間がかかりました。今でも、アメリカは、進化論を認めず、人間や動物は神に創造されたのだと信じている人が1000万人単位でいるという、恐ろしい世界です。(実際に猿を見慣れている東洋人からすれば、あれが人類と同じグループの動物であることは、明らかです)

西洋と東洋の共通点としては、自然とは自然環境のことだけをいうのではなく、人間の体の中は、内なる自然であるという考え方があります。西洋ではトイレに行くことを、自然が私を呼んでいる、と言ったりします。また、英語のNatureは自然だけではなく、物事の本性という意味があって、人間の本質とは何であるかをめぐる法学理論が自然法と呼ばれているわけです(他のヨーロッパ語でも同じです)。東洋の場合、中華料理にあるように医食同源の考え方があって、自然をいかに体内に取り込み、体内の自然環境をいかに正常に保つかが医学の本質であるという考え方をします(西洋医学と違い、中国の医学は治療ではなく予防が本質です。伝統的には、患者は普段から医者に金を払って健康にかんするコンサルティングを行ってもらうのですが、万が一、病気になってしまったら、それは医者の見逃しが原因であるという考えによって、医者から患者に金が返ってきます)。

ちなみに、中国の薬学や針灸学は日本にも影響を及ぼしているほか、盲目の人の専門職として針灸が位置づけられるという習慣が江戸時代には定着していたため、盲目の人の社会進出という点では、日本はヨーロッパの国より、はるかにすすんでいます。ヨーロッパ旅行中に、プラットフォームや道路の黄色いデコボコマークや、ひとりで棒を操りながら歩いている人を見かけたことは一度もありません。知人のドイツ人によると、盲目の人が外で事故に合うと、「ひとりで外出するほうが悪い」と言われるのが普通だそうです。

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