映画のエンドロール観る派?観ない派?

大臣の原爆投下はしかたない発言が問題になっていますが
もし長崎、広島に原爆が投下されなかったら戦争はそのまま続き
ソ連参戦や沖縄から本土地上戦などに至った可能性はあるでしょうか?

いずれにせよ原爆投下は戦争を終わらせたと言っていいでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

歴史に「もし」は無いとかも申しますけれど・・・


詳しく勉強していないのでこれが主流の考え方なのかどうかは存じませんが、自分が本や雑誌テレビなどで見聞したことのある事を並べてみます。

・ドイツ軍が核兵器研究しているという情報があったのでアメリカ軍は原爆の開発を急いだ。

・ロスアラモスの研究者の中には実戦で使うことをやめようと署名運動した者もいたが少数派であった。上層部は実戦で使う気でいた。

・日本では、広島に原爆が落とされてからも戦争続行を唱える人々もいた。終戦を望む人々いたが、すんなり全員が「早く戦争を止めましょう」というわけには行かなかったらしい。

・長崎に原爆が落とされてからも降伏に反対する軍人達がいて、天皇の玉音放送の録音レコード盤を奪おうとしていた。
レコード盤は隠されていて、やっとラジオ放送に乗せられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3% …

・アジア諸国の中には「原爆が落ちて戦争が終わった(そして日本の支配が終わった)」という考え方も存在する。

※実際こういう説明をシンガポールの「バトルボックス」という要塞跡の戦争記念館で聞いたことがあります。
そのときの説明は深い意味付けではなくて、出来事が起こった順番としての「日本に原爆が2発落とされた→日本が降伏して戦争が終わった→日本の支配が終わった」という意味だと思いますが、話には聞いていたけれど本当に「原爆が落ちて戦争が終わった」という考え方があるんだなと思いました。


・連合軍の若い一兵士として出征していた米国人だったかヨーロッパ人だったか、彼は当時日本の降伏を知って「これで自分は(戦争で)死ななくて済む」と思ったとのこと。

・敗戦後に進駐軍が日本へやって来たが、「あれだけ抵抗した日本軍だから、しばらくゲリラ活動があるかもしれない」と警戒していた。
(本土では実際には抵抗は無かった)

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余談ですが、
ANo.10さんのおっしゃっている海上封鎖、兵糧攻めは、実際にそういう攻撃を受けていました。
原爆の話とは違うのですが、第二次大戦で日本がどうやって負けて行ったかの一端として(これだけが要因ではないと思う)、学研M文庫『海上護衛戦』(大井篤・著)という本が興味深いです。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%AD …
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この回答へのお礼

皆様貴重なご回答有難うございました

お礼日時:2007/07/07 22:42

原爆が落ちなくても終わったとは思いますが、戦争自体は数ヶ月長引いたかも知れません。


日本は天皇の身の安全が保障されなければ降伏は受諾できないと言うスタンスでしたし、
政府や軍の首脳もいくら空襲されても安全な東京の地下壕の中にいながら、降伏の決断とそれに伴う責任に対する覚悟つかず、問題を先送りするために沖縄で民衆を巻き込んだゲリラ戦を展開させるなど、ともかく時間稼ぎに徹していました。

そして広島に原爆が落とされた瞬間、はじめて天皇と自分達の身も危険になり(いくら地下壕にいても原爆が落ちれば死んでしまう)、身の安全などの条件をつけた降伏など望みようがないことを実感したはずです。
ですから日本の首脳部に心理的なプレッシャーをかけたという点では効果はあったと考えます。

ちなみに、
米軍は当初、日本の周りを海上封鎖し補給を絶った上で包囲攻撃&兵糧攻めにする予定だったそうですので、
そうなった場合、日本は制空権も制海権も喪失しているのですから、空からはB29を中心とした大編隊、海からは戦艦大和に次ぐ巨艦と言われるアイオワ級4隻を筆頭とした大艦隊が押し寄せてきて、
日本の都市に向って雨あられのような空爆と艦砲射撃を加えていたことでしょう。
しかし、天皇と政府の御歴々は地下壕にいて安全な状態ですから、長期間決断を下すことが出来ず、民衆が殺戮されるのをただ見ているだけだったかも知れません。
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> ソ連参戦や沖縄から本土地上戦などに至った可能性はある


> でしょうか?

 可能性も何も、ソ連は火事場泥棒として参戦していますよ。
 シベリアに日本人を何十万と勝手に誘拐し、劣悪な待遇と重労働でその約10%を殺しています。

> いずれにせよ原爆投下は戦争を終わらせたと言っていいでしょうか?

 言ってはダメです。明らかな誤りですから。
 いや、嘘つきになりたいのなら、言ってもいいですが。

 ともあれ、事実関係を見れば、原爆投下と戦争終結の因果関係が逆です。

 戦争が終わりそうだから、慌てて原爆を投下したのであって、目的はデータ取りとソ連への威嚇です。戦争が終わってしまってからは、人間への影響データを取るための落とし方はできませんから。
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原爆を落とされなかったとしても、早晩「大日本帝国」は降伏していたでしょう。



ただし、それで戦闘終結にいたったかどうかは判らないでしょう。何しろ沖縄では9月中旬頃までに散発的な戦闘が行われていたという事ですから。やはり8月中に日本は降伏していたと思いますが、進駐してきた米軍に対して散発的なゲリラ戦が行われた可能性が高いと思います。

そういう意味では「原爆投下によって得したのはアメリカ軍人のみ」と言えるでしょうね。ソ連の南下にした所で、結局半島は取られている訳ですから、これまた日本本土には「関係ない話」です(海を渡って北海道まで、というのはあり得ないでしょう)。
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戦争を行なう国家と言うのは大勢の人間の集まりであり、全ての構成員が全く同じ考えであるはずもありません。


従って、大統領の手元に情報があったとしても、それ以外の(後世に間違いと知れた)情報も同時に届いており、どれを信じるかどうかは当人の心の中の判断になります。(真珠湾・9.11・イラク同様)
従って、大統領制よりもっと最終判断プロセスの曖昧な日本側で、どの様な事が起きたかは確定できるわけもなく、可能性は低いでしょうが本土決戦が行なわれた可能性はあったでしょう。(一億玉砕はともかく・・・。)
もっとも原爆投下は一つの要素であり、それが戦争を終わらせたというのも、大勢の中の何人かの考えが変わったという事でしかなかったでしょう。
すでに喉元に刀を突きつけられていた人間に、相手がピストルを構えているという事が判って、根本的な状況が変わったとは言えないのと同じことの様な気がします。
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恐らく、普通に終戦を迎えたと思います。


原爆を落として降伏を迫ったのは、何よりも原爆投下地へ

 投 下 後 の 結 果 サ ン プ ル の 採 取 。

を行うためですよ。
降伏を受け入れた瞬間に広島と長崎へは部隊が一瞬で到着しています。
米軍の厚木基地よりも早い。もしくは同時。
アメリカが対原爆用に開発した医療器で、自分たちにも効く薬があるかどうか。色々サンプルを取り続けてました。
米軍の広島での活動は善意ではなくデータ採取ですからね。
日本政府に双方の都市への立ち入りを禁止。
のらりくらり降伏手続きをしている間にひたすら原爆の被害データを取り続けていたのです。
広島、長崎の米軍駐留の大義名分を無くさないためにも。
そして、他の国に原爆の被害の詳細な都市部の壊滅データ、及び人体実験データをアメリカが独占するためです。

原爆が無くても大勢は決しており時間の問題だけで降伏してましたよ。
ただ、米軍の中に原爆に頼らなくても我々で降伏に追い込みたい連中が居たと言うコトですね。
たくさん部下の血を流していまさらそんな戦場に居ない科学班に手柄を横取りされたくない!!
おそらく、この結果が小倉に爆撃部隊が先に空襲して灰と化したので落とされなかった原因になったのではないでしょうかね。

原爆投下は日本の降伏の時期を読んだ上で直前に落として、連合軍ではなくまずアメリカに降伏させてアメリカだけが原爆のデータを取る事。
降伏は原爆実験に利用されたと言うコトです。
日本が普通に降伏を考えていたのに、アメリカはこんなことをやってのけられたわけです。
つまるとこ、

>>原爆投下は戦争を終わらせた~
原爆を落として戦争を終わらせたかったのはアメリカ自身です。
これはただの結果論で降伏に隠された原爆人体実験を隠すためだったと思います。

気弱な人だとこんなアメリカの所業にしょうがない発言が出るのも分かる気がしますが・・・。
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こんにちは。


一概には言えないと思います。
当時、日本政府はソ連を通じて和平交渉の工作を行っており、これは米軍にも暗号解読によって筒抜け状態でした。

原爆が終戦のきっかけになったのは事実ですが、無ければ本土決戦という状態ではなかったのです。
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/suzu …

また、ソ連は協定に基づいて参戦していますが、「終戦後」、千島に上陸軍を送り込み「降伏して武装解除を待っていた」守備隊がやむ終えず反撃しただけで撃退される、という醜態を曝しています。
ソ連は当時、対独戦線で非常な大打撃をこうむっており、海を渡って日本に侵攻する余力なんかありませんでした。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yamako/houheikatu …

ソ連がやろうとしていたのは武力侵攻により日本を分割占領する事ではなく、平和交渉の上で日本の領土を少しでもソ連領に組み入れようとしていたのです。
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以前何かの番組・書籍で目にしたのですが…



天皇制を維持してどう講和にこぎつけるか?これのみに
色々と心を砕いていたようです。日本は最後の頼みの綱と
してソ連に講和の仲介役を頼んでいたそうです。
そのソ連が敵として参戦したことで望みが完全に
断たれてしまい無条件降伏を飲んだとのことです。

当時の思想を考えると、
「一億総特攻」「本土が灰になるまで闘う」
をスローガンにしてた国が原爆投下が終戦の
決定打になったとは考えにくいですけどね。

自分はどちらかというとNoに近い「?」ですね。
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Q、いずれにせよ原爆投下は戦争を終わらせたと言っていいでしょうか?


A、ノー!

先にNHKで、相当に、この件で特集を組んでいました。
実に、多くの当時の公文書や関係者へのインタビューでもって原爆投下の真相に迫っていました。

番組で明らかになった諸点は、次のようでした。

1、日本が無条件降伏の腹を固めたとの情報を米軍が入手していたこと。
2、そこで、一旦は、「原爆投下の意義がなくなった」で認識が一致したこと。
3、が、それ以後、軸足は、戦後の世界戦略に移ったこと。
4、そこで、スターリンの覇権主義を封じ込める秘策として原爆投下が再浮上。
5、アメリカは、ここで、原爆投下を待たずしての日本の降伏を避けるように工作したこと。
6、そういう事情で、足早に広島・長崎に原爆を投下するに至ったこと。

「広島・長崎の犠牲者は、米国の戦後世界戦略の人柱だった」

こういう側面を強く示唆して番組は、「原爆投下=戦争早期終結ダメ押し論」を一蹴していました。

この番組が全てではないでしょうが、その後も米国の世界戦略を考えると一理も二理もある視点です。
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いくつかの記録によると日本は既にその時点でポツダム宣言の受諾を


決めており、どういう日程でそれを連合国側に通知するか、また国内に
向けてどのように発表するかを陸軍と政府で駆け引きをしているうちに
日にちが流れていったと聞いたことがあります。
原爆の威力が東京で認識されたのは投下日から若干のタイムラグがあるし、
原爆投下であわてて降伏するほど外交手続きは単純ではないです。
ですから原爆が投下されていてもいなくても日本は8月のどこかで
降伏していました。アメリカが必要のない原爆を実験のために
広島に投下したと非難されるのはこういう背景があるからだと思います。
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