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幼児の言語習得に関する理論で「経験主義(Behavioristic)」と「合理主義(Rationalistic)」とはどのような理論なのでしょうか?
心理言語学関連の本を図書館で探していろいろ読んでみたのですがさっぱりわかりません(泣)
よろしくお願いします! (>_<)

A 回答 (3件)

w(゜〇゜)w


私の卒論のテーマに非常に近い!
「言語習得(語彙)に見る記憶のメカニズム」って大層な題名でした。

そもそも「経験主義」「合理主義」って言葉は哲学や思想の分野での
言葉だったと思います。

で、言語習得における理論としては・・・(ここからは曖昧な記憶ですが)
経験主義は、すべての知識は経験によって得られるもので、創造にポイントを置き
合理主義は、知識は生得的(天性)のもので、経験は既にある知識を活性化する。
発見にポイントを置く・・・というようなものだったかと記憶しています。

経験主義の考え方では、膨大な経験を積まなければ、言語習得できないという
ことになりますが、幼児が習得していくスピードを見れば、矛盾が生じます。
また、合理主義の考え方でも、それではその生得的なものがどこから生じ
どこまでが生得的なものであったかという説明も曖昧です。

それで私の卒論では、幼児にとって全く未知の単語を次々提示することによって
どのように習得されていくか、またそれが記憶される過程はどういうものか
というような研究に取り組んだわけですが・・・
面接実験に限りもあり、大数の法則が適用できるほどの標本を集めることが
できなかったという、まったくお恥ずかしい限りの内容でした。

・・・と言い訳しつつ、全然答えになってないですね。
もう20年以上も前のことですので、ほとんど忘れちゃいました。
m(。-_-。)m ゴメンナサーイ
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この回答へのお礼

私も含め、たいていの人は普段何の苦労もせずに言葉を使っているのに
どうやって言葉を習得したかってわからないですよね。
とっても不思議な感じがします。

私は教養科目で言語関連の授業をとっていてレポートを書かなければいけないのですが、文献を読んでも難しくて・・・

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/17 21:25

 


問題の性質上、うかつなことは言えないのですが、以下の参考URLを、部分的に見てみた感じでは、「経験主義(Behavioristic)」と「合理主義(Rationalistic)」と、もう一つ「構造主義的(Structualistic)」があるように思えます。

「経験主義的」は、言葉から見ると、行動主義的と同じです。これは、言語環境が与えられ、多くの言語サンプル、単語や文章が幼児に与えられると、それらを経験的に記憶学習し、抽象的な文法構造の獲得は、経験の「汎化」によって起こるとする考えではないかと思います。

多様な言語サンプルを大量に与えると、幼児の言語学習は促進されるとする考えのように思えます。それはまた、教育方法で、行動主義的・経験主義的で、言語習得の理論的組織的展望がないため、行き当たりばったりになるような、考えだとも言えるようです。

「合理主義的」というのは、恐らくノーアム・チョムスキーの生成変形文法の普遍文法のような、言語習得の先天的大脳機構的前提を立てている考え方なのでしょう。チョムスキー以外にも、言語のア・プリオリな習得可能性を構造前提とする考えは、合理主義的立場なのでしょう。

「構造主義的」というのは、経験主義と合理主義を合わせたようなところがあり、参考1のあらすじを読んだところ、ジャン・ピアジェやエリクソンの発達の方法理論が、経験主義的な方法に代わって採択されねばならないと主張しています。

ピアジェの発達心理学は、経験的だとも言えますが、彼は、行動の図式(シェーマ)の構造的成立を語ります。シェーマというのは、一種の構造の枠組みで、シェーマができると、行動は、トライアル・エンド・エラー的ではなく、構造目的に沿って、合理的に行われるようになります。

言語習得においては、基礎文法の学習がシェーマを構成し、思考や行動のシェーマ形成と連動して、言語的シェーマが次々に構成され、外部の世界での吟味によって修正され、やがてシェーマの輻輳から、より複雑で高度な段階の均衡が生じることになります。

エリクソンの発達課題の理論も、構造の構成によって、ある均衡状態を達成するのであり、これが発達課題の達成ということになります。

経験主義も合理主義も、いずれも、構造構成の概念を入れないと、うまく言語発達や習得の過程を説明できないように思えます。

経験主義的とは、上に述べたように、アトランダムな経験を通じて、成功による基礎文法の了解と、その汎化が、言語習得の基礎を構成するという考えのように思えます。

汎化が起こり得るのは、しかし、あらかじめ、人間の脳に、そのような機能前提がないとだめな訳で、言語は、合理的構造によって、人間の脳に、その基礎構造が刻印されており、合理的な構造を持つものだとも言えるのです。

しかし、経験主義と合理主義的な考え方だけでは、幼児の言語習得という事実を、うまく説明できないし、チョムスキーの理論は、幼児の言語習得のための方法論を提供しないという事実もあるのです。あまりに個別言語の構造が複雑過ぎて、普遍性構造が何か、明示できないという問題があるのだと思います。

それに対し、ピアジェの発達の理論やエリクソンの課題達成理論は、目標が明確に分かっており、そのため、どういう効率的な方法があるのかも、理論が提示していると言えます。

以上述べたことは、以下の参考URLを、斜めに眺めて見て、考えたというか、思いついたもので、まったく関係のないことかも知れません。

>参考1:In-service programs in preschool
http://www.rrp.upr.edu/cie/inservice%20prog.pres …

>参考2:The New York Review of Books: DEEP LANGUAGE
http://www.nybooks.com/articles/9956
 

参考URL:http://www.rrp.upr.edu/cie/inservice%20prog.preschool.html,http://www.nybooks.com/articles/9956
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この回答へのお礼

とてもわかりやすく説明していただきありがとうございます。
経験主義と合理主義、どんなものだかだいぶわかってきました!

でも参考URLは行ってみたのですが私の英語力では読めませんでした・・・
せっかく教えていただいたのにごめんなさい(泣)

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/17 21:37

言葉がどのように習得されていき、どのように体系づけられていくのか、という問題をめぐって対立するのが「合理主義」と「経験主義」の2つの立場です。

本来は言語習得を含めた人間の認知や思考のあり方全般についての立場でもあります。

「合理主義(Rationalism)」というのは、人間の理性というものの普遍性を前提にしている立場ですから、本当なら日本語では“理性主義”と訳した方がわかりやすいと思います。
言葉が習得され得るのは、言語を受けとめる主観の側に先天的に、本質的な知識形態に既にあるからだ、という立場です。頭の中に理性(客観性のもととなるような構造)がもともと存在していて、その構造が言葉や現実をなぞることで“理解“ができる、ということになります。

合理主義はいわばデカルト的な思想の流れを汲んでチョムスキーらに至るもので、“普遍的な理性”というものを仮定して、いわば心の中を括弧に入れてしまう(あるいはブラックボックス化してしまう)ようなところがあります。この点が、特権的なコギトの存在を認めない構造主義者を初めとするポストモダンの論陣から批判を受けるところとなっています。

これに対して「経験主義(Behaviorism)」というのは、まさにその構造主義的な考え方に立つものです。構造主義というのは(構造主義的言語学というものとはまた別物ですが)、ものごとの背景に絶対的な真理を認めず、その要素間の関係性こそがその本質だ、とする立場です。

言語習得における経験主義とは、受け入れる頭のなかに客観性が担保されているのではなくて、言葉というシステムの構造、つまり要素間の一定性こそが客観性なのだ、とする立場です。心が言葉のなかにある構造を忠実に写し取ることで“理解”ができるのだ、というわけです。
従って、この経験主義では客観性たる言葉をたくさん経験することがそのまま言語習得につながるというわけで、これがその名前の由来となっています。

上記二つの立場の間では論争が続いていますが、その大きな争点は以上のように「絶対的な真理というものを認めるかどうか」という点、そしてその上で「客観性の所在をどこに求めるか」という点を巡る対立だと言ってよいと思います。

参考文献として、以下のものを挙げておきます。

〇「子どもたちの言語獲得」小林春美・佐々木正美、大修館書店
 入門的な本ですのでもう読まれたでしょうか。

〇「子どもはことばをからだで覚える」正高信男、中央公論新社
 合理主義を踏み台にしながら、視覚や聴覚の障害例を通じて分析を行って、チョムスキーらの見解をなかば批判的、なかば発展的に論じています。身体と理性の二分法に異議を唱えつつ、認識における環境の可能性を重視する内容です。

〇「認知意味論の哲学―コミュニケーションの身体的基礎」青木克仁、、大学教育出版
 認知哲学よりの内容です。合理主義も経験主義も、ともに真理という名の客観性を拠り所とする点では同じ“表象主義”であると批判して、私たちの身体性、身体的体験がものごとの理解の基盤を作っている、といった主張をしています。
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この回答へのお礼

なるほど~!そういうことだったんですね。

参考文献もまた図書館で検索してみたいと思います。

助かりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/17 21:46

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