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No.3
- 回答日時:
クックの探検によってオーストラリアはイギリスの流刑植民地となったわけですが、1901年に連邦自治領になりました。
国家元首は現在も英国女王エリザベス2世ですが、実際に行政権を担っているのは内閣ですし、立法府も独立した議会をもっているので独立した国であるといえます。
もともと大英帝国の構造は立憲君主国であり、グレートブリテン連合王国(イングランドおよびウェールズ・スコットランド・現在は北アイルランドの3つの議会の連合たるイギリス議会)やコモンウェルスの各国家は象徴となった英国王の王権を戴いていることになっています。つまり国家元首が英国王のままでも、イギリス議会(つまりグレートブリテン連合王国の主権)のもとに統治されているのでなければ、独立した主権を持っているといえ独立していると私は判断しました。
つまり、英国王の形式的な王権のもとに、イギリスもカナダもジャマイカもオーストラリアと同等の国であるという構造になっています。
実際には2つの大戦後、イギリス依存から急速にアメリカ依存の社会になったため、英連邦としての意識は薄れ、近年共和制移行問題が議論されるに至っています。
No.2
- 回答日時:
共和制・立憲君主制をめぐる国民投票の際に現状維持派が勝利したこともあって、
イギリスとの結びつきが強いように言われることがありますが、
実際にはイギリスとの結びつきは弱いものです。
私も#1の方と同じように1901年の連邦結成時が真の独立時だと考えています。
次に重要なのは第二次大戦時と言えるでしょう。
イギリスはヨーロッパ戦線で手が一杯だったため、
太平洋方面で日本と戦った内の多くはオーストラリアだったわけです。
その際にイギリス本国はあてにならないという意識が浸透したと言われています。
さらにイギリスが当時のECに加盟した1973年が重要です。
以降イギリスが欧州内での貿易を優先的に行うようになってからは、
オーストラリアはアジアとの結びつきを強め、イギリス離れが進んだのです。
整理すると、
政治的な独立:1901年
精神的な独立:第二次大戦時
経済的な独立:1973年
となります。
独立国かどうかという問いについては、日本より、よほど独立国といえるでしょう。
オーストラリアは明らかにオセアニア及び東南アジアの一部において
自らのプレゼンスを高め、指導的な立場を得ようと戦略的とりくんでいます。
東チモールへの積極的な関与などはその代表的なものです。
それも、イギリスとの結びつきでは国の発展は望めないと判断して、そうしているのです。
そうしたことからも、イギリスとは一線を画しています。
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