電子書籍の厳選無料作品が豊富!

ただの好奇心ですが古代から現在までの世界史上、もっとも優れた武将10名を挙げるとしたらどうなるでしょうか。

A 回答 (16件中1~10件)

人気の差はあれ、



源頼朝
足利尊氏
徳川家康

は避けることは出来ないでしょう。いずれも数百年に続く幕府を作った人物です。
コロンブスの卵「誰にもできることでも最初にすることは難しい」的な人物ではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。できれば世界史の人も含めてもらいたいです。

お礼日時:2007/08/07 16:23

織田信長は別格です。


理由は、逆説の日本史を読んでください。

まあ、井沢元彦さんの意見ですけど。
説得力はあると思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。たしかに、信長はあらゆる意味で普通の武将とは違いますよね。

お礼日時:2007/08/07 16:24

楽毅(がくき 生没年不明)


中国戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。昌国君、または望諸君とも呼ばれた傑物。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ウィキで読みました。たしかにすごいですね。

お礼日時:2007/08/07 16:58

No2ですが、


世界に広げると
・アレキサンダー:実績はNo.1
・フビライハン : 〃 2番目くらいか?
・秦の始皇帝  :中国統一と、長城建設は偉業

・諸葛孔明   :劇画の世界では最強!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。やっぱり一番はアレキサンダーでしょうか。

お礼日時:2007/08/07 17:00

アレクサンドロス大王


ハンニバル
大スキピオ
ユリウス・カエサル
ウェルキンゲトリクス
サラディン
フビライ・ハーン
エルヴィン・ロンメル
ホレーショ・ネルソン
東郷平八郎

非常に偏っていますが^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ウェルキンゲトリクスとはなかなか渋いですね。確かに同時代のローマ人以外の中で、戦略的に考えられるのは彼一人でしたね、

お礼日時:2007/08/07 17:02

皆さんとは若干毛色の変わった武将を挙げさせて頂きます。

ハンニバルやシーザーについては良く存じませんので他の方に譲ります。

ナポレオン
ネルソン
ロンメル
フビライ・ハーン
ハルゼー※1
※1 昭和17年初頭、僅かな兵力のアメリカ機動部隊(アメリカ海軍の虎の子)を率いての日本への果敢な反復攻撃、ドゥリットル空襲の指揮は見事としか言えません。
まだ日本海軍との戦力比がアメリカに決定的に有利とはいえない時期に、虎の子の新鋭戦艦を日本海軍相手の夜戦に投入し、日本の虎の子であった高速戦艦2隻を別々に撃沈したのも見事です。
同時代の日本の木村昌福と同じ「戦機を感じとることのできる、名将中の名将」であったと考えます。

織田信長
徳川家康※2
立見尚文
木村昌福※3

※2 小牧の戦いで、戦力差がかなりある羽柴勢を相手に一歩も引けをとらず、長久手の戦いでは、羽柴軍の別働隊を俊敏な機動により殲滅。
関ヶ原の戦いでは、高地に陣を構える西軍に対し、敵情を全て読みきって「毛利は決して参戦しない」と判断して果敢な攻撃を行い、小早川の裏切りを実現させて西軍を殲滅。
「毛利の陣の下を悠然と通って関ヶ原に入り、西軍の堅い守りに崩れそうになる先鋒諸隊を督戦して小早川の裏切りまで持ちこたえさせた」
のは、名将中の名将だけができたことです。
大坂の陣では、いったん休戦を成立させて、大坂城を丸裸にして楽々と攻略。詐術同然の方法によるものとはいえ、大坂城をあれ以外の方法で落とすには「数年間の兵糧攻め」によるしかなく、事実上不可能だったでしょう。

※3 昭和16年に大佐で重巡艦長だった木村昌福がアメリカ海軍に属していれば、昭和18年には大将に昇進して艦隊を指揮していたでしょう。キスカ撤退作戦、礼号作戦での指揮は、「ネルソンの再来」と思わせるものでした。
彼のような名将が戦隊レベルの部隊しか指揮できなかったのは、海兵卒業年次と卒業成績に呪縛されていた帝国海軍の大きな過ちです。帝国陸軍もそういった点では同じで、日本人には「抜擢」ができない何かの理由があるのでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しい解答ありがとうございます。家康って武将としての実戦の能力もなかなか高いんですね。知りませんでした。

お礼日時:2007/08/08 10:36

テクムセ


スバス・チャンドラ・ボース
パトリス=ルムンバ
とかですかね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ボース以外の人は聞いたことがありませんでした。今度調べてみます。

お礼日時:2007/08/08 10:37

一応、武将となっていますから、武略についてなのでしょうかね・・・?なお、順番は時代順なので、優劣ではありません。



アレクサンドロス
ご存知のとおりマケドニアの王。古代史における「武」についてはカエサルより上なものがあるように思います。

曹操
破格の人。演義のおかげで評判は悪いですが、やったことは突出しています。当時の中国における枠をはるかに超えて、それを破壊した業績は政治面でも高く、また一生涯を通じて行った戦でも、かなりの業績を残しています。文武を通じて、破格の人です。

カール・シャルルマーニュ
カール大帝。たドイツ、フランス両国にまたがった英雄で、外征において最大版図を作り上げた王です。

チンギス・ハーン
これははずせません。後にも先にも、あれだけの帝国を作り上げたのは彼だけです。逆に、フビライは政治的失点も多く、また外征については失敗のほうが多いですから、武略では高く評価できません。

バイバルス
サラディンと並ぶイスラムにおける独眼龍。モンゴルや十字軍を打ち破っており、サラディンより華々しい気はします。

ティムール
中央アジア発祥の大帝国を作った創始者。モンゴル的な攻撃性と、イスラムの宗教的力を持ち合わせた征服者です。

永楽帝
朱棣。中国では評判の悪い皇帝ですが、その武における業績は高いです。若いころから北方の押さえとして北京に駐留し騎馬民族を倒し、不利な状態であった靖難の変で勝利して即位、その後安南や遼東を平らげたほか、自身も親征して北方の騎馬民族に対して攻撃を仕掛けています。

ヤン・ジシュカ
フス戦争における隻眼(末期は盲目)の英雄。火器(ハンドガンと大砲)の積極使用による、機動、火力を重視した「新機軸」を元とし、さらに宗教的厳格さを武器に神聖ローマを10年にわたり粉砕し続けた「ボヘミアの農民常勝軍」の指揮官。小国であったボヘミアが幾度と無く神聖ローマを破った(後期には、農民軍が歌を歌っただけで神聖ローマの軍勢は壊走したといわれます)その戦術は、同時期の世界においても突出しています。

サー・フランシス・ドレーク
ドレーク船長として有名な、イギリスの海賊騎士。スペイン無敵艦隊を打ち破る原動力となったその武略は、高く評価できますし、世界一周という業績も、揺るぎません。

アーサー・ウェルズリー
ウェリントンとして有名でしょうね。同時代の英海軍の司令官ネルソンのほうが有名ですが、こちらはそのイギリスの陸軍の軍人です。イベリア戦争などを戦った歴戦の将軍としてナポレオン戦争でも勝利を重ね、ワーテルローの戦いでナポレオンを下した、ナポレオン戦争の直接的な勝利者です。ネルソンがイギリスを守った英雄ならば、ウェリントンはイギリスに勝利をもたらした英雄ですかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な解答ありがとうございます。フス戦争について今度調べてみます。皆さんは本当に博識ですね。

お礼日時:2007/08/08 10:41

No6ですが、訂正します。


(正) チンギス・ハーン
(誤) フビライ・ハーン

No8さんが挙げられた曹操は、東洋史で一番スケールの大きい人物かもしれません。我が織田信長と通じるものがあります。「世界一の名将」の有力候補でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます。本当にそんなに曹操ってすごのでしょうか。今度調べてみます。

お礼日時:2007/08/08 10:38

面白い質問ですね~


私にとって名将とは新しい戦闘教義の開発(発掘)者とそれの実務者に別れますが・・・

ベリサリウス
東ローマ皇帝ユスティニアヌスに仕えた彼は20代でその才能を見出されました。ケチで疑り深い主君に仕えながらもその武勲は今に伝えられています。一般的に勝利への道は二つ。圧倒的な戦力で小さな敵戦力を蹂躙する事と、小さな戦力で一気に敵の将軍を討ち取る事で戦意を挫く方法があります。前者は安全ですが他所から舐められます。後者は他所から恐れますが危険です。彼は後者の側の巨星の一つであります。

グスタフ・アドルフ
彼は現代戦術の基礎を確立した人物です。古代ローマの戦術を再現し当時の技術で表現したとも言えるでしょう。そうした意味ではアレクサンダーやハンニバルの後継者の一人とも言えます。それともう一つ重要なのが軍事システムの規格化を推進した事も彼の功績でしょう。それまでの火縄銃では弾と火薬を別々に装填していた為威力や飛距離がバラバラだった事と連射速度に難がありました。それと大砲の口径の統一等彼の業績は今もなお生き続けています。

マンシュタイン
WW2当時で電撃戦の概念を考えWW1の塹壕戦の常識を引っくり返したジョーカーの様な人物です。圧倒的な速力・分厚い装甲・凄まじい火力の3つを兼ね揃えた戦車でしたがその可能性に気が付いたのは彼とイギリス等での慧眼の持ち主が数人いただけでした。そして彼はそれを推進できる立場にいただけでなく、WW2においてはヨーロッパ各地を蹂躙してみせたドイツ機甲師団の父であり長であったのです。彼の戦術は冷戦は元より湾岸戦争においてもその威力を見せ付けた事は記憶に新しい事でもありますね。


千田貞季
昨年の映画で有名になった硫黄島の戦い。彼は寄せ集めの混成第2旅団長として戦いました。アメリカ軍の戦死者は約7000人ですが彼の護った玉名山での戦死者がその半数を超えるとだけ言えばその実力を垣間見る事が出来るでしょう。空と海を完全に囲まれ兵力だけでも3倍。航空支援や艦砲射撃による火力差を考えれば軽く10倍以上の開きがある中でのそれは既に想像を越えています。
重要なのは小笠原兵団長だった栗林中将が直接名指しで指名した事実です。名将のみが名将を知ると言う良い見本でもあります。結局米軍は玉名山を正面から攻め落とす事を諦め周囲の陣地を順番に攻略し全方位からの攻撃でやっと陥落させたと言います。そして彼の死が栗林中将の戦意をも挫いた要因とも・・・
米軍はこの玉名山を「ミートグラインダー(ひき肉製造機)」と呼んで恐れたのも当然の帰結です。
米軍が投入した海兵師団はそれぞれが40~50%ものの損害を出しました。普通は師団の半数が実働部隊で残りが後方支援部隊で直接先頭するわけではありません。損害率40%とはその実働部隊が8割以上失った事を意味しており戦力としてカウントされない領域なのです。硫黄島の戦いの半分は彼と混成第2旅団将兵の物語とも言えるのではないのでしょうか?
彼は士官学校しか卒業しておらず通常では最高でも出世できる上限の大佐では無くその上の少将であり軍内部での異名は「歩兵戦闘の神」だったそうです。


光武帝
彼は後漢王朝の創始者として名を残していますがわずか数千の戦力で百万(誇張や後方支援を考えると約半数でしょう)を追い払った武威の持ち主でもあります。創業(新王朝の樹立)と守成(王朝の政権基盤の構築)を成し遂げた人物です。個人的には三国志の曹操よりもこちらが上だと思いますよ。彼の不幸は三国志のような素晴らしい宣伝に恵まれなかった事だけです。


歴史は調べれば調べる程にこうした漢達と見える事ができるので抜けられないんですよね~
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な解答ありがとうございます。やっぱり20世紀の屈指の武将といえばマンシュタインははずせませんよね。第三次ハリコフ攻防戦の指揮は本当に見事です。千田貞季 もなかなかすごいですね。日本にも戦術レベルでは奮闘した指揮官もいたのですね。

お礼日時:2007/08/08 10:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!