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小さい頃(~小学校低学年くらいまで?)に叱られて親から受けた罰、
例えば家の外に出されたり洗面所に閉じ込められた事、頭をはたかれた事
などは覚えているのですが、自分が何をしたのか全く思い出せません。
罰を受けて泣き叫んでいる自分だけが思い浮かびます。
親のそういう躾は役立っていたのかなと今になって疑問に思っています。
躾ってそういうものなのでしょうか。

A 回答 (8件)

そうですね~…。


僕も同じです。自分が泣き叫んでいるのだけが思い浮かんで、なぜ怒られたかというのはよく思い出せません。
しかし、僕はその躾が少し役に立っているのではないかと、今になって釈然と思いました。”怒られた”ということは、”自分が何か悪いことをした”という事ですよね。ですから、親に怒られると逆に”自分が何か悪いことをした”から”怒られる”という考え方が身につくのではないでしょうか。自分が悪いことをすると、親に怒られる。だから”もうしない”。と、意識では思い出せませんが、意識下である潜在意識ではしっかりと覚えていることかもしれませんよ。
それを積み重ねて、子供は”悪いことはしてはいけない”という考えが身につくのではないでしょうか。根拠はありません。でもそうやって叱ってくれる存在がいるからこそ、そういった良心が生まれてくるんじゃないかなって思いました。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
同じ事を繰り返して叱られていたのか、それとも様々な悪さをして叱られたのか自分でも不思議に思うんです。
親が激怒する程の事ってなんだったんだろうって。
叱られた事は無意識のうちに染み付いて役立っていると信じたいのですが、自分の中に残った恐怖体験を思うと疑問符も付いてしまいますね。

お礼日時:2007/09/04 22:57

mizu_miさん、こんにちは。




世間で子供を虐待死させる親が存在する事からも分かりますが
「良い意味を持った本当の躾」ではない叱り方を子供にしてしまう親が世の中には多くいるのではないかといます。
そして、そんな親の行為により傷ついた心を抱えている人は世の中に本当に多いだろうと思います。
メンタル系の病気にかかっていない人の中にも多くいるのだろうと思います。


また、子供を叱る場合、子供の年齢が上がってきたら「何故それが悪い事なのか」という理由の説明もするべきだと思います。

特に最近の子供は昔の子供と比べて知力の発達が早いという説もありますから、大人が思っている以上に、説明を理解する知力を持つ年齢が早い場合が多いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
親の思う躾とそれを受ける子の気持ちの間に大きな溝が出来るのは悲しい事です。
親がカッと来て手が出るのはただ単に子供に怒りをぶつけているだけで躾としては意味のない事ですよね。
ただ、こういう事を頭では分かっていてもイザ自分が親になった時に「良い意味を持った本当の躾」が出来るのか不安ではあります。

お礼日時:2007/09/04 22:49

こんにちは。



私も質問者様と同じく、自分が何をしたかはあまり覚えていません。
ただ、父親は大人同士が話している場に子どもが入っていったり
話をしようとすると「大人同士の話に口出しするな」と激しく怒りました。
「大人同士の話」がどういうのを指すのか具体的に理解できていないような小さい頃だったので
怒られた事実にものすごく納得いかなかったのを覚えています。

父は理由なく怒る人で、手もよく上げられたのですが
なぜそれほど激しく怒ったのか説明してくれた事はありません。
なので、私の中では単なる恐怖体験として残っています。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
私も「子供は黙ってろ!」と父親から言われた事があります。
かなり理不尽な思いをしました。
手を上げられた事が単なる恐怖体験として残っているのは私も同じですね。

お礼日時:2007/08/31 19:32

初めまして。



>幼い頃に叱られた理由
OJISANの場合、何気なく発した言葉に対して、突然「その様な事を、言っては駄目」
と、叱られました
当然、私にとっては「理解し難い叱り」でした
(内容的には、性教育の遅れていた時代の親の誤った躾でした)

子供の自分にとって、その様な親の態度が逆に「何故?」と言う好奇心を起こさせてしまったのです

その時親が「聞き流し」て居れば、多分自分も記憶に残らなかったであろう

>躾ってそういうものなのでしょうか
現代の躾は方法を誤らなければ、親の子に対する愛情の現われとして
それ程昔と差は無いでしょう

子に対する愛情には、二つの愛情が有ると考えます
1、全面的に子を包み込む「安心感を与える愛」・・・母親的な愛
2、子の自立を養う為の「突き放す愛」・・・父親的な愛

私はそれを信念として子を育てました

例えば、子が転んで泣き出す場合
1、「痛かったね イタイのイタイの飛んで行け」と子が安心出来る包まれた愛・・・之が母親的な愛
2、「痛くない 自分で起き上がって」と子の頑張る能力を育てる、突き放す愛・・・之が父親的な愛
と言った具合です

頑張る事を覚え、限界に達する前に帰る所を与えたい

この様な親の姿を見て子は育つのではないでしょうか?

躾は、親子の信頼関係から成り立つと考えます
「子の、何故」に対して「愛のこもった説明理由」が、一番子が理解体得出来ると考えます
「躾とは?」とかしこまらず、日々の生活の中でのやり取りが、全て躾につながって居ると、思って居ります

脈絡の無い文章に成ってしまいました
スミマセン
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。
OJISAN2002さんはとても愛情のこもった信頼関係で結ばれた子育てをされていると感じました。
二種類の愛情というのはとても参考になりました。

お礼日時:2007/08/31 19:27

怒られた理由なんてささいな事だったと思います。


おねしょしちゃったとか言うこときかないとか・・・。
でも、子どもには悪気はないんですよね。
私は今でも、怒っているお母さんしか思い出せなくて、それがつらいです。
20歳の時に母が亡くなりましたが、悲しくなかったですね。
きらいでもないし、看病も一生懸命しましたが、悲しくなかったです。
今思うと母が生きている間に、聞いておけばよかったと思います。
どうして私を押入れにいれたの?とかいつも怖い顔でゲンコツしたの?とか。
そして、悲しかったよと伝えておけばよかったと。

私の場合はもう思い出にしかなりませんけど、いつか話せるチャンスがきたら、子どもの頃の話をしてみるのもいいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。
怒ってるお母さんしか思い出せないとは辛い体験をなさったのですね。
私も罰を与えるのは決まって母親でしたが、今聞いてみたところで覚えているのか謎ですね・・・
「そんなこと忘れた。何をうじうじ考えてるんだ」と笑い飛ばされて余計にショックを受けそうです。

お礼日時:2007/08/31 19:21

 こんにちは。

自分がなぜ叱られたのか思い出せないことってたまにありますが、私の場合は大体覚えています。
私の家には昔から蔵があり、あまりに親の言うことを聞かなかったり、叱られても反省の色が全くない時など、父に抱えられて連れて行かれました。それは決まって夜なので、真っ暗な蔵に一人にされると怖くて仕方ありませんでした。靴も履かないままなので、裸足で外に出るわけにも行かず…。最初は叱られたことが悲しかったり、蔵にいるのが怖かったりでワンワン泣いていましたが、しばらくすると冷静になって自分の悪かった所を考えたりしました(蔵に連れられてくる以前に自分の否は理解しているのですが)。
5分、10分すると私が反省したか父が様子を見にきて、どういう行いが悪くて私を叱ったのか説明してくれました。母に叱られるのは慣れっこでしたが、父に叱られることは滅多になかったのでいつも以上に反省しました。
蔵に連れてかれるのは幼稚園~小学校低学年まででしたが、今では結構笑い話になっています。当然、頭や手をはたかれたりする事もありましたが、この蔵での寂しい罰はかなりの効き目がありました。

 大切なのはどう罰を受けさせられたかではなく、なぜ罰を受けることになったのか自分が理解しているかいないかだと思います。貴方の場合、罰を受けるだけ受けて、叱られた理由がわからないまま成長したために、悲しい記憶しか残らなかったのではないでしょうか。
 よく「叱る」と「怒る」は意味が違うといいますが、貴方にとってマイナスにしかならなかった罰は「怒る」方になると思います。自分を成長させてくれるプラスになる罰こそ「叱る」ですね。
(わかりにくい回答しか出来ず、申し訳ございません)
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。
お父さんから罰を受け、その後のフォローがきちんとあったのはうらやましいです。
おっしゃる通り、もしかしたら私は「何で?どうして?私は悪くないもん!!」とムキになって、叱られた理由を理解していなかったのかもしれないですね。

お礼日時:2007/08/31 19:10

私は1歳からの記憶があります。


ですが普通は幼稚園くらいからでしょうか???皆さんの記憶。
で、1歳から記憶がある私に言わせると、優しく怒られた事は今でも理解し覚えています。
でも激しく怒られたものは そこしかイメージとして残っていないのです、
きっと強烈だから怒られた意味まで消えてしまうのでしょう。
でもそれはそれでいいのだと思いますよ、
例えば・・・母のことを【オマエ】と呼び殴られ追い出されたとします。
泣き叫び記憶にはそこだけしか覚えていないとします。
でもそれでも それだけ嫌な思いをした当時の自分は二度と母親を【オマエ】と呼ばなくなっているのではないでしょうか^^
覚えている物は大きくなっても覚えていて懐かしめますが
覚えていないものはそれはそれで、自然に身についているのではないですか?
小さい子供でも頭の中はずる賢いですよ。それだけ怒らないとナメテかかる子供だっていますからね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。
1歳からの記憶があるとはすごいですね。
私は3歳か4歳の記憶が一番古いと思います。

覚えていなくても身に付いている、確かにそうかもしれません。

お礼日時:2007/08/31 19:04

私は小さいときに怖いものがあるということを知る体験は絶対必要だと思います。

これが事故などだと運が悪ければその場で死んでしまうので役に立ちませんし、後遺症が残る場合もあります。勿論親から虐待された場合などは事故より深刻な後遺症が問題になる場合も多いですが、親の愛情がどこかにあれば親に怒られるのは大切な体験だと思います。叱られた理由を覚えていても同じように有益な体験だと思います。こういう場合には親(あるいは他のいわゆる権威)に対する批判力の養成にも役に立ちます。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 19:00

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