牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

数学や物理を専門にしている人は、いつも自分の感情をできるだけ排除しようとしているのでしょうか?感情は自然現象の正確な理解にとって妨げになるのでしょうか?私の周りにも、物理学を専門にしている人で、感情をその人の中に全然感じず、逆に理性や論理性ばかりをいつも感じる人がいます。

A 回答 (7件)

これは私があるディナーの時にその場にいて、実際に経験したことです。

それはアメリカでのことですが、私の知人の娘さんが幾つかの大学院に同時に受け入れられ、どの大学院に行こうか決められずに迷っていました。そこでその娘さんはそのディナーの時にそこにいたノーベル賞を受賞した先生に、どれを選んだら良いかの相談をしました。その先生は「こういう問題は理詰めで決めてはいけない。自分の感情を大事にして、自分の直感に従って決めなさい。」と忠告しました。大変印象的でした。

そもそも研究の営みは、それが誰にも分からないからやるのです。分からないなりにその研究対象をいろいろな角度からいじくり回しているうちな、なんかこの辺に答えがありそうだなとう、直感なり決意が出て来ます。でも、この段階ではどうしてそうなのか論理的はまだ説明できません。そこでそれが正しいという仮説を立てて見て、それに自分の人生を賭けて見るのです。そこまでの営みは、その人の持っている感性なり感情なり個性が決定的な役割をします。

仮説が出て来たら、いよいよ論理の出番です。例えば物理ではその段階で、その仮説を表す数学的な表現を探します。ほとんどの場合、初めの段階ではその仮説そのものが曖昧であり、まだ良く定義された言葉で表現されていないので、数学的論理を展開して行くと仮説の不完全さが目に付いて来ます。そこでこの数学的論理で手に入れた新しい情報を使って、自分の感性なり感情と相談しながらはじめの仮説を修正します。その改良れた仮説を改めて数学的論理を使って分析して行くと、前よりは良くなってはいるが、まだ不完全であることが見えて来ます。

この営みを何回も繰り返して行くうちに、その研究者はだんだん自分が何を言っているのかが判って来るようになります。そして、いよいよ何が問題であり、その問題をどう表現すれが良いかを自信を持って言えるようになります。ほとんどの物理学者は、たとえその数学的に表現された問題の解をまだ導き出さなくても、この段階で自分の役割は終わったと満足するものです。なぜなら、そこまできちっと数学的に問題が定義されていれば、そこから先はハードウエアの優れたコンピューターなり、数学に強い(すなわちハードウエアの優れた)学生なら誰にでも解ける段階に来たからです。

他の学問は知りませんが、少なくとも物理学では自分が何を言っているのかが判るようになる過程の方が、それを数学的に証明する過程よりも楽しものです。

私の友人で、ある世界的に著名な物理学者の方が「学問で一番難しのは、正しい仮説を見付けることだ。それを見付けることは、その仮説を証明するよりも重要な寄与だ」と言って居りました。

もう数十年か数百年もすると、一旦数学的によく定義された問題はコンピューターが証明してくれるでしょう。でも仮説を見付けて来ることは人間じゃなくては出来ないのではないかと思っています。そして、この仮説を見付ける過程では、その人が育ち上がって来た文化(すなわちソフトウエアー)に強く影響された感性や感情や個性が決定的な役割を演じます。そう言う意味で、物理学者の営みも芸術家の営みも同じだと思っております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。仮説を見つけることはコンピューターではできませんよね。理性も大切ですが、感性も大切にしようと考え直しました。科学者として芸術性を感じられるように、日々精進したいと思います。

お礼日時:2007/09/10 07:14

No.5, No.6 の投稿をしたBASKETMM です。



スイスの首都ベルンにあるアインシュタイン歴史博物館に問い合わせたところ「アインシュタインは熱心なユダヤ教信者でした。」と言う電話の返事を貰いました。ご質問者の論点と外れてしまいましたが、曖昧なことを書いてはいけないと思い、投稿いたします。お騒がせいたしました。

アインシュタインはスイスのベルンで、多くの重要な仕事をいたしました。住まいの後が歴史博物館になっています。
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この回答へのお礼

私はWebで調べたのですが、どうやら間違っていたようですね。確かな情報をありがとうございました。

お礼日時:2007/09/13 21:46

素人である私の投稿を読んで下さって有り難うございます。



アインシュタインについては、本日スイスのアインシュタイン博物館に問い合わせを出しましたので、しばらくこの質問を開けておいていただけませんか。
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No.3 の方に付け加えます。


アインシュタインは量子力学を認めませんでした。神は曖昧さを許さないという彼の思いこみがあったからだと聞いています。(正確な表現は少し違うマモ知れません。ドイツ語の原文を見た訳ではありませんから。)

私の言いたいこと:大物理学者アインシュタインは感情豊かな人であった。神を信ずる敬虔なクリスチャンであった。(ここまで書いて、分からなくなりました。クリスチャンでなく、ユダヤ教徒かも知れません。どなたか教えて下さい。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。感情と信仰を同一視して考えるのは少し抵抗があります。というのは、信仰が個人の感情から来るのか、という問題があると思います。"感性"という言葉のほうが信仰に近いかもしれません。私の言う感情は、単に人の"喜怒哀楽"と考えてください。
アインシュタインはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなかったようです。

お礼日時:2007/09/13 13:20

>感情は自然現象の正確な理解にとって妨げになるか


日常生活においての感情は別として、あくまで、科学技術上の追及という意味でなら、感情は邪魔です。
感情(研究者が持つ感情のことであり、研究対象の感情のことではない。)
が悪さをして、正しい現象が把握できなかった有名な事例があります。

1.スキャパレリ、ローウェルの、「火星の運河」
まず、スキャパレリが、火星に「すじ」が見えると報告。
ローウェルが、それを、「運河」と誤解。  (「すじ」、「運河」は、同音異義語と解釈してください。)
で、これを「人工物」ととったため、「火星人の存在」まで議論が発展した。
なお、天文学者の誰もが「すじ」が見えたわけではない。

2. 2重盲検法(りこうな馬ハンス事件)
ハンスという馬が、知能を持っているかの問題。
馬の持ち主以外の誰が問題を出しても、どのような言語でも問題を出しても、
何故か正しい解答をハンスがしてしまう、それは何故か?という事件。
(ハンスは、ひずめをトントンたたいて、たたいた回数で答を知らせる。)
回答。
ハンスは、人間の表情を見ている。表情に変化があらわれた時点でひずめをたたくのをやめるように仕込まれていた。
これは、たとえば、
薬の効き目をみるのに、プラシーポ(偽薬)と新薬を比較するとして
医者がどちらがプラシーポを知っていれば、態度に出たり、医者の判断に影響を与える可能性がある。
したがって、
・医者にも、どちらがプラシーポであるかを知らせない。
という方法(2重盲検法)で判断しないと、正確なことはわかりません。

ですので、
・再現性のあるデータ(これこれこういう条件ならこういう結果があらわれる)
 以外は全部疑う。
というのが、科学の常識です。

ただし、あくまで、日常生活は関係ないです。
まあ、業務の思考が日常生活に影響して、日常生活も理屈っぽかったりする人は多いかも。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。現象を把握するときは、無駄な感情は排除したほうがいいですね。

お礼日時:2007/09/10 07:08

リチャード・P・ファインマンさんはノーベル賞を受賞した有名な物理学者で、優秀な教育者ですがいたずら好きで女の子をナンパすることにも熱心なとても人間味あふれた楽しい人です。


その人となりは「ご冗談でしょう、ファインマンさん」と言う本で紹介されています。
ぜひ、読んで見て下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ファインマンがそのような人だということは知っていましたが、あまりに偉大な例なので、一般論はどうなのかと思いました。

お礼日時:2007/09/08 13:37

私の親は二人とも数学を仕事としていますが、特にそういった事は感じません。


数学や物理を専門にしていなくてもそういう人はいますし、性格の問題ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人格から感情を排除することが必ずしも必要ではないのですね。

お礼日時:2007/09/08 13:34

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