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   「子育ては自分育て」つまり、子育てという大事業を経験することによって、人は成長するといった言い方をなされる人がいますが、どうも、しっくりきませんし、懐疑ぶかいですねえ。
  よくいうように、子育てして、結局なにがわかるかというと、偉そうなこといったて、人は動物なんだということではないでしょか。

A 回答 (11件中1~10件)

「子育ては自分育て」


これは、「真」でもあり、「偽」でもある、というのが本当でしょう。
子育てで自己成長する人もいれば、全く成長しない人もいるでしょうね?

残念ながら、貴方の周りにそれを納得させる存在がなかったということでしょう。
自分が育ったかどうかは、自己判断もあるでしょうが、周りがどう判断するか、だと私は思います。

私は2児の父親ですが、子供が生まれると、特に母親は「自分の思い通りになる時間」が子供の生まれる前と較べると極端に少なくなるようです。周りに協力があったとしても、ショッピングやコンサート、映画など気軽にいけないですしね。
「自分の都合以外を優先させなければならない」ということを強制的に経験させられることで、成長するかどうかでしょう。

「偉そうに、言っているkei1282お前自身はどうなんだ?」と聞かれると、
「うっ!」と返答に困ります。子育てには積極的に参加しているつもりですし、あまり自分の時間がないですね。成長したかどうか?今夜、嫁さんにでも聞いてみましょう・・・。やぶ蛇になりそうですが・・・。

最終的にはrikoikoさんが「子育て」を経験されて自分なりの結論をだして下さい。
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この回答へのお礼

  言葉とはあやふやなもので、、、、、

  自己成長とはなんなんでしょう?  自己成長を試みるメリットは?
 自己成長という言葉は、なんかその先に今までない、一回り大きくなった自分がいそうなそんな漠然とした感じしかもてません。とても押しつけがましい母親に育てられたからでしょうか、私には子育てをして見えてくる世界がある一方、失う世界も多いとおもえてならないのです。大変で特殊である分、その世界に押し込められたら、その中でグルグル回らざる得なくなって、まさに、井の中のカワズ状態になって、居心地が悪くなかったら、抜け出られないような(なにも、わざわざ抜け出ようとしない)、、、、。
  気がついたら、変な思いこみが強いだけで、本当の事を知る機会から遠い人物に、、、、なってて、、、あとはそのまま墓場まで、、、
  すいません、私自身が母に対して、そういう印象を持ってしまって悩んで抜けきれないものですから、、、
 ただ、子育てをするといった作業だけだったら、サルでもします。その中でなにか見いだしていこうと、自己努力していくかどうかは、ヒトによるんでしょうけどね。

お礼日時:2002/08/19 21:41

rikorikoさんこんにちは!


No.10のkei1282です。

すみません!

「rikorikoさん」が「rikoikoさん」になっていました。申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

  わかりました。気にしてません。

お礼日時:2002/08/20 22:18

「子育ては自分育て」って言葉、そんなに偉そうですか?


なんか、すごく否定的な感情をお持ちですね・・・。
確かに、どんなに知的ぶったって人間だって動物ですよ。知能が高いだけに「人間」「動物」なんて、自分たちと他の生き物を区別する言葉を作っちゃってるけど、所詮みんな動物なんです。同じ生き物なんですよね。だからって、この言葉が偉そうとかなんとかっていうふうにつなげてしまうのはどうかしら?
子育ては大変。難しい。苦労の連続。でも、それ以上の喜び、幸せがあって、今まで考えもしなかったことを考えるようになったり、出来ないと思っていたことが子供のためなら出来るようになったり、自分以上に何物よりも愛せる存在の大きさを知って、それによって自分の可能性や人間としての器が大きくなっていったりして。そういう意味で、「自分育て」でもあるんじゃないでしょうか。
最近は、子供を持ってもそういった気持ちになれなくて悲惨な結末になってしまうことも多いですが。
子育てしているといろんなことがわかりますよ。確かに、動物なのよねー・・・、って思うかもしれません。でも、それだけじゃなくて、人間は生きていくことを教える動物と違って、道徳を教えなければいけません。教えるには自分もそれをわかってないとダメですよね。子育てをしながら、それを自分も一緒に学んでいくのではないでしょうか。
子育てをしていてわかったことは、人間は結局動物なんだ、だなんて・・・。それって、寂しくないですか?子供はいろいろなことに気付かせてくれる存在なのに・・・。
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この回答へのお礼

たしかに。  私なんかは、だんだんと自意識過剰になっていく自分に嫌気がさしところ、「なーんだ、人だって所詮動物なんだ」と気づかせてもらうような体験があって、それからとても肩の力が抜けたようなホッとできるような気持ちをもつことができてよかったとおもってますけど、、、、
  なにかと傲慢になりやすい利己的な生き物であるだけ、生物としての自然体に自分を見失ってまで「よくみせつけたい」なんておもってしまってたあの頃その時の自分が恥ずかしいぐらい、、、
  どうのこうのいって、人は自然と共存するべき動物なんだという認識をもつことが大切なんではないでしょうか。変な意味でエゴイズムに浸ったりしないですむためにも、、、

お礼日時:2002/08/26 10:13

「育児」を「育自」という考えもあります。


私は、結婚前は子供が大嫌いでした。子供なんて産みたくないと思った
こともありました。
もちろん、よその子供を見て、かわいいなんて到底思えませんでした。

でも今は違います。
娘に接している時、自然と、自分が両親にしてもらってうれしかったこと、
嫌だったことが思い出されるのです。
そして一番変わったことは、親の気持が分かるようになったことです。
自分で子育てをしていなかったら、両親が私を育てた大変さ、辛さ、苦しさ
喜び、楽しみを知ることはできなかったと思います。
そして、娘を見ながら、「多分、この子も一人で育ったような気になって、
生意気なセリフを吐く日がくるんだろうな」と思っています。
そんな娘を受け止めるのも親のつとめと知りました。
rikorikoさんは、結婚されているのかどうか分かりませんが、
多分、ご自身がお子さんをお持ちになった時に、その答えはおのずと得られ
と思いますよ。
私もそうでした。
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この回答へのお礼

{、娘を見ながら、「多分、この子も一人で育ったような気になって、
生意気なセリフを吐く日がくるんだろうな」と思っています}
  親に対して憎悪の念(人間としてイヤな面も見せつけられるじゃあないですか)はなかなか消え去りませんよね。親もしばしば身勝手であったように(私の親はとても押しつけがましかったので、息苦しいときがあった)、子供だって負けず劣らず身勝手なものかもしれません。文句こそあれ、一応チャンと育ててもらってながら、愚痴ってばかりいてなかなか素直に感謝できませんからね。「親孝行したいときには親はなし」ということばがあったとおもいますが、多少なりともそういう運命って気持ちも上ではありうるのかもしれませんね。

お礼日時:2002/08/26 10:20

子育てなんてできない、という意味です。


子供は親とか先生とかが育てるものだという考えを否定した言葉です。
子供は誰かが育てるものではなく、自分で育っていくものです。その証拠に誰もなかなか思い通りには育てられないではないですか。子供はみんな不肖の子です。
そうすると親たちはいったい何をやっているのかというと、それは「自分をそだてているのだ」ということでしょう?
なかなか良い言葉だと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうね、「子供はみんな不肖の子」というお言葉、わかります。
 なんにもできない、不肖の子を社会的に適応能力を備えた一人の人間にしてあげるという大事業?なんでしょうね、、、、

お礼日時:2002/08/26 09:55

私は、元々は子供好きだったんです。


けど、自分の子供が産まれた途端、子供嫌いになりました。こんなはずじゃなかった!って感じです。もっと、楽しく明るくキレイに育てられるものだと思ってたんです。子供って。

でも、次第に気付きました。
子供といえども、れっきとした一人の人間。私は、その一人の人間の性格形成に、少なからず関わってしまったわけですよ。
そう考えたとき、これは大変な事かもしれない・・・と思ったわけです。
私の、言動一つで、子供の考え方や生き方がまったく別のものになるのかもしれない。
そうなると、私自身、発する言葉や動き方接し方などなど、いい加減な事は出来ない。
育てながら、自分は子供のときどうだっただろうか?自分がこう言われたらどう思うだろうか?・・・などなど、自問自答しながらの子育てになります。

これって、結局は、人と人との接し方の勉強になるんですよね。
動物を育てるのとはわけが違います。人を一人育てるって。自分の育て方ひとつで、その子の一生が変わるんですよ。
自分自身を振りかえる機会が多いって事もあって、自分育てに繋がるんじゃないかな?と私は思いますが。
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この回答へのお礼

「私の言動一つで子供の生き方に影響を与える」
  とはとても責任感感じますよね。人の、人生に関わっちゃった!私なんかでいいのかなあ???そんな責任背負えないなあ、、

お礼日時:2002/08/26 10:05

Yes!


その通り、所詮私も動物なんだ、とわかることが人生において重要なのです。
子育てなんて大事業でもなんでもないのです。
DNAがそうさせているのであって、それすら理屈づけないと出来ない人が増えているので、「子育て論」をぶちかまし、金にしてる輩が存在しうるのです。
「子育て」という言葉すら空々しい感じがしてしまいます。
でも、その言葉に酔いしれて母像、父像を背負ってわざとらしく振舞うのは、恐らく人間様だけでしょうね。
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この回答へのお礼

  「子育て論」や「教育論」はどうも胡散臭くても、金になるから(需要がなぜか?あるから)存在しうるとしかいいようがないとは私も思います。
  ツマラナイだらけの「たかが言葉」なんかに酔いしれて、演技ジミタ
人生にならずに済むように本質を手探りで見つけていこうと思ってます。

お礼日時:2002/08/25 00:55

多くの動物の母親も自分の子供の命を必死で守りますよね。

子育てはシンプルに考えれば子供の健康を守る事。体の健康を守り、心の健康を守る。
3時間おきに栄養をとらなければならない生かされている状態から、動く、話す、ご飯を食べる、トイレをする‥といったひとつひとつの事を自分でできるようになるまでサポートするには、並大抵でない苦労があります。ましてや二人なんて事にでもなれば、昼も夜も寝いられない状態になるでしょう。寸暇を惜しんで寝ても、今子供が危険な目にあっていないかと慌てて起きたりするものです。(乳飲み子は母親のおっぱいで窒息死する事だってあります)誤飲・誤食、病気・怪我、心配の種はつきません。一時期自分を犠牲にしないとできない大仕事です。それに対して唯一にして最大の報酬(といっていいのか?)は、子供の笑顔です。無償の愛情を捧げるのですから、大事業‥ぐらい言ってもいいのでは?と思います。
さらに人間には、感情があります。泣いたら応えてくれた、欲求を叶えてくれた、笑顔を向けてくれた、自分が何かしたら喜んでくれた、ほめてもらえた‥自分と周りの世界との境界線がない赤ん坊が、自分と母、さらに他者の存在を知り、関係を築いていくようになるのです。ここは楽しい、ここにいてよかった、そうやって心身ともに育っていくのです。

子育ては楽しいものと思える人もあれば、辛いものと捕らえてしまう人もいるでしょう。やはりこれほどまでに忍耐力が必要になることって滅多にないのではないでしょうか?
子育ては自分育て‥十分に成熟した大人になってからなら、自分を育てるのもラクになるかもしれない。そう思います。答えになってるかどうか、自信がないのですが。
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この回答へのお礼

  とても分かりやすくて客観的なご意見ありがとうございます。
 シンプルにいえば「子供の身体と心の健康を守ること」という意義、言葉でいうは易いが実情は大変なんだろうなということはわかります。
  無償の大事業をしてくれた両親に対して、若き自分は「愛と憎悪」という相反する感情を抱きながら葛藤せざる得ない状況でありますが、文句はいくらでも出せても大きくしてもらったという事に関しては有無を言わさず感謝しなくっちゃというきになりました。
  無償の大事業への恩返しのことを人は「親孝行」と呼ぶんでしょうね。
もしも、介護をすることになったら、それこそ無償の大事業をやって返すことになりますよね。ひとが生きていくってことはなかなか大変なこともおおいとウンザリしてしまいます。ヤレヤレ、、、、
  どうせやる事業ならどんな仕事だって楽しめるにこしたことはないでしょう?そういう次元になれるまで、自信がもてるまで、まだまだ、子供でいさせてもらいます!!!!(変なお礼???)

お礼日時:2002/08/25 00:49

子供育てて自分に何が変わる?


私もそんな風に思っていた一人です。

昔から子供が大嫌いで、電車の中やレストランでもうるさいし、スーパーで泣いている子供はいるし・・・

こんな光景を見て、ただ単にうるさいなぁ、親の責任じゃん・・と思ってた自分があります。

でも自分が親になった立場になった時、もちろん今まで通り、うるさいなぁ・・とは思います。でも子供はどんな子供でもうるさいもんだし、お母さんも大変なんだよねっ

なんて気持ちになります。そんな些細な気持ちの変化が自分も子育てしている中での少しの成長だと思っています。
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この回答へのお礼

 よく、自分の子供は違うといいますよね。母子本能がわいてきたのかな?

お礼日時:2002/08/20 22:21

>「子育ては自分育て」


いい言葉ですね。ぴったりですね。生まれたばかりの子供と20?才の母親とすごい差が有りそうに思いますね。何でも判っていると思いがちですが、子供の気持ちに成り代わって子供の悩み(欲望)や感情をぴったり感じる事が出来ますか。子供がなぜ泣いているのか、なぜむずかるのか、子供は何も答えてくれません。
熱が出ても、どこが苦しいのかうったえてくれません。

でも育てているうちに段々判ってくるのです。この泣き方はおなかがすいたのだとか、この泣き方はおしめぬれたのだとか。

自分育てとはそんなところから始まると思います。その内、自分に子供を育てる資格があるのかと思うときがきっと来ます。その時こそ本当の自分育てが必要になると思います。
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この回答へのお礼

  暖かい目で子供をみてらっしゃるんでしょうね、好い母親、これからもつずけてください。

お礼日時:2002/08/20 22:20

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