プロが教えるわが家の防犯対策術!

何度もこの場をお借りしているので、お見知りおきの方もいらっしゃると思います。

そのような顔見知り以外の方は、わたしがこのサイトでは「札付き」であり、このような類の「質問」に回答を寄せると、せっかくの時間をかけて書いた回答が一瞬のうちに削除の憂き目に遭う可能性が大いにあるということをご承知おきください・・・・

さて、今回も恒例の繰り言ですが、
「いのちの軽み」ということでお話ししたいと思います。

わたしは10代のころからいわゆる「心気症」的症状で悩まされて来ました。

身体に些細な不調があると「大変な病気ではないか?」と
おののき、しょっちゅう病院に出入りしていました。

それに人一倍神経質で、ちょっとした人の言葉や態度に容易に傷ついていました。

そのように、身体と心の両面を持て余していましたが、
近年、というより、この1~2年でしょうか?

そのような症状が明らかに軽減してきました。

何故か?原因は簡単です。

要はこの世に対する執着というものが無くなったからです。

わたしをこの世に引き止めておく何物もない。

だから明日「余命1ヶ月」と言われても、
なんだか平気な気がするんです。

今までならとっくに病院に駆け込んでいただろうからだの不調も、「その時はその時だ」と余裕を見せています。

世間の風が冷たいほど心は軽くなり、身体が綿毛のように
フワッと浮き上がるような軽快感に包まれます。

現世という港に寄港している錨の不在。
それはわたしを死の恐怖から解放してくれます。

次の港への旅立ちを促してくれます。

「イヤな事」にはこのような効用もあるのですね・・・・

A 回答 (3件)

私は、おそらくあなたにとっての、もっとも「札付き」にあたる立場のものだと思います。

なんとなく、他の人が立ち上げた命に関わる質問でも、ちょっと目が合ったことがあったような記憶があります。そんな私でも、もし読んでいただけたら幸いです。

今回は、「命の軽みを感じるmoonglowさんについて、どう受け止めるか」という質問だと解釈しまして、一言。

そこまでの境地にたどりつける人は、あまり多くはないのではないかと。
だからそれを、肯定すべきなのか否定すべきなのか、もちろん私にも、いえないというのが正直なところです。

確かに、何かといっては「命は大切だから、粗末にしちゃあだめですよ」ということを正論として訴えつづけたって、空々しく聞こえてしまうときもありますし、疑念を抱くこともあります。

あまり、「命は貴重、大事」ということを、強調しすぎてはいけないこともあるのではないかと思います。

命への変な執着を捨てることで、心は軽くなるもの。一時的か恒久的かはわかりませんが、そういう境地も、場合によっては必要なのかもしれませんね。

でも私は、まだ執着があります。この夏は体調も悪かったので、苦しいです。これ以上悪くなったら、そう考えるのもいいかも、と感じております。心が元気になったときに、生にこだわる心の準備をすべし、ですね。

この回答への補足

なんであなたが「わたしにとっての札付き」なんですか?

あなたのご意見とても納得できます。

お礼を書こうとしたのですが、
今、同日に質問した「悪心再び・・・・」という質問に寄せられたヒステリックな非難や覚えのな「いいいがかり」に憤然として管理人に削除を要求するつもりなので、

お礼は落ちついてからさせてください。

平安の境地のようなことを言いましたが、
全く、そのすぐ横でバカどもを相手にしなければならないと怒っている。

songbookさん、えらそうな事は言うもんじゃありませんね(苦笑)

補足日時:2002/08/26 04:57
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なんだか風船みたいですね。

ふわふわ~・・・っと。
そんな身の上なら、死んでも誰も気がつかないかもしれませんねぇ。
そのうち、「イヤな事」なんて感情もなくなって、すべてが「どうでもいいこと」になるんでしょうねぇ。
素敵ですねぇ。
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こんにちは。



良かったですね、心配事がなくなって。


…でいいのかな??<回答?
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