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魯迅の故郷で、
「紺碧の空に、金色の丸い月が懸かっている。その下は海辺の砂地で、見渡すかぎり緑のすいかが植わっている。その真ん中に、十一、ニ歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。」と、
「海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。」の違いは何ですか?そして、それぞれが象徴しているものはなんなのか?
魯迅の故郷を読んでいて疑問に思いました。
自分で考えてもなかなかわからないんですよ。
是非教えてください。

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A 回答 (1件)

 引用なさっている二つの部分を比べて、違いに気が付きませんか。

片方には書いてあるけれども、もう片方には書いていないこと。

> 「紺碧の空に、金色の丸い月が懸かっている。その下は海辺の砂地で、見渡すかぎり緑のすいかが植わっている。その真ん中に、十一、ニ歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。」と、

> 「海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。」

 そうです。銀の首輪をして、「チャー」に西瓜を襲われないように見張りをしている「十一、ニ歳の少年」。後の引用では出てきませんね。
 
 「故郷」の物語で、この少年は誰のことですか。確か、その人物と「私」とは、同年配でしたね。(本文を参照せずに回答しています。ご了承ください。)
 そして、「私」が少年の頃、「私」から見て、その人物はどんなふうに見えましたか?
 近寄りがたい身分の高い人? あこがれの対象? いやな人物? ライバル的な存在? ? ?

 後の引用は、確か、物語でも終わりの方じゃなかったですか。この時、「私」はもう大人ですね。少年も、もちろん、もう少年ではありませんよね。少年の頃と比べると、どう変わっていましたか。
 その変わりようが、後の引用では少年が出てこない理由となっているのではないでしょうか。

 それから、「海辺の広い緑の砂地」・「紺碧の空」・「金色の丸い月」という風景のイメージは、美しくすばらしいものものですか、それとも、美しくなくよくないものですか。この辺りも考えるヒントになると思います。

 以上の点を考慮して、一度、ご自分で考えてみてください。

 もし、考えてもまだよく分からなかったら、こんなふうに、ここまで考えたけれども、この部分についてはこういう点がわからない、というように「補足」をしてください。

 その補足に基づいたアドバイスをさせていだけると思います。
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