許せない心理テスト

江戸時代までの人たちは、右手と右足を同時に前に出す、いわゆる 「なんば歩き」 をしていたと聞きました。

当時の人は着物を着ていたので、その歩き方の方が着物が乱れないし、また武士が刀を腰に差すのにも便利だったからとありました。

ところが、先日あるサイトで明治30年頃の東京の風景を写した映像が紹介されていたのでジックリ見たのですが、着物を着ている一般庶民の歩き方は今と同じでした。 つまり、右手と左足を同時に前に出す歩き方ですね。

記憶では明治に入って一般庶民も洋服を着るようになったのと、軍隊が積極的に西洋の歩き方を取り入れた事が、従来までの歩き方に変化をもたらしたと思うのですが、動画をよく見ると中年と思しき男性が着物姿で町を歩いていますよね。

画像が小さいし不鮮明なんですが、どのオジサンたちも歩き方は今と同じスタイルのように見えます。 撮影時期を考えると、これらのオジサンたちは江戸時代に生まれているはず。 という事は 「なんば歩き」 で育った人たちのはずです。 

でもこの映像では 「なんば歩き」 で町を歩く人は一人もいないのですが、なぜですか?

「なんば歩き」 を禁止するとかは、なかったと思うし、小さい頃から身に付いた歩き方を変えるというのは、大変な事だと思うのですが ・・・

江戸時代までの人は 「なんば歩き」 をしていたというのは本当ですか?

そして、それはどうやって確証されたのですか?

A 回答 (18件中1~10件)

ラクダ以外にキリンもそうです。

(時折、犬もいます)これらの歩き方は乗馬で則対歩といいます。則対歩の馬は早足のときに上下の反動がないので楽です。弓を射るときなどは便利ですがこれは時折生まれる天然のものです。人工的に作る場合は左前足、後ろ足、右前足、後ろ足を紐でつないで調教するようですが失敗する場合も多いようです。モンゴルでこの話をしましたが、やはり数は少ないとのことでまた長距離の移動には向いていないと聞かされました。ナーダムでは則対歩の馬だけのレースもあるようです。
なんばと則対歩が同じではないとおもいますが、着物を着たときの制限から体の動きが変わる。というのは上に述べた馬の調教法からもあるのではないかとおもいます。
着物(はかま)はすそが広がっているので100ダッシュのような大きく足を前後に伸ばす場合、ばさばさとすそが邪魔です。そのような場合はももだちをとったり、たくし上げるような事前準備をしなくてはなりません。
気持ちとしてわかりやすいのは長ばかまをはいて歩く感じです。
腰に手を当てて(ベルトに親指を引っ掛け)肩と足を同時に動かさないとあるけないとおもいます。

人間がもともと斜対歩であったのは確実です。赤ちゃんのハイハイを見ればわかります。武道などでは「自然体」という言葉をよく使いますが
なんばは100%「自然体」ではありません

武士の歩き方が独特であればそれは彼らが職業的に無意識にそのようになったといえます。腰を落とした動きは西洋でも同じであり、もフェンシングも腰の位置は上下せず一定ですし、同じ側の腕と足を踏み込むというのであればプロのフフェンサーこそそうあるべきです。しかし、現実にはほとんどそのような歩き方をするフェンサーはいないでしょう。

わたしは表題の「江戸時代の人たち」は「なんば歩きをして」「走れなかった」はいくつかの疑問がまとまってしまったものだと思います。

1、絵画様式からみたなんばと見られるうごき。
 これはリアルではなく表現性の問題だと思います
2、武道をする場合の独特な歩き。
 日本だけではなく西洋の騎士も同じでした。
3、衣装から来る制限と農耕民族という特殊性
 衣装の制限は大きいと思います。農耕民族の畑を耕す動きという点で は西洋も農耕民族でした。これは牧畜主体のモンゴル人などの歩き方と比較をしなくては結論がでません。彼らは歩くよりも馬に乗る時間がながいですから彼ら特有の歩き方というのがあってもおかしくないです
4、明治時代の軍隊教練で統一して走れなかったこと
 これは西洋リズムがステップ主体であったことの文化的差ではないかとおもいます。日本舞踊はよくわかりませんが、「ちょちょんのちょん」のようなリズムは手拍子主体ですし、太鼓のリズムにしても体が動くのは先に上半身のような気がします。
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この回答へのお礼

とても詳しく解説して頂いて、有難うございました。
人間もほとんどの動物も、現代人のような歩き方が自然なんでしょうね。
たしかに長袴を穿いて 「殿中でござる」 と歩いたら、やはり出した足と同じ側の手で袴の一部を持たないと歩き難いと思います。
一方、他の回答者様のご意見にも剣道やボクシングでは前に出した足と同じ側の手を主体にして攻撃するとあって、私もなるほどと感じたのですが、もしかしてこれは、足と同じ側の手を前に出して攻撃した方が肩が入って相手に届きやすいからではないかと思い始めました。
もしこれを普段歩くように前に出した足と反対側の手で攻撃しようとすると、肩も入らず体重が乗らないように思いました。
格闘技で体重を乗せるって結構大事ですからね。
格闘技には全くの素人なんですが、そんな事を考えてしまいました。

お礼日時:2007/11/12 13:37

>左右にぶれながら歩いているような感覚になりました。


>難しいですねえ。

今までとは違う歩き方ですから、確かに最初は難しいと思います。
腰を帯などで固定してみると楽になるかもしれません。

>体重を乗せるって結構大事ですからね

体重を乗せるわけではありませんが、ほとんど正解です。


なお、ある剣術流派の、路上を歩いているときを想定した形の演武を見ると、歩いているときは普通に歩いています(若干の差異がありますが)。
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この回答へのお礼

有難うございました。
剣の達人でも、やはり路上を歩く時は普通の歩き方になるんですね。

お礼日時:2007/11/13 15:27

再びお邪魔します。


なんばはジャポニカ・ヒト(仮)の特徴的な歩き方だと言う解釈をして見ましょう。同じ側の手足が同時に出るまでもないが、それでも特徴的な「歩様」だったと仮定してみましょう。
馬には基本的に4種類の歩様があります。並足、早足、駆け足、襲歩です。しかし、うまの種類によってはその中間の歩様、あるいは同じ歩様でも特徴がはっきりわかるものもいます。たとえば通常早足はもっとも反動が高く、初心者は胃がひっくり返るような反動を耐えねばなりません。ところがテネシー・ウォーク種などはこの歩様のときトレイに乗せたグラスから水がこぼれないほど」滑らかに動きます。
または馬車用のハクニーは足を高く上げて歩くことで有名です。また、ある種のものは母親の歩きをみて真似をする習性もあります。
これらは先天的なものに調教と交配によって固定されました。
日本はほぼ単一の民族であり、外部からの混入は余りありません。また、文化もほぼ固定されています。つまり、遺伝的に特徴は保持されまた環境的にも変化が少ないことになります。つまりヤマト民族が遺伝的にある種の馬のように特徴的な歩様をもっていてそれがガラパゴス島の生物のように1000年ほど外部から隔絶されていたが、明治に入り外来種の影響を受け環境が変化し、その歩様が急激に変化したとも考えることもできるでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF% …
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この回答へのお礼

有難うございました。
馬には歩き方が4種類もあったんですねえ。
日本人の先祖にはなんば歩きの遺伝子があって、それが江戸時代まで続いていた ・・ う~む、興味深いですねえ。

お礼日時:2007/11/12 13:40

>捻り歩きをしていたと考える方が自然なように思うのですが ・・・


ええ、ですから、『現在に「近い」普通の歩き方』も使っていたと思います。その時代へ確認に行ったわけではありませんから、単なる予想でしかありませんが。

現在と異なった歩き方、走り方をしていたと考える理由は、
履物の違い、和服の着用などです。

和服では腰をひねりにくいので、腕を足とは逆には振りにくくなります(走る事に適した服装もないわけはありませんが)。現代では普通、歩くにしても走るにしても腕を振りますが、腕を振らずに試すと、全く違う動きになります。腕を振る場合はひねり歩きに、固定した場合は半身を交互にだす歩き方になると思います。どちらも、そうした方が楽です。
後は履物の違いから、足の進め方が少し異なると思います。
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この回答へのお礼

再度のお答え、有難うございました。
実は私も別の方のお答えにもあったので、手を後で組んだり、大きな荷物を両手に持ったまま歩いてみたのですが、私の場合はやはり出した足の反対側の肩が少し前に出るようです。
つまり、上半身を僅かに捻りながら歩いていました。
よほど意識しないと、足と同じ側の肩が前に出る事はなかったです。
それでも無理にそうやって歩こうとすると、体の重心が大きく前後左右にぶれながら歩いているような感覚になりました。
難しいですねえ。

お礼日時:2007/11/08 10:34

現在に「近い」普通の歩き方と一緒に使っていたのではないでしょうか。


(「なんば」なんて名前はなかったでしょうけど)
右半身、左半身を交互にだす歩き方は今でもあります。偉そうでゆっくりした歩きかたですから、使いにくいからつかわれないだけでしょう(酔っ払いがたまに使ってますね)。

江戸時代までが「なんば歩き」だけだったという話であれば、無理のある話と考えます。ただ、江戸時代の人々が現代の歩き方、走り方とは異なった歩き方、走り方を使っていた事は間違い無さそうです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
> 江戸時代の人々が現代の歩き方、走り方とは異なった歩き方、走り方を使っていた事は間違い無さそう ・・
もし良ければ、根拠と言っては大げさですが、なぜそうお考えになったのか教えて頂けないでしょうか?
というのは、下のコメントで紹介しました明治中期の町の風景の動画があるのですが、江戸時代後期に育ったと思われる人たちが手ぶらで歩いている光景が映されていますが、全員、今と同じように捻りながら歩いています。
考えれば、ラクダ以外の四足歩行の動物で、なんば歩きというか、後足と同じ側の前足を前に出すような歩き方をする動物っていないように思うわけです。 という事は、人間も歴史とか文化とか関係なく何万年も前から今のように足と反対側の手 (前足) を前に出す、捻り歩きをしていたと考える方が自然なように思うのですが ・・・

お礼日時:2007/11/07 13:52

 なんば歩きの事はよく存じませんが、質問者さまが気にされているWikipediaについて一言。



 あのサイトの信憑性は多くの方に疑問視されています。勿論全てが嘘という訳ではなく本当の記事もあるでしょうが、政治性の高いものや各種業界の内部情報等議論を呼ぶ記事、学術性の高い専門的な記事では批判が多く挙がっています。
 私の大学でも、ネットで調べる時はWikipediaだけは使うなという教員もいます。

 今回のように歴史学的考証が必要な記事の場合、記事の内容に確証は持てません。どんな記事でもそうですが、Wikipediaだけで判断しない方が良いです。
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この回答へのお礼

有難うございました。 お礼が遅くなり、すみません。
Wikipedia も嘘というか、間違った解説も混じっているようですね。
その証拠に 「徒歩」 というページの解説の中で、「明治以前、日本古来の歩き方」 とありましたが、私の質問がキッカケになったのかどうか分かりませんが、これが削除されて 「一部の武道家が好む」 と編集されています。
多分、確たる証拠も無いのに記述されたんでしょうね。
Wikipedia も、参考資料のひとつくらいに考えた方がいいですね。

お礼日時:2007/11/07 13:44

飛脚を撮った二枚の写真があります。


一枚は1860年代(幕末と思われる)ベアト氏が撮ったもので、明らかに「なんば歩き」です。
他方は1870年代(明治初期)に下岡蓮杖氏が撮ったもので現在の歩き方です。
この時代は動くものを撮るのは難しく、私はほかには知りません。
江戸時代の絵では歩き方の判るものは少ないようです。
善峯寺所蔵の「武家繁盛絵巻」の中に、なんば歩きのように見える武士がいます。   他方屏風絵の中に町人らしき人が現在と同じ走り方をしています。
江戸時代の武士は歩く時、手を振らないので不明瞭なのです。   (町人も同じようです)
武士は天下の一大事以外走ってはならない?とか云われ、平和な江戸時代には武士が走る絵は見かけられません。
私の考えでは武士は剣術の関係でなんば歩きをしていた。
町人は現在と同じ歩き方をしていた。    難問ですね。       
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この回答へのお礼

有難うございました。 お礼が遅くなり、すみません。
飛脚の写真を探してみました。 おっしゃっているのは次のサイトかと思います。
http://lib.u-air.ac.jp/koshashin/hikyaku.html
たしかに 「なんば歩き」 をしているように見えるのですが、ただ当時の写真技術では動いている瞬間は撮影できず、何分間もジッと不動の姿勢をしていたと思います。 従って、これはカメラマンに指示されたとおりの撮影用のポーズではないかと考えられるのですが ・・
その証拠に2枚後の人力車の写真があります。 丁度真ん中に位置する車夫が手ぶらで歩いていますが、現在と全く同じ歩き方をしています。

それと、私が最初に疑問を持つに至った映像があります。 このカテで過去に紹介されているのがそれです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3448901.html
1番目の回答で紹介されている動画を見て頂けますか?
和服を着て、手ぶらで歩く男性が多く撮影されていますが、「なんば歩き」 をしている人は誰一人としていません。
撮影時期から考えて、これらの男性たちは江戸後期に子供時代を過ごしたはず。 映像の中には武士出身者も混じっていても不思議ではないと思うのですが ・・

お礼日時:2007/10/31 10:06

なんば歩きを(ラクダのように)同じ側の手足を同時に出す。

ということが間違えています。実はなんば歩きは解釈がいくつかあり統一されていません。
リンク先の条件を見ると能の足運びのようですし、これをなんば歩きという言い方もあります。この歩き方は13世紀の騎士剣術のなかでも同じ足運びが述べられています。
この元になったのは特に剣道の打ち込みなど、同じ側の手足を同時に出す動きなどからでてきたものと思われますが、剣術は必ずしもそうではありません。西洋の武術はフェンシングが有名ですがこれも剣道と同じように突きのときは同じ側の手足が動きます。

また足はこびは当時の絵画を参考にしているようですが、絵画というものはリアリティよりも記号化が優先される場合があります。この解釈は足をクロスしたときの歩く姿は当時の絵画の好みからしてきれいなポーズと見えなかったのかもしれません。火事の中を手を上げて走るさまは驚きをあらわした表現法だとおもいます。エジプト絵画は横から見ていますから足もクロスしたのが少ないです。これを基準に古代エジプト人も日本民族と同じなんばあるきだった。となるでしょうか?

畑でくわを打つ動きも同じ側の動きでなんばと同じといわれます。日本は農耕民族だからといわれ、西洋は狩猟文化といいますが実は狩猟などができる人は領主や騎士、猟師などほんの一部であって多くは牧畜と農耕でした。

No.8さんの言われる腰に刀~というのは間違いであろうと思います。騎士も腰に剣をつけていましたし、剣は剣帯によってつるされているので足に絡む要素は帯に挟む武士よりも多くなります。
明治に入って西洋歩行が軍隊に取り入れられ日本人がうまく歩けなかったというのは一つは踵のある靴が理由です。踵があれば足から着地できますが、踵がない場合、つま先から着地します。この動きは剣道とフェンシングで明確にわかります。もう一つはリズムを取って歩く習慣がなかったことです。日本の踊りはリズムとステップは同じではないことがおおいです。一方、西洋の音楽とリズムは明確なビートがありステップをビートにあわせるのは容易です。

参考URL:http://page.freett.com/shourin/aruku.htm
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この回答へのお礼

有難うございました。
私も、なんば歩きの根拠を昔の絵画に求めるのは無理があるように感じています。 絵画は正確性より表現力の世界の産物ですよね。
でも、一口になんば歩きと言っても解釈が分かれるんですね。
歩き方なんて議論になるのもおかしいくらい人間にとって単純な動きなのに、突き詰めていくと結論を出すのが大変難しく思うようになりました。

お礼日時:2007/10/25 14:56

スーパーコンピューター上に人体の骨格を組み合わせた人体模型を作り、それを4°の下り坂に置いたところ歩き出したそうです。

もちろん、その歩き方は現在の歩き方です。
物理的かつ医学的に考えると、左足が前に出ると重心は左に寄ります。このとき、右上半身を前にひねることによって重心を右に、つまり中央に戻すことができます。重心は常に中心付近にあったほうが安定しますから、左足を出して右手を出す歩き方が一番自然かつ合理的だ、ということになります。
絵画などにおける表現ですが、これは慣習として使われていた可能性は大いにあると思います。子供に絵を描かせると、右手と右足が出ている絵を描くことは珍しくないと思います。ルネサンス期になって遠近法が発見されるまで、遠くのものも近くのものもほとんど同じ大きさで描かれていました。馬の足の動きは、カメラが発明されてから正しい動かし方が分かったくらいで、よくナポレオンの戦場を描いた絵画で騎馬隊が突進する様子が描かれていますが、あれは足の動かし方の描きが間違えている(当時の人々はそう動いていると思っていた)のだそうです。

動画の映像と、古文書の内容と、どちらのほうが資料的に信憑性が高いかは明らかだと思いますが、なんば歩きを提唱している方々は武術の先生が多いので、私も面と向かって先生の論に異を唱えるような命知らずなマネはしないでおこうと思っています。
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この回答へのお礼

有難うございました。

全く同感です。 重い荷物を持って歩くと、なんば歩きの方が安定した歩き方になるとのご意見がありましたが、実際にやってみると、足を前に出すたびに体全体の重心が大きく左右にぶれます。 つまり安定した歩き方にならないわけです。
また当時の飛脚の描かれ方に根拠をおかれる方もいますが、これも単なる画法の一つかなと私は考えています。 実際、なんば歩きで走ってみれば分かりますが、歌舞伎の所作ならともかく、あのやり方で早く走れるわけがありません。

また動物学の専門家の方に聞いてみたいのですが、爬虫類も含めて、4本足で歩行する動物では、どちらの方が多いのでしょうね。 なんば歩きで自然に歩いているのはラクダくらいしかいないように思うのですが ・・ トカゲの歩き方を連想しても、結構、体を捻りながらノッシノッシと歩いているように思います。 
という事は人間も自然に歩くとネジリ歩きになるのが本当という結論になるわけです。 たとえ着物を日常的に使用していた江戸時代の日本人であっても。

削除されてしまったのですが、明治30年撮影の映像に登場する和服を着た、手ぶらであるく年寄りは全員ネジリ歩きでした。 この人たちは江戸時代に育ったはずなんですが ・・・

やはり Wikipedia で解説されていたように、なんば歩きは日本古来の歩行スタイルというのは大嘘なんでしょうか? その場合、一体、誰がこんな嘘を広めた事になるんでしょうか・

お礼日時:2007/10/25 10:53

>江戸時代までの人は 「なんば歩き」 をしていたというのは本当ですか?


本当です。
>それはどうやって確証されたのですか?
代表的なところでは浮世絵です。東海道53次などを見れば、といいたい所ですが、歩いている人では見分けが付きにくいです。飛脚のように走っている人が良く分かります。ネットで「浮世絵 なんば走り」の方が納得のいく情報が得られると思います。
ちなみに、佐川急便に数年前飛脚のマークがあったと思いますが、アレもなんば走りをやっています。古い車両にはまだ付いていますので、確認ください。

空手、合気道の半身の姿勢も、剣道の正眼の構えも、相撲の?(腰を落とし、手を突き出しながらすり足で前に進む基本動作;名称が分かりません。)も、阿波踊りもなんばです。まだ現代社会でも生き残っています。

>右手と右足を同時に前に出す、いわゆる 「なんば歩き」 をしていたと聞きました。
というより、極端過ぎますが、能のように上半身を動かさないというか、ねじらない動きです。日舞の歩く所作も上半身は動かしません。その逆の極端な例が歌舞伎の跳び六方かな。手の動きはそれほど重要でないというか、付属的なものかと思います。肩の動きか、肩と腰を結ぶ上半身の面の動きが、なんば歩きの特色になると思います。

>でもこの映像では 「なんば歩き」 で町を歩く人は一人もいないのですが、なぜですか?
う~ん。根拠のある話ではありません。
歩くとか走るという行為は、親から教えられるものでなく、本能でするものです。本能が今の動きです。なんば歩きは学習する必要があったと思います。行儀見習い、しつけの世界です。肩を怒らせて交互に動かす所作はやくざか与太者の所作だったのでしょうか。善良なる一般市民は肩をひねることなく、流れるように?歩く。
文明開化で考え方が180度変わり、学習しないでよい、本能のままの歩きになるのに、多くの時間は必要なかったからかな。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なんば歩きについては、江戸時代までの絵画によるところが多いようですね。
ただ、どうなんでしょう、日本の絵画が写実主義なら理解できるのですが、結構デフォルメしたり、写実とは異なる画法を取り入れているケースもあるので ・・・

でも人間、本能だけで歩くとネジリ歩き、なんば歩きは子供の時の学習によって身につける ・・ 納得です。

お礼日時:2007/10/25 10:37

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