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昨年研究室に来た人は修士を卒業して、企業で数年間働いた後再び大学に戻ってきて助教になりました。化学系なのですが博士号を持っていません。
大学院重点化計画によって、日本全体で見るとポスドクは13000人はいると言われています。化学の分野でも日本中でポスドクの人はたくさんいるでしょう。研究室のポスドクの人でも論文をファーストで年に3報も書く人もいます。そんな人を差し置いて修士卒の企業出身者が専任になったというのが疑問です。すべては教授が決めることなのでしょうがなんかポスドクをしている人がかわいそうだと思いませんか?
大学教員に専任で登用されるのはどれくらい難しいことかということは皆さんはご存知でしょうけど、もし僕がポスドクで、任期がある中で毎日必死に研究してるときに特筆すべき顕著な研究業績がない人が助教になったらもうやってられないと思うでしょう。珍しい例でしょうがなんでこんなことがあるのでしょうか?

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A 回答 (9件)

化学系で教員をしています。


かなり特殊なケースだと思いますが、博士無しの助教採用が未だにあるのですね。驚きです。

私もポスドクをしましたので精神的つらさは分りますが、
この場合、ポスドクよりも、むしろ学生達に認められない教員の方がかわいそうです。
助教になる事は第一歩であって、決してゴールではありません。
実績がポスドクより少ない、論文書けない、学生に認められていない、正直終わってます。
人がいいことは大切ですが、今の時代助教は自分でガンガン研究費取ったり、
一流誌に独力で論文を出せないとやっていけません。
また、不可思議な人事をする教授は敬遠されますので研究室自体先細りします。
どうやってこの人はこの先アカデミックでやっていくのかと考えると、
同情を禁じえません。

ポスドクで頑張っている人はそれなりのポジションに付いていますし、
結局回りの雑音に振り回されずに研究に打ち込むことが大切だと思います。
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その人の能力が云々の話は、先の方々の回答にあるように、企業出身の修士だとかポスドクだとかには直接は関係ありません。



それに加えて、
助教の公募の際、仕事の範囲が「**の分野」という具合に具体的に示されていることが結構あります。
応募者の中でそれにもっとも合致していたのが、修士卒の人だった、というのがあっても別に不思議ではありません。
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一言いわせてください。


いまどきそういうのは少ないでしょうし、その人のケースはわかりませんが、
「修士卒の企業出身者」イコール許せない、という感覚は短絡ではと申し上げたい。言い換えると博士号もいわゆる研究業績も、ほんとにそんなに大事なことなの?という点です。

以下ちょっと極論ですが:
いまどき博士号など馬鹿でもチョンでも取れます、大学院に行ってさえいれば。私も企業から大学に来るにあたり、博士号くらいないとまずいかなと思って取りましたが、簡単なものでした。たくさんの博士を見ていますが、どうしてこのレベルでという人も多い(私自身も含めてかも)。博士号の人は修士号の人より高い能力を持つとは言えないのです。
ついでに言うと、企業の研究開発者の中には論文博士を取る人もいる、その人たちの実力は、普通に博士課程を済ませて博士号を取った人よりはっきり上というのが私の所感です(平均的には、という意味で個々にはいろいろでしょうが)。

研究業績はというと、結局あなたのいう業績は論文の数ですよね?企業では論文を書くことなんて二の次、納期内に目標達成が第一、たとえ不得手な研究内容でも自分が望まないテーマでも、がむしゃらに取り組んで鍛え上げられる。目標産物は商品でありノウハウである。論文を書いているヒマなんてないし関心もない(人によってはありますが)。翻って大学ではというと、自分がやれると思うテーマに取り組む。重箱の隅でもなんでもかまわない。成果目標は論文。というより論文数。自ずからいわゆる研究業績は大学の人のほうが数が積み上がる。ここでその論文の価値はというと、ほんとに巨大な業績は10年経ってわかる。平凡な論文ほどスムーズにアクセプトされる。革新的なものは査読者の抵抗でなかなかスムーズにいかない。なので、論文数は研究者と研究の価値を表す指標としては本来はそれほど信頼できるものではない。

以上極論終わり。

大学の研究者は自分が直接手がけている極めて狭い範囲では先端かも知れないけど、その周辺も入れた力量となると企業で鍛えられた人のほうが上かもしれないのです。その人に接して見て初めてわかります。そして博士号とか論文数とかいうのは、他に客観指標がないから、accountabilityという意味で大学ではそういうものに頼る文化になっているに過ぎません。大学の文化イコール正義ではない、そういう認識を持っていただければという思いで書きました。
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大学教員になるのに資格は必要ありませんが、一般的には博士号を持つものが多い傾向にあり、最近では博士号なしで大学教員になる人は少なくなりつつあります。


しかし、例外はあります。
大学の教員は縁故採用が9割とも言われています。
博士号を持っていなくても教授が気に入った人であれば十分可能性はあります。
業績でも学位でもなく縁故が勝った例ではないでしょうか。
そもそもその人、本当に常勤の教員でしょうか。
最近、特任教員という非常勤の教員が結構いて、自称助手や助教がいます。
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 最近じゃありえない話ですね、




可能性1 よほど有能な能力か、業績がある(業績があれば、実際経歴は関係ないこともあるでしょう)

可能性2 最近、大学院重点化とあわせて、もう1つ産学協同の政策をすすめることが奨励されています。それのために異例ではあるが、企業から人材を引き抜いた。

可能性3 少しかわったかたちですが、天下りみたいなもの?これだと、かなりどすぐろい話になりますね。

可能性4 長い海外実務経験がある(これはよくあるパターン)
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幼稚園~高校の教員と違って、大学の教員になるには資格は必要ありません。

高卒で東大教授になった人だっています。能力さえあればいいのです。
博士号を持っていても、教員としてのその人の能力が認められなければ大学の教授にはなれない。これは至極当然のことです。ポスドクが何人いようと関係ありません。
ちょっと厳しい意見を言わせてもらいますが、博士号を持っていれば大学教員になれると考えている方がおかしいですし、博士号を持って、大学教員以外の道を模索するという考え方も必要ではないでしょうか?
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ちょっと良くわからないのですが、その人は『特筆すべき顕著な研究業績がない』というのは判明している事なのですか??『企業に居る』=『業績が無い』というのは自明ではありませんよ。



あと助教は助教でも、寄附講座の助教や、特任助教という可能性はありませんか?

基本的には、理由が無く、わざと能無しを助教にする事はありません。教授の業績というのは基本的には学生と助教が実働部隊となって稼ぐものですから。。。なにか理由はあるんでしょう。
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論文書いただけじゃだめでしょう。


客観的に見て、どう評価されるかです。
研究実績は論文数でなく、その内容では?

民間企業で研究開発系の仕事をしているので、博士を持っている人とも仕事をします。(私は修士ですが)
すごい人も居れば、なんでこいつが博士?と思う人間も居ます。
まぁ、修士でも同じですが。
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その人物が優秀だからではないでしょうか?


論文の数量だけで准教授になれるのであれば誰でもなれると思います。
論文の数よりも研究実績などでは推し量れない豊富な知識、学識があると
教授は判断したから准教授に採用したのではないですか?
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