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授業の課題で「格差社会」について調べています。
「格差社会」に対しては過去ログでも圧倒的に反対意見が多いようですが格差=不平等と安易に決め付けることに疑問を感じています。
平等とはすべての人が必要最低限、生活し得ることを保証されることだと思います。(必要最低限、生活し得ることを保証されるレベルの位置付けは曖昧ですが)
最近はなんでも格差と結びつけて論じられているようにも感じます。努力する人がその成果として報われるのは当然ですし、格差社会は現実として存在すると思います。ただ、問題なのは急激な格差の広がりだと思うのですが皆さんはどのようにお考えですか?
格差社会についてご意見をお聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

「格差社会」には反対する方でも次のような考えは容認するでしょう。



「チャンスが平等であれば結果に差がつくこと(格差)は問題ない。」という点です。

現在の日本は従来の年功序列からどんどん成果主義へ移項しています。では成果主義とは何なのか?
それが前述した「チャンスが平等で、結果に応じて格差をつける」ことです。
ここで成果主義を否定してしまうと頑張る人が報われない社会になりますので経済が鈍化してしまいます。年功序列はチャンスも与えないかわりに結果の平等を約束しています。これが黙っていても会社に長年勤めていれば給料が上がるシステムですよね。
ただ現在の日本は一度格差がつくと二度と這い上がれない社会になっています。1番の問題は新卒第一主義でしょう。18歳、22歳の就職活動で一生が決まってしまうというのは明らかに歪んだ社会です。年功序列が堅持されていたころはまだ良かったのですが、成果主義が導入され一度失敗し転職しようとしてもチャンスがない。というのが現在の日本です。力がある失職者が溢れ、無能な会社員が会社の椅子にふんぞり返っている。これを打開しようとしたのが安部首相の「再チャレンジ政策」ですよね。どこまで本気だったか疑問ですが...

「チャンスが平等」で「結果が平等」であれば企業が社員に「格差」をつけることは問題ないと私は考えております。
ただここで国が(質問者様の言葉を引用させて頂きますと)『すべての人が必要最低限、生活し得ることを保証されること』という前書きが前提条件としてありますが。国が国民に「格差」をつけることは問題である。ということですね。

回答が質問者様のお力になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
いままでに調べた参考資料でも条件付で格差社会に賛成意見がありましたが「努力した者が報われる」ことは認めても必要以上の格差は否定する意見がほとんどでした。
成果主義は理解できますがどうも企業側の都合で運用されすぎているように感じます。
「チャンスが平等」がフェアに運用されていること、「結果」についても正しく評価されることが
が大切ですね。
いま抱えている日本の現状がよく分かりました。

お礼日時:2007/11/03 19:25

格差=結果として差がつく


と言うなら格差社会は必要だと思います。
人間の能力、努力度、職種、運これらを無視して結果の平等を求めればそれは人間性を否定した事になります。その弊害は歴史が証明していますね。

観察すれば分りますがホームレス、ネット難民などの方は本当に努力をしているのでしょうかね。現在の境遇に満足しそこから抜け出す事を本気で考えないように感じます。
比べて高収入を得ている人は他人よりも非常に努力をしていると思いますよ。
その結果所得税はじめ各種税金の類を非常に多く払っていますよね。

この両者を結果として同じにするなんて犯罪に等しいです、強奪ですね。最低限の生活を保障してその後は各人の責任、これがベストと考えます。
しかし一所懸命働いた結果が生活保護受給者よりも収入が低い、こんな事は容認できません。これを悪平等といいます。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
人にはそれぞれ個性があり、みんな違うんですね。
平等ってすべて良いことのように考えがちですが、違った方向から考えると人間性の無視にもつながることがわかりました。
「格差」とは人それぞれの違いであって「悪平等(不平等)」や「差別」とは違うんだと思います。

お礼日時:2007/11/07 04:47

仰るとおり格差がない社会なんて存在しないのですが、


雇用主がそれを理由に本来払わなければならない賃金や保険などの負担を義務を投げ出してしまう所に問題があるのです。

バブル崩壊以降、労働者の賃金が安い理由は「不景気だからしょうがない」でした。
ところが、最近になって日本はイザナギ以来の長期好景気に突入、低賃金を続ける理由はなくなってしまったのですが、
今まで労働者をはした金でこき使い搾りとることに味を占めてしまった雇用主はその旨みを捨てることが出来ません。
ですから今度はそれに変わる理由として、成果や能力主義を持ち出し格差(低賃金・ワーキングプア)はあって当然などと話をすりかえようとしているのです。

ですが、こういうことを社会が許してしまうと企業の競争能力がどんどん衰えていきます。
かつて日本企業の花形であった家電業界なども、目先の欲にとらわれ安易なリストラや正社員の派遣やパートへの置き換えに走った結果、
韓国メーカーなどに機密がダダ漏れになってしまい液晶や半導体などの分野で現在大損害を被っていますし、
更に終身雇用や年功序列を廃止したことで人材育成も疎かになり、
昔のように高くても売れる卓越した製品を作れるエンジニアが育たず、途上国の三流品と同じような物しか作れなくなってしまいました。
挙句無理に値段を下げようと部品をケチったせいでS○NYのノートパソコンが使用中に火を吹いたり、ポケットに入れていた三○の携帯電話が破裂するなど
一流企業ですら散々たる惨状となっています。

>努力する人がその成果として報われるのは当然ですし、
今報われているのは、突出した才能があるか、要領がいい人でしょう。
誰にでも出来るようなことを幾ら一生懸命やっても、どんなに長時間頑張っても、
目に見えた結果が出せなければ今の社会では成果にはならないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「格差社会」が叫ばれていますがやはり、賃金格差や雇用格差、企業間格差など経済問題に起因するものが多いようですね。
成果なくして発展はなし!とはいうものの努力すれば報われるとみんなが夢をもてるような社会になって欲しいものです。

お礼日時:2007/11/04 11:35

今の格差問題ってマスコミや野党、一部市民団体が政府を攻撃するために使っている方便でしかないですよ。


世界的に見れば日本は格差の低い社会ですし、
実はチャンスの平等も十分あります。
ネット難民になっても住み込みの仕事をしてお金をためれば大丈夫なのに、そういう仕事はきついのですぐに逃げ出してしまうそうです。

格差が原因でもないことを無理やり格差と絡めたり、そんな大事でない部分を非常に大げさに言ったりしているために
格差問題がさもあるかのように見せられているだけに思えますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
実感として「社会格差」ってあまり感じていません。
世の中のさまざまな事件や出来事同様、マスコミによって煽られているような気さえします。

お礼日時:2007/11/04 11:30

No.3のものです。



質問者様は非常に良く調べていらっしゃるようですね。
>成果主義は理解できますがどうも企業側の都合で運用されすぎているように感じます。
その通りです。前述したとおり日本は長年年功序列でした。バブル崩壊とともに企業は成果主義を徐々にですが取り入れてきました。しかし経営者が業績悪化の尻拭いをするために「チャンスの平等」がないまま「結果に対してだけ責任を負わせる」”なんちゃって成果主義”が横行していると思います。
チャンスを与えず責任だけを取らせ”成果主義”として報酬を下げるのは経営者の責任転嫁以外の何者でもありません。

そして私はNo7の方とまったく同意見です。
問題は成果主義を導入し報酬に格差をつける企業ではなく、格差をつけられた方たちにどうやってまたチャンスを与えるのかという点だと思います。これは企業がどうこうすることではなく国がセーフティーネットを作り、再び社会へ復帰できるように後押ししなくてはならないことだと思います。
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この回答へのお礼

重ねてありがとうございます。
「成果主義」という美名の下に企業側(そして政治の)の都合の良いように使われていると思います。
確かに努力だけで成果を伴わなければ会社に対する貢献度はありません。
近年、年功序列を廃止した企業が増大していますが人材育成ということ疎かにしているように思います。
会社は人間同士が切磋琢磨しキャリアを積みスキルアップを図ることで企業力の向上につながるはずです。
企業は働く人に平等にチャンスを与え、敗者復活の機会をも用意することが重要だと思います。

お礼日時:2007/11/04 10:44

おっしゃる通り、格差=不平等と安易に決めるものではないと思いますよ。


ただ、おっしゃっている格差の広がりも実は問題ではないと思います。
別に格差が広がってもよいと私は思います。
努力の仕方によって格差ができるのは仕方ないことです。
逆にとにかくがむしゃらに頑張れば誰でも上に上がれるような社会なら、結局みんな横並びになってモチベーションも下がるんじゃないでしょうか。

格差社会と言われている問題の"真の"問題点は「格差があること」ではなく「格差の底辺にいる人がまともに生活できないこと」ではないでしょうか。
努力が報われるとかそういう簡単な問題ではないと思います。

そう考えるとこの問題の解決の方向性として「格差を縮めて一見平等っぽく見せる」というのは全く意味のないことで、「生活レベルを底上げする」以外に解決策はないのではないでしょうか。
とりあえず底辺を救って努力させるための策が必要だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答くださりありがとうございます。
真の問題点は「格差の底辺にいる人がまともに生活できないこと」との
ご指摘にはとても賛成です。
仰るように格差を縮めて平等っぽく見せる」よりも「生活レベルを底上げする」ことが大切なんですね。
「格差」といっても生活レベルの高い層を羨んでも仕方のないことですが生活が困窮している人との差を縮めることが最優先だと思います。
とても分かりやすく問題の解決ができました。

お礼日時:2007/11/04 10:27

格差ね。

大きいのが賃金格差でしょう。

日本の民間の成り立ちは資本主義社会です。
「賃金労働者」と「資本家」に分けられるんです。
「自分が働いて金を稼ぐ人」と「他人を働かせてお金を稼ぐ人」の2種類です。

儲けるのは金持ちである大企業です。
富裕層が日本の社会を動かしているわけです。
政治や経済、メディア等。
「1~2割の富裕層」と「8~9割の庶民の格差」が開くんです。
そして庶民の中の何割かが貧困層に陥るわけです。
雇用がなくなって生活保護を受ける人とか
雇用がなくなって年収200万円切る人とか。
マーケットも負け組みである一般庶民と
勝ち組である富裕層と分けて展開しています。
そこに幸か不幸か根強い庶民の中流意識が働いて
格差を実感してない人も多いんです。


小泉政権のもと派遣労働法の改正など、
一般庶民の非正社員を増やすことで賃金を抑えました。

成果主義というのはまやかしです。
努力した人が報われるわけがない。
一日に働ける時間なんて決まっていますし
人の3倍働いたからと言って3倍賃金がもらえるわけではないんです。
残業に残業しても賃金があがらないというのが私たち庶民ですね。
努力した人が、報われるならワーキングプアなんて言葉は出てきません。
全力で走り続けることが出来ないのと同じで
成果は上げ続けることが出来ないし、むしろ過当競争で体を壊したり、
鬱になる中高年も多いですね。

自給が700円が800円になることが成果ではないんです。
労働力が同じでも
たとえばの話、
もともと正社員なら月給24万円出さねばならないところを
時給で人を雇うと時給700×8時間×25日勤務=月給14万円になるんです
(時給800円にしても16万円)
年収500万円以下だった人の賃金がリストラや賃金カットや昇給カットで下がっているんです。サラリーマンの平均年収が430~450万程度ですから、多くの方が賃金が下がってるんですね。
「企業は景気がよくてサラリーマンの平均的給料は下がる」

サラリーマンの平均年収、8年連続ダウン! - [よくわかる経済]All About
http://allabout.co.jp/career/economyabc/closeup/ …

それと反対に
儲けてる人は基本的に働きません。
「不労所得」と呼ばれるもので
または投資、資産運用、起業して事業員を雇って働かせます。

街の小金持ちでも分かるでしょう?働いてお金が出来たら土地を買って
貸すんです。すると本業のほかに働かなくても入ってくる家賃収入があるんです。これが不労所得です。
でもちっぽけな金持ちの話じゃなく多くのお金持ちは先祖代々お金持ちで、資産をたくさん持っていたりしますので、一代で財を築いたお金持ちなんて相手にもなりませんよ。
じゃあ大金持ちの息子なんて別に働かなくてもいいんです。投資して回収です。

日本は平等な社会として
前提としては誰しも企業の自由はありますが、
今度は資本(金)の競争になるわけです。
個人がせこせこ貯めた零細資本で起業しても
市場原理によって大企業に潰されるだけだし、
中小企業も大企業との過当競争によって
収益が上がらないところも多く、倒産も多くありました。
(産業格差)

一部の富裕層が富を集め、それが労働者に還元されないというのが格差問題ですよ。
そこからいろいろ派生するわけです。
年収が低くなるといろいろ諸問題が生じます
生活水準の悪化、教育格差も生じるし、多重債務、ワーキングプア問題。生活保護世帯の増加。経済苦による自殺者増加問題。

まあそこには自民党の政策でもあったわけですが、
(1)金持ち(優遇) 法人税ダウン 所得税の累進課税の廃止 
         相続税の軽減
         派遣労働法改正(人件費削減、正社員→非正社員増加)
(2)庶民(冷遇)  定率減税の廃止 所得税(逆累進性の税)アップ

まあ庶民に痛みばかりだったので先の選挙では自民党が大敗したわけです。

まあ大雑把に例えるなら
昔で言う地主と小作人の関係です。
地主が大企業や資本家で小作人が庶民です。
小作人は働いても小作料が取られるわけです。
経団連と言う大地主組合が国際競争力とかいう美名のもと、
人件費削減するために私たち庶民の小作料がいっぱい取られるようになりました。
小作人は給与が安くてつらいね。働いても給与が上がらないね。将来どうしようかね。これが庶民です。
日本の貧困率もかなり高くOECD加盟国で2位です。

庶民はどう頑張っても報われないというのが格差社会です。政府の財政難ゆえ、そこに追い討ちをかけるように社会保障がなくなっていくわけです。地方交付税も削減して都市は富み、地方は貧しくなり破綻する市町村も出てくるといったように。(地域格差)

まあ新卒の求人はかなりよくなってますから。
さあこれからどうなっていくのでしょうかというのが今後の問題ですね。
富裕層とスラムが混在するような貧富の差の激しい
アメリカ型資本主義に移行するのでしょうか?
(ちなみにアメリカは貧困率1位)
まぁこれは政治の問題。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答くださりありがとうございます。
やはり、「格差社会」の問題のほとんどが経済的な問題のようです。
その中でも一番問題なのが「賃金格差」ですね。
成果主義に対しては企業側の都合を優先した考えかただと思います。
日本では急激な「格差社会」化が進んだように錯覚してしまいがちですが昔から存在する問題なのですね。

お礼日時:2007/11/04 10:19

そもそも「格差社会」というのに対する認識が、百人百様です。



その中からエッセンスになりそうなのが、「努力したら報われるか」ということなんですが、

○努力すれば努力に応じて報われるから、結果として格差がつくのが格差社会

と、いう認識と、

○努力しても覆せない格差が肯定されるのが格差社会

という認識が両極でしょう。

わかりやすく言えば、
家が金持ちなら、小さい頃からしっかりした教育を受けて一生食うに困らないが、家が貧乏だと高等教育も受けられないから低賃金で早く働きに行かざるを得ず、子々孫々に渡り貧乏から抜け出せない社会
というのが、現状の先に見えてきているからこれを「格差社会」と称して問題視している人が多いわけです。

これまでは、日本というのは極端に格差が小さな国でしたから、教育経済のシステムが多少いいかげんでも、みんな同じような教育を受けて教育の平等も確保できていたのですが、いったん格差がつき始めるとこれが拡大しやすいシステムであることは認識しておくべきだと思います。

今にして思えば、日本の高度成長期というのは「とにかくがんばれば、がんばっただけ報われるんだ」というイメージだったと思いますし、会社も社員の「努力」をそれなりに評価していました。成果が上がるかどうかよりも、とにかく「努力する」ことが評価されていたのです。
ですが、「努力」というのは「成果」に比べて評価しにくいものですから、自然と「成果主義」では軽視されがちです。「成果主義」というのは、「どんなにがんばっても結果がついてこなければ報われない」「努力しなくても結果が出れば報われる」というのが基本です。

社会人なら誰でもわかるのですが、「成果」というのは、「運」に左右されるところが実のところ大きいのです。努力しても運が悪ければ評価されないとなれば、努力が軽視されますし、実際、そうなってきています。自分がいろいろと努力することよりも、ライバルを蹴落としたり、そこまで行かなくても「助けない」ことで間接的に足を引っ張ったりということが、いろいろな組織内で顕在化してきました。今、欧米に相当遅れて、日本でも「行過ぎた成果主義」というものへの見直しが始まっています。

個人的には、教育の平等さえ保証されれば、その意味での「格差社会」にはならないとは思いますが、これだけいろいろ言われているのに、日本でのこの面の改善は一向に進んでいないんですよねぇ...

格差社会というのは、競争社会の負の面を称する言葉であるように思います。光には必ず影が従うもの。広い視野でゆっくりと考えてみてください。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
「努力に応じて報われるから、結果として格差がつくのが格差社会」
努力しても成果が伴わなければ評価されないのが「成果主義」…。
でも、成果をあげるために手段を選ばないのではなく、プロセス=努力に対しても正当に評価することが重要だと思いました。
格差社会は現実にどこにでも存在しますが競争社会の負の面だけを差している点については同感です。

お礼日時:2007/11/04 10:05

 こんにちは。

私は労働法や社会保障の勉強をしていることもあって、社会問題に関する書籍やネット情報には、できるだけ時間とお金を割いて目を通すようにしています。自由主義経済の国ですから、能力や努力に応じて収入や資産の差が出ること自体は当然だと思います。

 ところで、今の格差論は経済的な問題に偏りすぎていないかなというのが私の不安に思うところです。金持ちと貧乏人がいて、貧乏な人はかわいそうという論調の書物や報道がほとんどのような気がします。底辺の悲惨さだけが強調されているような感じがします。

 この点について、私は質問者さんがお持ちの「最近はなんでも格差と結びつけて論じられているようにも感じます」という印象とむしろ反対で、現代日本の社会問題の多くが、格差問題と切り離されて論じられているように思えてなりません。

 ニュースを見ているだけで、うんざりすることが多いのです。給食代や年金保険料や保育費を払わない。奨学金まで踏み倒す。学校や医療の現場の荒廃。ネット犯罪の増加と凶悪化。子供や老人への暴力。いつもTVをつければどこかの社長や役人が頭を下げている。これらの横行は主に経済的な困窮というより、心理的なもの倫理的なものに起因するのではないかと強く感じます。

 これら諸問題は個々に詳しくリポートされ、分析を受けてはいますが、相互の関係、特に格差問題との関係はあまり明らかにされていないように思います。経済的な格差の拡大と固定化が、これらの社会問題と関わっていないはずがないと考えるのですが、私の勉強が足りないのか、これという論説にお目にかかったことがありません。

 私のような考え方を示すと、「格差社会の被害者が他の社会問題の加害者だと言うのか」という強い反応が返ってくるでしょうから、政治家も役人も報道も学者も、なかなか触れようとしないのはないかと不信感まで持っています。また、格差を問題としない保守的な論者は、ちゃんと働かない方が悪いという主張になりがちです。

 私は外国に通算で8年いましたので、比べてみてまだまだ日本は中間層が多く、比較的、平等意識が共有されている国だとは思います。されどこのまま社会階層が固定する方向に進み、下層の生活が物心ともに困窮の度合いを深めてゆくと、上記のような社会問題を増加させ、悪化させるようなことになりかねません。

 極論すれば労働法や社会保障は、困っているひとをこれ以上、苦しめないため、これ以上、増やさないための最低限の支えにしかなりません。社会全体に対する総合的な、つまり政治的な対応が不可欠なのですが、どうにも私には格差問題の議論が他の問題と関わらないまま盛り上がっているように思います。

 長々とすみませんでした。私の無知蒙昧を啓くようなお話しなどご存知でしたら、補足なりでお示しいただけると大変ありがたいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本では長い間、中間層意識、平等意識が共有されていて「格差」という言葉がすべて悪事のように論じられていることが気になります。
格差社会問題がのほとんどが経済的な問題に偏りすぎているという点については大変参考になりました。
他の回答者さんのご指摘にもありましたが「社会階層が固定する方向に進み、下層の生活が困窮の度合いを深めていかないようにするには?」
が大きな課題ですね。
幅広い視野でお教えくださりとても参考になりました。

お礼日時:2007/11/04 09:54

世界的にみると日本はさほど格差の深刻な方ではなさそうです。


しかし、実際に生活が成り立たなくなりつつある人が増加する一方で、財力のある者、強い立場にある者が、その力を背景に不公正な競争、事業活動によって富を蓄積させています。

全く同じ条件の下では、より努力をした者がしなかった者よりも優遇されなければ、公平ではありません。

しかし実際には良い条件で努力した者だけが報われ、悪い条件にある者ははいくら努力をしてもなかなか報われない状況ではないでしょうか。
そんな社会を国や政治家たちが放置し、それどころかますます助長させている制度上の問題が、あちこちで「目に見える」格差を拡大している元凶であるように思えてなりません。

昔は多くの富を得た者は応分の社会的貢献をすることで高いステータスを得るもの、という考えの人も少なくなかったと思いますが、現代ではそういう考えも廃れてしまったのでしょう。
自分たちだけが潤えば他者はどうなっても知った事ではない、という人たちに社会的地位を与えているような社会は決して健全なものではないと思います。

社会での格差が問題なのではなく、生活できない人が放置され、財力のある人が必要以上に保護されるようになってきている事が問題なのです。
なんでもアメリカのようなやり方にすれば社会が潤う、などという幻想が一層拍車をかけているようにも思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が参考に調べた本でも過去の法人税や所得税の税率変更で「生活できない人が放置され、財力のある人が必要以上に保護されるようになってきている問題」を取り上げていました。
より努力をした者が報われるような社会になって欲しいです。

お礼日時:2007/11/03 19:14

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