プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

削除されるかもしれませんが教えてください。

昔から思っていたことなのですが
戦争をしたのは天皇ですよね?
みんな天皇とお国のために戦ったんですよね?
それで結局負けてしまって、天皇は謝らなかったのですか?
誰も天皇を恨まなかったんですか?
A級戦犯はあれだけ恨まれたり批判されたりしてるのに?

過去の質問など見てマッカーサー絡みで助けられたみたいですが、みんなそれで納得してるんでしょうか。
許されたとしても、いまだにあんなに国民から敬われている意味がわかりません。
質素に一般家庭並みの生活してるならまだわかりますが。
しかも戦争を体験したお年寄りなどが特に天皇を見て喜びます。
なぜでしょうか。北朝鮮みたいに洗脳されているのでしょうか。
まして、天皇家のあんな小さな子供にまで敬語を使い敬っている・・・
しかも首相や政治家はちょっと税金無駄遣いしただけで批判されるのに、天皇は誰も何も言わないんですか。


別に天皇批判しているわけでもなんでもないのですが単なる疑問でなんです。
気を悪くされたらすいませんでした。
今の若い世代はみんなこの謎を疑問に思っているのではないでしょうか。

ご意見を聞かせてくださいお願いします。

A 回答 (41件中1~10件)

天皇や皇族の職務というのも大変みたいです。


たしかに貧乏ではないので衣食住の心配はありませんが・・・
まず、自由がないですね。全てにおいて・・・・
以前、皇室典範の問題で女系天皇や女性天皇の容認問題がでたと思いますが、
今は女性ということで臣籍となった皇族女性はこれに猛反対してたそうです。
いわれてみれば、たとえば普通に結婚して幸せな生活があったとして
皇族だからということで、自分の好きなこと、好きな仕事を放棄して
明日から憲法に規定している国事行為のみしなさい。といわれて「はいそうですか」
という人はいないでしょう。
また、よくドラマなんかであるように、自分に好きな人ができても、
その人とは身分が違う、などといったこともあるかもしれません。
へたをすると女性天皇が仮にできたとして、法律上はしませんが
周囲が結婚をさせず、未婚のままおわらせるなんてことも・・・
私としては貧乏で衣食住を欠く生活もいやですが、逆に自由のない生活もいやです。
    • good
    • 0

          *** 人間を神格とする天皇制は自然に対する冒涜である ***



人間がその地位に就く天皇制では、その利権の強欲的争いは必至であり、天皇制維持のためには、
成立は宗教でもないのにいつの間にか宗教に絡められて、
民衆の素朴な信仰心を利用しながら、人間神格の代々継承という、世界の宗教のどれにも類をみない
とんでもない権威維持の欺瞞が行われている。 それはあろうことかこの国の憲法条文となっている。

この点は最も重要だから再度指摘する。 一個人である人間の神格化を法として宣言してそれを代々継承することは、
自然の全存在体系の元となる根源作用が、その一個人に由来すると宣言したことであり、これは
それを許容したその国の国民全体が持つ、自然認識あるいは自然観における “ 恐ろしいまでの軽薄さ “ を表している。

古来より、" 神懸り “ となって宗教の開祖者となった人物史などでは、何らかの “ 非日常的奇跡 “ が見られたとの
記述もあるが、そのような異質な現象を認めるとしても、それは神懸りのような精神的変容を体現する人物が代理する
自然の根源作用の “ 外延 “ であり、
その非日常的異質性は決して神懸り的人物による力の具現ではない。 さらにそのような神懸り的非日常性が決定素因として、
遺伝的先天能力として継承されることなど絶対に起き得ない。 これは世界の宗教開祖者の家系をみても明らかである。
    • good
    • 0

.     *** 神話が憲法条文になる元で凶悪犯罪や詐欺事件を裁けるのか ***



天皇制廃止を主張する最大の理由、それは人間集団が社会を構成させるうえでの最も基本的な相互規範である
憲法については、そこには人間の素朴心情からも信頼され得る、純粋理性によって成立しなければなりません。

しかし天皇制の成立の起源は、西欧の王族のように隣国からの侵略に対して “ その戦いの先頭に立つ “ といった、
民衆からの要請や契約としての民衆への貢献などといった、歴史上の事実が全く存在しない。
天皇制は “ 現人神 “ と称することで平民から租税や年貢を騙し取るという、極めて悪質な意図による制度です。

この “ 現人神 “ と称する詐欺的制度が、徳川幕府からの政権移譲の混乱期に、明治政府が国内の安定化を狙って
急遽祭り上げたというのが真相でしょう。 しかしそれは負の要因となり、太平洋戦争では多くの国民が犠牲になりました。
人間集団が " まともな社会を維持 " するのなら、この天皇制の是非について国民が審判をするべきです。

" 神格あるいは国の象徴が一つの家系と一人の個人に代々継承されていく "、といった不条理が憲法の条文になって
いるのでは、日本国憲法とその論旨からなる刑法の元で、凶悪犯罪や詐欺事件などを公平に裁くことはできません。
このままでは法律が持つべき理性的整合性と信頼性は崩壊してしまいます。
    • good
    • 2

日本国憲法第一条には、天皇は国の象徴、と銘記してあります。



法治国家である日本国の国民なら、現憲法の元では天皇を侮蔑することは、国の象徴を侮蔑することになり、そう銘記してある憲法を侮蔑することになります。まあ、ちょっと形式ばって書くと、こんな感じです。
筋金入りの護憲の人は、天皇家が無事に栄えることは、日本国憲法の象徴が安泰なことなので、非常に喜ばしい、と言うくらいです。

帝国憲法下では、天皇は神聖にして犯すべからず、とあります。つまり、神様なので、俗世のことに責任が無いのです。その代わり、天皇は内閣の首班を任命し、任命された人は天皇を輔弼(ほひつ)、サポートする形で政治を行います。この任命も、国会が推薦してきた人を形式的に任命するのであって、天皇が好き勝手に適当な人を首相を任命することはできません。失敗したら、天皇の国の政治運営に失敗したわけですから、当然のことながら責任問題となります。一回だけ、太平洋戦争終戦内閣の鈴木貫太郎内閣のときは、議員でない鈴木貫太郎が超党派の推薦をうけ、固辞する鈴木に天皇が「たのむから」と言ったことがあります。

なので、「天皇に命じられて政治やっているくせに、失敗した」政治家は批判にさらされたわけです。天皇の信頼を裏切った、という認識ですね。だから、A級戦犯などは批判されても、大きな形で天皇の批判はおきないわけです。これは、現代の人にはわからない感覚かもしれません。

戦後、天皇は「人間宣言」をしました。
これは神様が「わたしは人間です」と言ったことになり、ある意味でこの宣言が、国民に対する謝罪でもあります。神の権威を捨てて、人間となり、日本の法律の元で国民同様に生きていく、という宣言は、当時の人にとっては非常に重大なことでした。

英国の王室がスキャンダルにまみれているのに対し、日本の場合にはこの類のことがなく、国民は無意識に是としているとおもいます。また、天皇家は皇室外交などによって、日本国の国益を生んでいます。

戦後すぐ、マッカーサーは(11月)、連合国軍最高司令官アイゼンハワーに「天皇は20個師団の威力がある。廃位すると大変なことになる」と報告していますが、実際、廃位することによる利益より、不利益のほうが多かったと思います。
    • good
    • 0

.     *** 天皇制を許容する ” 小児のような他者依存 “ が招いた帝国独裁 ***



日本における天皇制とは、多くの人間集団の中から一つの家系が選ばれ、その時々の家長がその任を担っていますが、
憲法に規定されて法制度化され、多額の国民の税金が拠出されている天皇制という制度について次の点を考えて下さい。
それは、成立の根拠と今日迄のその制度が招いた結果についてです。
現在でもほとんど神格的対象となっている天皇制の成立の根拠については、その起源が日本神話を持ち出さなければ
ならない程の曖昧さが有り、これは天皇を神格的対象としなければその権威を維持できないための詐欺的制度です。

日本国民が何故このような曖昧な制度を許容しているのかと言えば、それは長く続いた戦乱の時代を収束させるべく
士農工商のような絶対階級性である武士独裁社会に委託したのであり、日本の社会はヨーロッパの社会と違って、
個人主権による民意の反映を選択せずに、” 意志虚弱な小児のような他者依存 “ によって戦乱の世の終息を望んだのです。

これは歴史に残る士農工商のような絶対階級性によって、日本人の心理構造が ” 意志虚弱な小児のような他者依存 “ に
なったのではありません。 日本人は、島国閉鎖環境での農耕文化のために ” 他者依存傾向 “ が出来ていたのでしょう。
このため太平洋戦争では、” 天皇崇拝による滅私忠誠という虚妄扇動 “ によって多くの国民が犠牲になりました。
    • good
    • 1

.          *** 生存不安の心理転化としての愛国鼓舞 ***



いつも思うのですが天皇制批判をする度に、在日だとか日本が嫌なら出国すべき、などと言った画一的反応が返ってきます。
こういった反応の深層心理を考えると、極めて同一化した全体主義国家を渇望されているようであり、
さらにそのような心理を湧きたてる精神の根本へと辿っていくとしたら、” 利己的自己保存本能 “ に至るのかも知れません。
何故ならば、異なる思考や反対意見を全て排除した全体主義国家とは、その当事者一人のクローン集団であるからです。

そのことはその “ 利己的自己保存本能 “ が必要以上に賦活される、あるいは何らかの言説に対して反日的とか自虐史観とかの、
領域を隔てた明確な対立項を “ 設定しなければならないような心理 “ が湧き上がる場合は、
その人が抱える日常生活での生存に係わる何らかの不安に対して、利己的自己保存本能の賦活によって元の不安を意識下に隠して、
それを代価するような心理に転化するのではないかと思われます。

同一化した全体主義国家を渇望する深層心理は、人間の “ 利己的自己保存本能 “ が露骨に表れたことの証です。
さらに自然における独立単体のそれぞれは、相互にそれ以上の関連を持たないとする “ 唯物的自然観 “ によるのであれば、
弱肉強食のような原始生存競争は、人間社会の原則として肯定されることになります。 しかし物質全般の微細領域では
“ 一体的汎関係性 “ を持っている可能性があり、これは敵対する人間相互でも、ある領域では “ 連続体 “ であることを意味します。
    • good
    • 1

戦争責任との関係は、他の方々が語りつくされていると思いますので、天皇を敬うかどうかについて、お答えします。


結論から申せば、形式的には敬いますが、本心から敬うかどうかは、その時の天皇のお人柄次第でしょう。
では、本心では敬えないような方が天皇になられても、それでも、天皇・皇室制度を支持するかと問われれば、それでも支持すると答えます。その理由の前に、私の皇室観からご説明申し上げます。

私は、天皇や皇室を好きでも嫌いでもありませんし、普段は、意識もしていません。
私にとって、無意識な存在になっている証左かもしれません。
恐らく、多くの日本人もまた同様かと思います。

無意識な存在とは、空気のように当たり前で、普段はなかなか気付かない。
かえって、周りの人(外国の人、外国人的な発想の人)の方が気付いていたりする。

空気のような存在と言うものは、
逆に言えば、とても大事な存在だと思います。
壁にぶつかって、にっちもさっちも行かなくなって、困ったときのように、
よほどのことがあると、
自分達の価値観の根本として、ふと気付くもの。

その本質は、自分達の魂に照らして、何の違和感も無いと言う事。

魂とは、人の心の中核にあって、心を支えるもの。
自然景観や芸術作品が、人の心をとらえ、ゆさぶるのも、
その中核に「たましい」が、こもっているからだと思います。

「たましい」とは何か、語り尽くせないのですが、
次のURLも参考にして下さい。
http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page004.html

皇室は、日本人にとっての魂を守り伝えていく、
日本人の魂の故郷であり、日本人の魂の象徴だと思います。
皇室が、いつまでも、いつまでも末長く続き、
日本人にとっての魂の象徴であり続けて頂きたいと切望するものです。
    • good
    • 0

有名なサイトなのでご存知かもしれませんが・・・↓


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index …

日本の国柄、歴史など、非常に多くを学べます。
自虐史観教育を受けた私にとっては「目からうろこ」の記事が続々あります。
週1ペースのメルマガも発行されていて、少しずつ知ることができるのも嬉しいです。
    • good
    • 0
    • good
    • 0

良く、幕末のドラマで、植民地にならないようにするために、何とか明治維新を成し遂げる話が出てきます。

この植民地にならないようにするという努力は、大東亜戦争の直前まで一貫した日本のなすべき事項でした。大東亜戦争直前まで、世界中が欧米の植民地だったのです。
有色人種の唯一の独立国といって良い大日本帝国は、またロシアの南下政策に対抗するため、朝鮮を前線基地とし、いろいろなことが重なって、朝鮮を日本として併合、朝鮮人を日本人にして、その生活水準を日本人並みにするために、多くの予算を投入しました。その後、満州に秩序と日本の国益をもたらすために独立国を建設し、その満州国での経済活動を自由に行いたかった欧米と対立していきます。結果的に、満州に巨額の投資をしたその投資を失うことが出来なくなり、日本は後には引けなくなり、軍部の暴走もあって戦争への道を進んでいきます。
連合国が、言論の自由を奪った占領期におこなった洗脳教育で、日本人の近代史の知識は偏っていますが、当時生きていた日本人なら誰でも知っていることです。当時、ハルノートは、大日本帝国に、満州等の利権を放棄させ、有色人種最後の独立国日本を植民地化するためのものと認識した日本人が大多数を占めたといいます。
マッカーサーも日本を統治して、この辺の事情を理解した結果、米国議会で、太平洋戦争は、結局のところ、日本が自らを守るためにやむなく戦ったものだと証言しています。
植民地だらけだった戦前の世界を知れば、戦前の人たちが、昭和天皇陛下を慕う気持ちが分かってくると思います。
 なお、大東亜戦争の日本側の戦争目的は、東南アジアの植民地解放とそれに伴う日本国家の独立保持であり、この戦争目的が達成されたことから、日本は敗戦国とは言えないという欧米の歴史学者もいます。
    • good
    • 0
1  2  3  4  5 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!