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戦国時代の城で難攻不落ベスト3といえば、どの城だと思いますか。
 私個人的には、小田原、大阪、稲葉山かなと・・・。知識不足で有名な所しか列挙できませんが、皆さんの意見を教えてください。

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは。


武田信玄を蹴散らした砥石城なんかはかなりの物だと思いますけど。
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尼子氏の月山富田城も凄いと思います。


毛利元就も九死に一生を得たと言います。

尼子氏は、晴久の没後6年で滅亡してしまいますので評価は低いです。

第二次月山富田城の戦いでも、
毛利軍は損害が多く兵糧攻めに切り替えましたが、
資財を投げ売って兵糧を調達し続けた宇山久兼を殺してしまった義久の評価は低いです。

これが滅亡の主因となります。

尼子並びに義久の評価としては、
それ以外の事は時代上止む無しが正しいと認識しています。
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小田原は内紛での陥落なので入れて良いかと思います。

ただ、大阪城は裸城にされて力責め、稲葉山(岐阜)は二度も力責めで落ちてますから、ちょっと抵抗がありますね。

寡兵で大部隊に攻められ落ちなかったといえば、有名なのは真田の上田城ですか。少なくとも二度、倍以上の軍勢を撃退しています。また、結局落城していません。因みに#1の方の挙げられた砥石城も信州沼田の真田領内にありました(上田城の支城です)。

戦国時代が終わってしまってからの城で恐縮ですが、個人的には熊本城を挙げたい。西南戦争で西郷方がどうしても抜けなかったという実績もありますからね。
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上田城・忍城・長篠城じゃないの


何れも大軍をはね返している。
大阪城(大坂城ね)、稲葉山城は何れも陥落している。
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難攻不落の城と言っても、結局は攻める側の事情と


守る側の事情によって変わってくるので、

3倍~5倍程度の敵を兵糧・水が十分な条件で迎え撃つ、いずれ、近隣からの支援がえられる、
防御の大将は知力経験に優れているいう程度で考えれば、

小田原、大阪、稲葉山城でしょう。

小田原は関東全域の後方支援を断たれていますし、
大阪城は守備側のトップがダメで外堀を完全に埋められた後の落城ですから、
若干弱めは稲葉山城ですが、あの威容をもう少し手を入れたらと
思うのは私だけかな。

順番的には(1)稲葉山(2)大阪(3)小田原です。

先日、竹田城に行ってきましたが、あれも堅固といえば、堅固そうですね。
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規模や方式を無視して優劣を語るのも無理かと思いますが、春日山城も堅城であったといわれています。

私は水の手の確保さえしっかりしていれば、山城のほうが強いと思います。大軍で攻め寄せることができませんので、限られた守備兵で守るには向いていると思います。
 平城では駿府なんか小さくまとまった中に高い天主、三重の堀があり、火力を生かしたよい城だと思います。

 小田原城も強いですが、総構えを考えるのなら堺が最強だと思います。総構えを持つような城だと、総構えを囲む兵力に攻められたら一度総構えを破られたら勝ち目はなく、天主などただの物見櫓です。だったらそんなものより堀の深さと塀(柵)の高さ、そして規模で優劣を考えます。小田原と同規模の大坂城だって、大砲を防ぐ縦深性はありませんでした。戦国時代限定なので江戸城は除外しました。
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戦国時代と一口に言っても、城郭にはかなりの変遷があります。


特に鉄砲の影響を受ける前と後では防御思想は大きく変わります。
例えば鉄砲の普及後、山城の戦術的価値は急速に失われていきました。
山城は個々の郭が狭くならざるをえないため。一つの郭を敵に奪われると、同時に複数の郭が敵の制圧射撃の範囲に入ってしまい、次々に攻略されてしまいます。
また急峻な地形は必然的に城からの防御射撃の死角を発生させ、簡単に城に近寄らせてしまうのです。
鉄砲は弓より大幅に射程が長いが故に、山城は平城よりも不利になってしまったのです。
一般には山城>平山城>平城への変遷は政治的影響力を考慮した結果と言われますが、実のところ火器の発展により防御施設としても山城は消えゆく運命にありました。
(全く無価値になったわけではありませんが)
また徳川家が天下普請で造った大規模城郭、例えば豊臣家滅亡後に再建した大坂城(戦国時代とは言えませんが例として挙げておきます)は豊臣家の大坂城のような複雑な縄張りを有しておらず、一見すると防御力に劣るように見受けられます。
しかし徳川時代の大坂城の単純な縄張りは、万単位の兵力の駐屯と運用には有利であり、防御力は広大な堀と高石垣による強力な遮断線を形成した上で、突入してきた敵をそこで撃滅するキルポケットとして機能する、櫓門と多聞櫓で構成された枡形門に寄っているのです。
(もちろん枡形門は逆襲拠点も兼ねています)
徳川家の城は名古屋城や二条城など、基本的にどれも同じ思想で造られており、この結果「徳川家の軍」であればどこであっても、同じやり方で防御が出来る、つまり「標準化」という点で、時代の最先端を進んでいたと言えます。
このように「戦国時代の城郭」と言っても終盤の30年やそこらで、全く別物と言ってもいいぐらい変化しており、一概にどの城が名城かとは言い難いと思われます。
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まだ出ていない中では、石山本願寺などはいかがでしょうか。


天下人の織田信長の攻撃を凌ぎきった城であり、地形を生かして大阪城が築かれたのですから、難攻不落といってもよいかと思います。

九戸城も実績で言えば、僅か5千の兵で、豊臣軍6万と戦い落城せず、最後はだまし討ちでやられた城ですから、難攻不落といってもよいと思う。

戦火にあわなかったので想像から考えると、日本最大の江戸城が一番難攻不落の城ではないかと思う。
大阪城や名古屋城を下回ることは無いのではないかな。
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まだ開いてますね。


千早城は出てませんね。
これもかなりの傑物だと思いますけど。
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毛利氏の本拠地吉田郡山城は尼子軍に攻められても落ちてないです。


月山冨田城も有名ですね
稲葉山城は搦め手から攻められたりと結構落ちてます。
信貴城も力攻めでは落ちてないですね。

戦国時代ではないですが会津若松城なんかもどうですか?
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