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マタイ福音書は律法用語派、ヨハネ福音書は律法否定派という認識でよろしいのでしょうか?

A 回答 (2件)

マタイは律法の完成という側面で描かれており、イスラエル的です。


この世が終わるまでトーラの一字一句たりとも消えることはない とイエスが言ったとされ、イエスがユダヤの律法=この世の全てだと考えていたことになります。


マタイ書が稚拙なことから、マタイはギリシャ語があまりうまくなかったからだろうとされていましたが、どうやら変えてはならないという制約があり、それで直訳してギリシャ語にしてしまったため、意味のわかりずらいマタイ書になってしまったという新たな見解があります。

ヘブライ語に戻す作業をしている人がいて、その人の研究を読むと、確かにマタイ書は、律法重視に思えます。




ヨハネは先在のロゴス・神の子イエスという側面で描かれている。
イエス像は魔術師として書かれている。
これはヘレニズム文化に取り入るとき、理解しやすいように、ヘレニズム文化の特徴を生かしてイエスを紹介したからじゃないかと思えます。

ヨハネ書は反律法が書かれていたという印象は無いです。
律法に言及していないという感触を持ちます。
律法に言及していない=反律法 とはならない。

私の印象ではヨハネ書はオカルト系。
おぞましいという意味ではなく、ある意味グノーシスっぽいから。
神秘主義的な匂いがして、秘儀を極めようとした人たち 霊的なものを求めた人たちによって書かれた という印象を受けます。

だから奇跡話がこの書には多い。
水の上を歩くなどの表現は異教の神秘主義者たちがやっていたとされたことだったし。
ただし、天地創造の前ロゴスが母なるものの深淵を漂っていた ということにひっかけてもいると思えます。
私はこれを読んで受胎を想起しましたが 笑。
(卵子の周りを無数の精子がウロウロしていて、鍵を持った精子のみに扉が開き、その精子が中に入ると扉が閉じますよね。ロゴスとは精子のことだったのか!? とか笑ったりしましたが、古代の人は受胎の神秘を知っているほど高度に発達した文明を持っていたのか! とかは思いません。偶然だと思うし。)



マタイ書はパレスチナ、ヨハネ書はシリアで成立した という推測もある。
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 法律擁護に訂正して、初めてご質問の文章を読めました。



 あなたもしまったとおおもいでしょうが。
 質問者は書き込めませんものね。

 ご回答をあなたと共にお待ちしております。
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