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マケドニアの密集長槍隊は世界を席巻したのにヘレニズム衰退後はこのような隊形は歴史上姿を消していきました。どうしてでしょうか?
ローマ軍団にはピュロスの勝利で勝ちましたが、概ねローマには分が悪かったのでしょうか?

A 回答 (2件)

>マケドニアの密集長槍隊は世界を席巻したのにヘレニズム衰退後はこのような隊形は歴史上姿を消していきました。



中世ヨーロッパにおいて、スイス軍が使用しています。
一時期長槍方陣密集体型を使い、スイス軍傭兵集団は、無敵とまで言われました。
当時ヨーロッパ最大の軍団を持っていたブルゴーニュ公シャルルを破ったのは有名です)
小銃の発達により、無敵スイス軍傭兵の栄光は失われます。

>概ねローマには分が悪かったのでしょうか?

ギリシャの方陣を改良したのが、ローマの方陣(レギオン)です。
ギリシャの方陣は、正面方向には無敵でしたが、側面が弱く、また方向転換などを苦手としていました。
そのため、側面を軽装甲歩兵や軽装甲騎兵が守るのですが、あくまで補助戦力にしかすぎず、基本的に側面や背面に回りこまれたら負けでした。
これは、ギリシャの地形が、山がちであり山間部では側面に回りこまれる事をほとんど考慮する必要がなかったためです。

一方ローマの場合、戦う場所が開けていたため、ギリシャよりも機動力を必要としました。
そのため、装甲などもギリシャより軽く、槍も短め、軽装甲歩兵や騎兵も多めに編成していました。
この機動力の差が、ギリシャ軍に対して有利となりました。
ただし、初期のローマでは、ギリシャ方式の軍団編成をしていました。

ペルシャ帝国でも、軽装甲歩兵と軽装甲騎兵が中心でしたが、対方陣との戦い方に熟知していなかったため、方陣の最も強固な前面から戦いを挑み敗北しています。
その点ローマでは、方陣を主力としていたため、方陣の弱点を熟知していたため、方陣主体のギリシャ軍に対して有利な戦いができました。
また、ギリシャ側では、方陣と軽装甲歩兵の扱いがポリスによって異なり、各ポリスの兵を混合して大兵力とする事ができませんでした。
そのため、兵力的にもローマに対抗できませんでした。

その優勢なローマ式方陣を破ったのが、カルタゴのハンニバルです。
ハンニバルは、騎兵を使いローマ軍団の側面を守る騎兵と方陣とを切り離し、方陣側面から攻撃をしかける戦法で、ローマ軍団を次々と破ってゆきます。
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この回答へのお礼

うーむ。そうでしたか。疑問が一気に氷解しました。ありがとうございます

お礼日時:2007/12/18 19:11

ギリシャのファランクスが有名ですがこの陣形は高度に訓練された強壮な兵士を必要とします。



両手でやっと支える程の重量のある槍を長時間保持するには体力、腕力が必要で、また陣形を崩さずに方向転換、移動ができなくてはなりません。

また長槍で敵の接近を防ぐ陣形ですから一旦接近されたら身動き困難です。  ローマ軍の投げ槍、投石、弓矢攻撃で陣形に乱れを生じると収拾がつかなくなる可能性があります。
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