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「特攻-還らざる若者たちの鎮魂歌」(神坂次郎著)を読んで思ったのですが、
特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?
この本に「われ特攻を拒絶せり」という章があり、特攻を拒絶した美濃部少佐率いる芙蓉部隊が奇襲攻撃を繰り返して成果をあげています。
飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?



急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率82%、また17年のコロンボ攻撃などでの江草隊の命中率85%などからも確かでしょう。
恐るべき命中率で、パイロットの高い錬度の賜物でしょう。

ただしその後は激戦を重ねる中で熟練パイロットが消耗し、命中率は低下していったと思われます。
元々戦闘機乗りでWW2では航空参謀、また剣部隊の司令となった源田実は、戦艦・航空母艦の議論の中で、「一方航空機の場合は水平爆撃の命中率が12%,急降下爆撃が50%,雷撃が75%である」と分析していますから、一般的及び充分な錬度での艦爆(急降下爆撃)の命中度は50%ほどと考えるのがいいかと思います。

特攻での命中率ですが、米軍の資料で56%と言う資料がでましたが、これは書類上で正確には命中効果率であり、命中率とは違います。米軍が視認した機数を分母に至近命中まで含んだものです。
下記データの中から
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kamikaze …
日本海軍の特攻機(1944年10月から沖縄戦まで)
出撃数 2,314
帰還数 1,086
損失 1,228
の帰還数は戦闘に参加しなかった数なので、損失(未帰還)1228の中で
損害を与えた322を計算すると26%となります。
日本側の特攻初期の推定26~28%と重なりますね。

また安延多計夫大佐の調査での比島作戦~硫黄島作戦の数字、奏功率(奏功率とは命中機数と至近弾機数の合計)27.1%とも重なります。
命中率では19.5%です。
しかし米軍の特攻対策により、大戦末期の沖縄戦では特攻の命中率も極端に下がり、奏功率13.4%、命中率6.8%となっています。6.8%…もうボロボロですね。
http://d.hatena.ne.jp/fuldagap/20070220

ちなみに水平爆撃と急降下爆撃を混同されがちですが、攻撃目標に対してのベクトルをあわせて急降下し500メートルの高度から爆弾を投下すると3秒後には目標に激突しますので、ある程度の錬度の航空隊ならば急降下爆撃の命中度は非常に高いです。

また特攻を始めた時の急降下爆撃のほうが命中率は数%だったようですから、そうなれば特攻のほうが命中率は高いです。
つまりその当時では、錬度の低い兵士を各地に投入せねばならなかった悲しさですね。
その上で軍内部での対立(陸軍・海軍)などもあり、戦果があがらない上層部が「ウチはこんなにまでしているという」という言い訳、責任回避にさせられた面もあります。

戦略面で言うと、特攻は敵との戦闘までいけば死亡率100%ですから、米軍側からすれば、命中しようが海に落ちようが攻撃機はすべて落ちます。つまり敵機迎撃率100%と同じです。

日本側からすれば、攻撃をするごとに確実に機体とパイロットを失い兵力が減少していくわけで、ただでさえ苦しい戦況がその後どうなるかは自明の理です。正に負ける事を前提に、負けに向かって進んで行くだけの時間稼ぎの戦略になります。そんなものに使われた若者たちはたまった物じゃありません。

もちろん「君たちだけを死なせはしない。最後には私も君たちの後を追う」と言って若者を特攻に向かわせた上層部の多くが、戦後に国会議員や政治顧問になっていたりします。
逆に特攻に批判的だった、あるいは責任を感じていた上官が後を追ったり、腹を切ったりしているのは皮肉です。

という事で単純な比較はできませんが、ある程度の錬度の航空隊なら急降下爆撃のほうが命中率が高い。しかも艦船への爆弾の激突時の速度、ダメージも上です。
特攻を始めた当時のみでみれば、体当たり攻撃のほうが命中度が上です。
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「攻撃態勢をとり、敵の艦船にぶつかるための操縦技術があったとしても」



「どの時点まで、目を開けて、操縦桿を正しく握っていられるのか」

といった観点から、元特攻隊員であった方がお話しをされていました。本で読んだのかテレビであったか、その両方であったかは忘れましたが。

その元特攻隊員の方も、実際には体当たりしていないのですから、絶対とは言えませんが、机上の理論や計算だけでは考えられない状況がそこにあるのだなあと思いました。私は全く思いもよらないことでしたので。

目標に近づくにつれて、高角砲や機関砲などの衝撃・振動などで視界が見えにくくなるわけです。そして、どこまで目を開けて正常に操縦桿を握ることができるのかを考えていると、違った思いが湧いてきました。

むごいことだと。

どこまで考えて、拾死零生の命令を出したのでしょうか。

主旨から少しはずれたかもしれませんが、悪しからず。
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昭和19年6月のマリアナ海戦ですが


戦闘機225機・攻撃機273機
/戦果0(0%)
/損害378機(76%)

昭和19年10月の台湾沖航空戦
340機
/戦果:巡洋艦2隻被弾(0.6%)
/損害312機(92%)
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ある人の理論ですが、


通常戦力が無い状態での特攻戦力は0と見ても良い。
のだそうです。

桜花がその良い例で、攻撃前に1式陸攻と共に殆どが撃墜されていました。

どう考えても、攻撃、帰還、再攻撃の方が有利です。
燃料と爆弾の消耗のみです。
戦線の戦力と兵力を維持出来ます。

何故、特攻にしたのか?
通常攻撃にしろ殆ど帰って来れねーからです。

人間は、良い方を選びます。
どうせ帰って来ないから、命中率の高そうな方法を選んだんです。

計器飛行も満足に出来ないですから、スコールでもう駄目です。

敷島隊の関行男大尉は教官で大ベテランです。
敷島隊が空母をやっちゃったんで行けると思ったんです。

教官がいなければ後に続く人間など育成不可能です。
本人、日本はもう駄目だと名言してます。
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美濃部少佐の意見の方が圧倒的に正しいです。


そもそも現場のパイロットの意見よりも、ド素人の意見が勝ってるなんてことはありえません。
ほかにもベテランパイロットの何人かは特攻を拒否して通常攻撃を行っていたと記憶します。

要するに、誘導機械が造れなかったので、
代わりに人間を使ったということですから
命中率は高かろうと思うかもしれませんが、
パイロットが使い捨てということになれば、パイロットの質は
どんどん低下していくのが必然です。
パイロットの養成には費用も時間もかかるのですが、
大戦末期には水平飛行すら困難なパイロットばかりとなります。
この状況だと、実際、目的地に安全に飛行することすら危うくて
多発した機体の異常と併せて、途中帰還したり、迷子になったり
墜落したりというのも珍しくない状況となります。
大本営などは初期の成果をもとにして、その後の特攻を
それくらいの成果は期待できるという根拠のない予想をもとに続けるのですが
実際に敵艦に与える影響は目に見えて少なくなったということから考えて
命中率も著しく低下したと判断されます。

米軍が対策を取った後の特攻の成功率は、一般に10%前後とされます。
大規模な航空特攻をする代わりに、
通常の爆撃をした方が成功率は30%と三倍も高かったという数字もあり、
美濃部のようなパイロットが熟練者の場合、成功率は60%程度まで跳ね上がり、
夜間攻撃や何らかの奇襲攻撃ならば生還率もさらに高くなります。
通常の爆撃の場合、成功すれば反復攻撃ができるわけで、
あたりまえですが、特攻に比べればはるかに効率的です。

命中精度は練度や状況によって大きく変わってくるので
単純比較は難しいですが、兵器・攻撃というものは常に有効性が
重要な指標になります。
有効性という点において、特攻は大いに評価が低い。

結局、航空機の機体の貫通力はスピードに依存するだけなので、
ほとんどの場合、燃えるだけです。250キロ爆弾のような重い爆弾を搭載しては
ただでさえ強力な近接信管をもつ米軍艦隊には格好のえじきであり、成功の見込みが低い。
特に米軍はレーダー網と上空援護機、対空砲、機銃の組み合わせだったので
接近することも困難だっったというのが実情でしょう。
それに末期の特攻になると、飛ぶだけというような数合わせの旧式機が使われたので
まったく軍官僚組織の害毒というべき、無駄な攻撃が繰り返されたのです。
(軍は攻撃の数を多くして、戦果も過大報告していたので、嘘上の嘘に嘘が乗ってるがごとき意味不明の状況になっていました)

特攻に関する大本営発表のような誇張を信じるのは愚かで、
主要艦艇は特攻によっては一隻も沈んでないし、
せいぜい大破どまりで、後に修理されています。
沈んだのはどれも小型か貨物船を改造したような船ばかり。
特攻とは、精神論偏重の極みであり、非科学的、非効率的、非効果的。”統帥の外道”でした。
もっと有効な攻撃が可能だったのに、あえて、馬鹿なことをしていたというのが事実です。
パイロットの練度を上げ、上質の機体を使って、レーダー網を崩す工夫が必要でした。
しかしそういった正しい分析をしていくと、どう考えても日本は勝つことはできないし、
負けしかないということがわかるので
常識を曲げて特攻にこだわり、嘘を信じさせることによってのみ、
戦争を続けさせられたということかもしれません。
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通常攻撃では戦果は殆ど無く、被害は特攻とあまり変わらないでしょう。


当時、米艦隊に対する正攻法の攻撃では未帰還率は70%以上になるのは当たり前と思われていました。

一例を挙げれば、未だ拮抗した戦力を持っていた南太平洋会戦に於ても
被害は攻撃隊 戦闘機50機中自爆10 不時着3 艦爆57機中自爆31 不時着9 艦攻43機中自爆21 不時着7機でした。(米軍の放棄したホーネットに対する第三次攻撃を除く)

これが18年11月のボーゲンビル島沖海空戦になると
戦果は無く、艦戦33機中2機 艦爆24機中19 艦攻14機全機が未帰還に成ります。

累積する被害によって搭乗員の練度の落ちたマリアナ沖海戦に至っては、数発の命中弾と引き換えに機動部隊の航空戦力は約300の未帰還機を出し、壊滅的な打撃を受けています。

以後は熟練搭乗員はきわめて少なく、急速養成された搭乗員の比率が極端に高くなります。
練度をABCDの4段階に分けるとABクラスは全体の30%に過ぎません。
その練度基準も開戦時の基準から大幅に後退しCクラス(昼間戦線投入可)で飛行学生終了後9ケ月程だった物が3ケ月にAクラス2年9月から1年に
なっています。
以前の基準から見れば殆どがDクラス(要錬成)でC以上は数える程であった様です。

要するに特攻以外打つ手が無かった状況でしょう。
散華された方々に感謝致します。

関東空はゲリラ的な攻撃ですからね。
そしてその殆どは基地の制圧です。
点に等しい機動する艦船と、動かない沖縄の基地では状況が違うでしょう。
又索敵攻撃等での戦果報告は有りますが、米側の被害報告で確認できる
ものは無いのでは?
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私もよく戦記や架空戦記を読んでいるのですが、特攻と普通攻撃で命中精度がどちらが高いのかといえば、言うまでもなく特攻だと思います。


爆弾は投下しても風などに流されて思うように当たりませんし、敵だって回避行動をとります。魚雷ならなおさらです。
が、特攻の場合。大雑把に言えば爆弾や魚雷を操縦して敵艦に突入するわけですから、誘導弾のように当たります(奇妙な表現でごめんなさい・・・)
よくいう話ですが、特攻は初期のころ、志願制でした。が、特攻で戦果が上がるたび、軍の上層部は「特攻こそ確実に戦果をあげられる」といって次々と若者を特攻へ送り出しました。「本当に志望したのか?強制的じゃないな?」と、聞いても「ぜひ特攻に・・・」と言って結局ほとんどの若者が特攻のために散華しました。というより、「特攻など嫌です!」と言えるような雰囲気ではなかったのです。戦局がそうさせました。

しかし特攻の戦果は最初こそ挙がっていましたが、VT信管など対空兵器の発達やレーダーの発達などで戦果はなくなってきました。
結局、特攻と普通攻撃どちらが有効なのかといえば・・・当時の搭乗員の技量などからみても、ベテランなら無論、普通攻撃で若者は特攻が有効だったのではないでしょうか?
訓練するにも油がなく、搭乗員の技量もダメなら、特攻しか手段がない、当時の人間ではないので多くは知りませんが、必然的にそういう結論になったのでしょう。
戦艦大和がまさにそれです。複数出撃できるほど油がないから特攻だ、と。

わけわからない文章ですが(汗)それが歴史の真実だと私は思います。
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「特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?」



「体当たりは、急降下爆撃に比べてどう有利だったのでしょうか?」
に置き換えてご回答します。

そもそも、急降下爆撃と言うのは、下記のような手順で行います。
A) 編隊を単縦陣とし、敵艦の後方から接近。
B) 敵艦の後方の一定の場所で、失速寸前まで減速。多くの急降下爆撃機は、急激な減速を可能にするための「エアブレーキ」と言う装置を持っていました。
C) 次いで、敵艦めがけて急降下。ここから後は、照準(機体の向き)を投弾まで変更できません。
D) 投下高度まで降下したら投弾、引き起こし、退避。

「単縦陣で一機ずつ敵艦の後方から接近し、順番に機速を失速寸前まで殺して急降下し、爆撃して去っていく」
のですから、「優勢な対空砲火と多数の戦闘機」を持つ米軍から見れば、日本の急降下爆撃機は「カモ」以外の何者でもありません。
また、「急降下の体勢に入った後は機体の向きを変えられない」ので、その瞬間に敵艦が舵を切れば、空しく海中に爆弾を投下するだけです。日本海軍の戦記には、「敵機が急降下体勢に入った瞬間に舵を切り、爆弾を回避した」という日本軍鑑の艦長の回想が多く残っています。アメリカ海軍も同じでしょう。

特攻が始まったフィリピン戦の時点で、日本の急降下爆撃機は「相手に気づかれずに単機で接敵し、投弾に成功した場合」でなければ、「投弾する前に撃墜される」のが当たり前になっていました。投弾した後は、必ず相手に見つかっているのですから撃墜されないほうがおかしい状態です。
要するに、特攻が始まった時期には「敵への爆撃を試みて生還する急降下爆撃機は皆無に等しい。戦果も皆無に等しい」状況でした。この悲惨な状況を理解しないと、特攻という戦法の生まれた理由は分りません。

さて、熟練したパイロットが、爆装零戦や「彗星」などの十分な運動性を持った飛行機で体当たり攻撃をかける場合、次のような手順となります。

1. 偵察機の情報に基づき、海面を這うようにして、敵のレーダーの探知を避けつつ敵に向う。後方能力に優れた艦攻などが「誘導機」として随伴してくれれば、目標地点に迷わずに向えます。

2. 敵に近づいた時点で高度を上げる。ここからは、敵の対空砲火の網の中に突っ込んでいくことになります。

3. 体当たりの目標を定めたら、「全速」でその目標に向って突入。「敵の後方に回る必要」も「失速寸前まで減速する必要」もなく、体当たりの寸前まで機体の向きを修正できますから、命中率は飛躍的に上がります。

以上の説明で
「急降下爆撃では戦果も生還も期待できない現状。ならば体当たりをすれば戦果は挙げられる。生還はもとより期さない」
という発想が生まれ、「合理性」を持っていたのがお分かりいただけるでしょう。実際、レイテ沖海戦では、「熟練パイロットと第一線機による特攻」が米軍も日本軍も驚くような大戦果を挙げています。

なお、沖縄戦以降は、
「旧型機、練習機、水上機など、飛べる飛行機にようやく単独飛行ができる程度の搭乗員を乗せての特攻」
が行われました。こういった特攻では、多くの飛行機が目標にたどり着けずに水没していったと言われます。「命中精度」などを云々する以前の、「飛行機と搭乗員と爆弾を海に捨てる」に等しい行為でしたので、レイテ沖海戦当時の特攻とは別な戦闘行為と考えてください。
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特攻はWW2当時において最も命中率の高い攻撃方法です。


最後の最後まで目標修正することができることが大きく、通常爆撃以上の命中率を誇ることができます。

また、出撃≒未帰還とすら言える様な厳しい戦況ですので、通常攻撃においても帰還できるかどうかわからない。
敵艦隊まで到達することすら、非常に難しいため少しでも命中率の高い攻撃方法を取りたい。(次の出撃でまた敵艦隊まで到達できるかわからない)
通常攻撃を行えないほど錬度の低下(特攻の方が容易)

以上、通常攻撃を行うに比べての有利を挙げました。
ベテランだろうが敵戦闘機に食い付かれれば落とされることはWW2の戦闘みれば明らかと思います。
私は特攻の是非までは言う気は毛頭ありませんが、特効がなければ沖縄戦であれほどの数の連合軍の艦艇に損害を与えることは無いだろうと思われます。(通常攻撃なら戦果は減るでしょうね)
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> 特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?



単純に考えれば、人間が誘導装置の役割を果たしていますから、投下するよりも命中率は高くなる、はず、です。

問題は、有効かどうか、という点ですが、当然の事ながら、爆弾を抱えている分だけ飛行機への攻撃は成功しやすいですし、飛行機が落ちれば爆弾も当たらないわけです。
というわけで、相手が直掩戦闘機をもっていたり、対空砲火を行ったりすると、敵に到達する前に撃墜されるので、全く以て無駄なわけです。
また、爆弾だけ投下してはずしても飛行機は帰ってくる可能性がありますが、特攻だと確実に飛行機は帰ってきません。ということは次回出撃には少ない機数しか出せないことになり、撃墜される確率はますます上がる=攻撃が成功する確率は下がることになります。

というわけで「はずしても良いから爆弾投下」の方が、長い目で見ても命中率は良いし、その場限りだけしかみなくとも命中率が良いかも知れない、ということになります。
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