No.3ベストアンサー
- 回答日時:
補足、拝見しました。
「称うなれば我も亦仏なり」
とのこと。
先の回答で、一箇所、私も読み間違いをしていました。
「称えなれば」ではなく、「称うなれば」なんですよね?
「称うなれば」であれば、ANo.1さまのお答えのように、「かなうなれば」と読むのかもしれません。
そうなると、「かなうのであれば、私もまた仏である」ということになると思います。とはいえ、「かなうなれば」というのは、古典の文法的にも少しおかしいような気がします。「かなう」と読むにしても、已然形は「かなうれば」になると思います。
「となうれば」であるならば、「となえたならば、私も仏である」ということになります。
で、何をとなえるのかといえば、考えられるのは、まずは「南無阿弥陀仏」でしょう。あるいは何か密教の真言(呪文のようなもの)であるかもしれません。
「何をとなえるのか」は、どなたの、どのような書物に書かれていたかによると思います。
ただ、「かなうなれば、我もまた仏なり」であれ、「となうれば、我もまた仏なり」であれ、どうも仏教者の言葉としてはおかしいように思います。
仏教では、一切衆生悉有仏性で、誰でも仏であるという考えです。その意味からいけば、「かなうのであれば」という前提条件はいらないはずです。
また、「念仏をとなえることによって救われる(浄土宗系)」「真言をとなえることによって仏と一体化する(密教系)」ということはあっても、「となえたから、私もまた仏である」というのは少しおかしいように思います。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/02/02 11:19
ご丁寧にありがとうございました。
またこのような質問をすることもあるかと思いますのでその際はどうぞご教授ください。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
となうれば われも また なり
とも読めます。
まったく意味が通じませんが。
「称うれば、我も亦た~なり」という具合に、「亦」の後ろに何か言葉がないでしょうか。
まったく関係ないかもしれませんが、「となうれば われ……」と来れば、
「となうれば、仏もわれもなりけり、南無阿弥陀仏の声ばかりして」
「となうれば、仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏なむあみだ仏」
という一遍上人の言葉を思い出します。
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