No.1
- 回答日時:
私もあなたの意見に賛成です。
やはり連立式の理由は 「 見栄 」 えでしょう。
例えば姫路城の場合、豊臣家の大阪城に対抗して徳川家が西日本に威勢を誇示するため、見栄えの良いお城にする必要があったのだそうです。
→今の姫路城を築いたのは、徳川家康の娘婿(次女)の池田輝政です。
それだけ重要な城だったという事です。
西日本の諸大名が参勤交代の途中で姫路城を見たら、きっと圧倒されたに違いありません。
防御の点ですが、
例えば天守閣を敵に包囲されるような事態に至ったら、連立式だろうと何だろうと、もはや陥落は時間の問題でしょう。
だから連立式にしたのは、やはり見栄えを良くしたいからだろうと思います。
ご回答ありがとうございます。
私も究極のところ「天守閣を敵に包囲されるような事態に至ったら、連立式だろうと何だろうと、もはや陥落は時間の問題」という結論に達したのですが、もっと他に見落としている大きな理由がありそうな気がして質問しました。
私としては、反論を期待して待っているところです。
No.2
- 回答日時:
私も、見栄えと言う点に関しては、建造の大きな理由であると考えます。
ただ、純軍事的要求として、もし姫路城で戦闘が起こった場合、可能であれば撃退し、不可能であれば落城を一日でも二日でも良いから遅らせることを要求されて建造されています。
なぜなら、建造時には豊臣家が存続しており、豊臣恩顧の大名が山陽道を東征してくる可能性はゼロでは無いからです。
単純に見栄だけを要求するなら、外からはわかり難い、姫山の北方を起点に左回りに三重の螺旋に成る様な縄張りは必要無く、安土城の様な各階層毎に色を変える様な天守の方が…。(好みは勿論ありますが…。)
小天守の意義と言うよりも、大天守と三方の小天守を二重の渡櫓で繋ぎ、渡櫓に囲まれた安全地帯に、大天守単体よりも多くの兵士を格納し、少しでも抵抗を長く続けたいと言う、意図が有ったと思います。(築城時の大砲の性能では、砲撃で渡櫓や石垣を破壊し、内部の兵士を殺傷することは難しく、どちらかと言うと、大阪の陣の様なまぐれ当たりを期待した砲撃になってしまいます。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …
それから、ある程度の長さの有る渡櫓を作ると、火力の集中度合いから角が弱点に成り易いので、弱点を補う為に小天守を作ったのでしょう。
まあ、角を守る事を意識しだすと、ヨーロッパの稜堡式城郭に行っちゃうわけですが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …
ご回答ありがとうございます。
どこの城でも、築城時は軍事拠点としての機能を最優先したに違いありません。
そこで、篭城するまでに追い詰められた状況を想定して、それでもなお反抗するという拠点を確保しておくために、天守閣群に囲まれた空間を作っておいたのだ、という考えも理解できます。
それでもなお、他に理由はないのでしょうか、と思っています。
西国大名に睨みをきかす姫路城の役割についてもよく分かりました。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
威信を持たせるといった考えからすると、スペースめいいっぱい使った超巨大天守が一番なわけです。
実際江戸城などは独立天守です。もし超巨大天守が作れない場合、連立式にして内曲輪も含めて一体的に防御するのが最も強力なわけです。ではなぜ巨大天守を作れなかったかを考えるといくつかあると思います。
1 地形的制約 本丸が歪な形で、大きな天守が作りにくい場合があります。あと井戸や水の手の場所によっては、井戸を石垣で埋めるわけにはいかないので、真ん中を空けられる連立式が都合がよかったりします。
2 金、資材、財政的、技術的理由 巨大天守を作るとすると莫大な出費が必要ですし、それ専門の建築技術を持つ手段が必要になります。当時高層建築は城と寺だけですので、そういった建築技術を持つ大名もそれほど多くありません。また大天守を作るとなると、石材と木材の量も半端じゃありません。特に石材調達は深刻で、平山城の場合近くに海か大河川がないとその運搬も大変です。
3 幕府の意向 徳川家康は天下を握ったらすぐに五層以上の天守を禁止しています。その武家諸法度ができればさらに制約はきつくなっていきます。結果、五層以上の天守なしに必要な防御力、スペースを確保しようとしたら自然に連立式になります。
4 増改築 本丸に十分なスペースがあった場合、城を強化する場合、既存の施設を生かして利用したまま天守を増やしていくことができます。
番外編 姫路城 すでにでていますが、姫路城の場合2の丸、三の丸も含めて非常に複雑な形をしています。これは落ちない城というだけでなく、落とすのに時間がかかりてこずる城というのが、設計主眼としてあったと思います。これは、もし江戸時代初期に再度豊臣対徳川で決戦があった場合、姫路城はまずいきなり大阪と広島(さらに西国の大名)から挟撃にあいます。徳川軍が畿内に殺到した後も、大阪より西にある姫路には救援はきません。この間耐え抜くために、複数の天守を持つ粘り強い設計にしたのだと思います。
ご回答ありがとうございます。
建築・土木面からの考察、とても参考になりました。
私は、耐震性の面で天守の規模は制限されたと思っています。
天正13年(1585年)11月の近畿から東海にかけての大地震があってから、連年のように地震が起きています。
そこで秀吉は晩年、1592年に京都の伏見に新城を築こうとしたときに、京都所司代に「なまつ大事」つまり地震に配慮するようにと命じています。
ところが、1596年の伏見大地震(慶長大地震)で崩壊してしまって、多数の死者を出しています。
関が原以後、築城ラッシュとなりますが、大名は何より地震対策に万全を期したに違いないと思います。
姫路城以外の城についての回答を待っているところです。
No.4
- 回答日時:
天守はもともと城にいくつかある櫓(矢倉)の中で、中心部にあり一番大きい櫓を豪壮にしたもので、櫓同士を連結する例は以前からあった。
独立天守として出来た天守閣は天、正期から文禄にかけ複合天守、連結天守に進んだ。
これは櫓の連結と同じ防備を堅固にする為で、姫路城になり連立天守になった。
小天守だけで独立して籠城できるようにもなり、姫路城では他には余り見られないほど完備しており、天守間を渡櫓で結んでいる。
(大天守が落ちて小天守に逃げ込むとは考えられないが)
他方姫路城では大天守と小天守の構成に、特に美観を考えて縄張りされたようで、周囲に威容を誇る目的も大いにあったろう。
「天守閣は天正期から文禄にかけ複合天守、連結天守に進んだ。
これは櫓の連結と同じ防備を堅固にする為で、姫路城になり連立天守になった。」
連立式にすると防備がより一層堅固になるということですね。
理由を考えてみます。
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
実際のところ圧倒的兵力で短時間に攻略された場合を除き「城を枕に討ち死に」は戦国時代でもあまりなく、大半の籠城戦では外郭を破られるなど陥落が決定的な状況になった時点で城兵は降伏しています。
(このとき城主が責任をとって切腹する代償に城兵の生命を保障するのが当時の不文律でした)
言い換えると本丸の防御は純軍事的には大して意味が無い事になります。
それでも多くの場合、本丸が頑強に守られるのは、最悪の事態に備えたものであり、また天守や櫓を連ねた強力な防衛戦を見せつける事で力攻めを諦めさせる「抑止効果」を期待したものでした。
見栄えの良さもまた、軍事的に意味のあるものなのです。
「本丸の防御は純軍事的には大して意味が無い事になります。」
同感です。
この考えの延長線上に、鎧・兜に見る武士の美的観念を城郭建築にも見ることができるのではないかと考え、質問した次第です。
ご回答ありがとうございました。
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