プロが教えるわが家の防犯対策術!

 もう21歳になって、たまたま渡部昇一さんの本を読んでみたら、学校では教えられなかった、もしくは教科書に書いてあった歴史的事実とは違うことが本当は、たくさんあるんだと実感してしまいました。これは、外圧によって??内容を明確には書けないのかなと考えてしまうと、何か異様に悔しくてたまりません。そこで、第二次大戦について詳しく書かれた本を紹介してください。

A 回答 (6件)

「昭和史の論点」(文集文庫)


坂本多加雄、秦郁彦、半藤一利、保坂正康四氏の対談本です。
ポケット版で読みやすいのでお勧めです。
後は四氏の著作を順繰りにどうぞ。

読みやすいイキオイのある歴史本は、思考回路を構造改革するには効果的ですが、しばしば地味な基礎資料をすっとばしていたりするので、学者さんのカタイ研究本を意識的に取り混ぜて読んだほうがいいと思います。
    • good
    • 0

渡辺さんの本に影響を受けたのであれば



「戦争論」小林よしのり

がお勧めです。
    • good
    • 0

教科書的歴史認識についての一面性にお気づきになったものと思います。

おめでとうございます!?

さて、書籍には個々の戦術的記録(○○島攻撃)、敗因分析(陸、海軍の組織問題)など多数出ておりますが、「なぜ、開戦に至ったか?」の一般図書が少なく感じております。また、現在での世界各地での紛争を見ても「なぜ?」の情報が多くはありません。(なぜ、イラクはクェートを攻めたか?、なぜ、フォークランド紛争がおきたか?)この開戦の「なぜ」は、開始前の歴史背景に伴ってとてもに重要な部分であり、且つオモテに出にくいものでもあります。

そこで、太平洋戦争になぜ、突入したか?
1冊の図書を取り上げて、コレに書いてある、というのは過ちを犯しやすい性急さがありますが、米国の「オレンジ計画/War Plan Orenge」というものははずせない一つかと思います。

オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略
エドワード ミラー (著), 沢田 博 (翻訳)
新潮社

「異なる悲劇 日本とドイツ」、西尾幹二、文春文庫  

余談ですが、日独伊の三国協定のイタリア、第二次世界大戦では
戦勝国になってます。終戦数年前(失念)に連合国側に寝返った(口が悪い!)ためです。教科書に書いてあったらごめんなさい。
    • good
    • 1

角川文庫 帝国陸軍の最後 5編 伊藤正徳


     連合艦隊の栄光
     連合艦隊の最後
文春文庫 指揮官 上下     児島襄
     参謀  上下

などなど 読んでください
    • good
    • 1

こんばんは。


第2次世界大戦には、いろいろな書物が出版されています。
まずは、ご近所の図書館に行かれて、いろいろ探してみることを
お勧めします。

これが最上というのものをあげることは、非常に難しいですが
私のお勧めは、阿川弘之氏の海軍3部作の内の2冊です。
●「光内光政」(新潮文庫)
●「井上成美」(新潮文庫)

大戦を経験した一人の作家が、戦争の時代について考えた結果がこの小説
だと思います。
入門編というには、難しいところがあるかも知れません。
いろいろな書物と同時に、大戦に対してはいろいろな意見がありますので
複数の書物を読み比べることを、お勧めします。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntagawa.html …
    • good
    • 0

是非、読んでいただきたい分野の本が有ります。

 ここで書名を上げることは簡単ですが多分、人気がないため手に入れることは難しいでしょう。 何でも良いです、どれでも良いです。 一度読んでください。 私は人生観が変わりました。

 私には忘れられない本があります。角川文庫の「442連隊戦闘団」です。副題には「すすめ!日系二世部隊」と書いてあります。その中で忘れることのできないシーンが幾つか有ります。

 1945年9月2日、東京湾に浮かんだアメリカの戦艦ミズリー号上で降伏文書が調印されている頃、アメリカでヨーロッパで対日戦勝記念日の閲兵行進が行われていました。今、彼らヨーロッパ派遣アメリカ軍部隊は首都ワシントンの大通りを次々にと行進していました。
 軍楽隊は勇壮なマーチを吹奏し、拍手と歓声は全市を埋め尽くすほどでした。だが、万雷の拍手はいつしか消えていき大通りの両側を埋めた大観衆は静まり返りました。
 彼らの目の前に、今行進してくるのは442連隊戦闘団でした。各中隊の間隔は大きく開いていました。あまりにも少ない人数です。アメリカ合衆国陸軍、いや三軍の中でもっとも多く死傷者を出した部隊が今目の前に現れたことを人々は知りました。
 彼ら日本人二世が、日系アメリカ人二世がその命を持って尽くしてくれたことに我々は一体、今まで何を報いてきたのだ。ユダヤ人を強制収容所に入れたナチスの蛮行を嘲笑することができるのか、と全てのアメリカ人の胸に突き刺すような想いがわき起こってきたのでしだ。

 アーニイ・パイル(沖縄戦線で戦死したアメリカ特派員。進駐軍はその死を惜しんで東京宝塚劇場をアーニイ・パイル劇場と命名した。)はイタリー戦線で二世部隊の凄じい戦闘ぶりを目の前にして次のように記しました。
「私は、アメリカ兵達が非常に不利な状況にあっても常に勇敢に戦うことを期待することになれていた。しかし、体の小さな目の黒い兵隊達は記録破りの勇敢な戦いぶりを見せている。もっとも勇敢だと言われる部隊ですらおそらくは待機し、あるいは退却するに違いない状況のもとでも、彼らは猛烈に戦い続ける。彼らはアメリカ軍にとって強大な戦力である。テキサス州とマサチューセッツ州から来た多くの兵隊達は、口をそろえて「あの部隊が我々の味方だったということは幸せだった。」と私に語っていた。」
 ある時アーニイ・パイルはゴロー・サカガワに尋ねました。
「サカガワ軍曹、あなた方はどうしてこうも無理とわかっている攻撃をかけているのですか。アソコに強力なドイツ軍がいるのはあなた方にもわかっているでしょうに。」
「我々はやらなければならないのです。我々は二正面作戦をやっているのです。ドイツ軍にたいして戦うのと同時に日系アメリカ人全体のために戦っているのです。」
 日系アメリカ人のために二世部隊はアーニイ・パイルが目を見張るほどの戦いをしていきました。死の恐怖は誰も同じです。がくがくとふるえながら彼らはがむしゃらに突っ込んでいったのです。
 その夜、特派員はWW(2)のもっとも優れた戦況報告と言われる有名な記事を書きおくりました。
「記者はこの目で任務を越えた勇気という物がどんな物か始めてみることができた。ハワイの日本人二世部隊の一隊がラピド川を渡っていくのを見た。彼らは川の対岸まで突進し、その地点を40分も確保した。しかしドイツ軍の全力を挙げての砲撃にあって打ちのめされ、ついに退却してきた。世界中のいかなる軍隊といえども勝利の戦いにおいてすら、これ以上の輝かしい栄光を勝ち得た物はないだろう。」
 生き残った証人達はこう語ります。
「日本の歴史にもありましたろうか、キリスト教徒かどうか、答えさせることに命を懸けさせる・・・・・・」
「ああ・・・切支丹の踏み絵」
「そう、それですらい・・・むごいことやの。命を懸けなければ、何かを証明できんし、信じてくれんとは。」
 すすんで血を流すことが日系アメリカ人の踏み絵とは哀しい。
 そして戦死しても当初は在郷軍人名簿(?)にのせてもらうことはできなかったのです。死ねば皆同じという言葉がありますが、彼らには安住の地は死しても無かったのです。このことがヨーロッパの兵士達に知れ、多くの心ある人達の抗議文によってやっと名簿に記載してもらうことができました。
 戦闘につづく戦闘、よくも彼らはこれほど戦えるものだと思われるほど、彼らは戦い、歩き続け、仲間の屍を越えてイタリーからフランスへと息をつく暇もない。
 そして、ついに、地獄の一丁目にへとたどりつく。
 テキサス141歩兵部隊が、ボージュの森の中で補給路を断たれ孤立して包囲されてしまった。この「失われた大隊」の救出が二世部隊に命じられました。
 テキサス部隊の救出命令は、大統領から直接出されました。本国テキサス州の連中が騒ぎたて、大統領に圧力をかけ、大統領命令は現地の師団に直接伝えられてきました。もっとも勇敢な日系人部隊が大統領によって指名されてきたのです。皮肉なことです。日本人を強制収容しろと命令書にサインしたのも大統領なのに。
 どうして同じテキサス州の部隊がやらないんだ。むざむざ我々を死なせに行くのか、という声がでました。しかし彼らはやりましょう、といいました。日系アメリカ人のために!と割りきりました。
森には雨が降り続いていた。深い霧が立ちこめていた。霧の中にドイツ軍の狙撃兵が潜み、至る所に地雷がしかけられ、その先に全滅を待つだけとなった「ロストテキサス」の340名がいました。
 記録は言います。テキサス大隊が包囲されているところまでたった1500m。だがそれは地図の上だけのこと時間にして84時間、日系兵士140名が戦死し、1800名が重軽傷をおった距離です。180名から200名で成り立っていた戦闘団の各中隊がこの高地における戦争が終わったときに平均75名に減っており満足に歩けるものは5、6名だったと伝えます。死傷率は97%でした。

 静まり返った大観衆の中で一人の老婆が泣きながら叫んだ。
「坊や。お帰りなさい!」
日系兵士の母親なのか、祖母なのか。

 どうしてここまで凄惨な戦いに自らの命を懸けられるのでしょうか。どうして勇敢に死を迎えることができるのでしょうか。会ったこともない人間のためにどうして命を捨てられるのでしょうか。無数の兵士が足に凍傷を負い歩くことすら満足にできないのに、なぜ彼らは諦めずに戦い続けたのでしょうか。 マサオ・ヤマダの手紙はその理由について今に次のように伝えます。
 1,我々日系アメリカ人には強い結束力があります。
 2,誇りにかけて成し遂げなければならないと言う強い義務感があります。
 3、お互いに忠誠心を持ち合っていることです。友人のために何かをするという、その団結力は自己犠牲の発露からです。

 そして戦後、私たち日本人はアメリカでJAPと馬鹿にされることもなく、留学が出来て土地を買って事業が出来る。これはすべて今、アメリカで土になろうとしている人たちが黒人の公民権運動以前に得た有色人種初の公民権なのです。 忘れないでください。 未来の日本人の子供(私たち)をミジメにしないため20歳前後でこの世の楽しいことの多くを知らずに死んでいった人たちのことを・・・

気を付けていれば何年かに一回、軍事物や歴史書の書棚で見つけることが出来きます。 一度読んでみてください。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 お返事たいへんありがとうございました。
fibulaさんが、おっしゃっていることは教科書のどこにも書かれていないことですよね。今の学校で教わる日本の歴史では、太平洋戦争の真実を逆にわかりずらくさせている気がします。
 私も英語を勉強し留学をした経験がありますが、そこで同時テロを西海岸の都市ですが経験し、私は日本人以外の何者でもないということを実感しました。カナダ人教師に、日本はアメリカの付属国でしかないというようなことをいわれ言い返す言葉もなかったことを、痛感し日本人としての自分の誇りのなさを悔やみ、歴史的事実を学びたくこういう質問をしました。
 今は、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読んでいます。
さっそく大学図書館で検索したところ、
120%の忠誠 : 日系二世・この勇気ある人びとの記録 / ビル・ホソカワ著
という本や、日系二世の人々に関する本が数冊あったので、読んでみることにします。
 ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/27 13:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!