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次の文を現代仮名遣いにしたいのですが、私の現代仮名遣いはどこら辺が違いますか?教えて下さい。
「天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は           田児の浦ゆ、うち出でて見れば、真白にそ、富士の高嶺(たかね)に、雪(ゆき)は降りける」

(私の現代仮名遣い)
「あめつちの わかれしときゆ かむ(かん?)さびて
たかくたふとき(とうとき?) するがなる ひふじのたかねを
あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくそ ゆきはふりける かたりつぎ いいつぎいかん ふじのたかねは      たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける」


長くなり、すいません。教えて下さい。

A 回答 (1件)

*あめつちの わかれしときゆ かむ(かん?)さびて



「かむさびて」は、このまま「む」と発音しても良いので、「む」でも良いのですが、他と統一する必要があります。
「む」は「ん」に置き換えるほうを基本として、助言させていただきます。

→あめつちの わかれしときゆ かんさびて

*たかくたふとき(とうとき?) するがなる ひふじのたかねを

ひふじ?????
「貴き」は、歴史的仮名遣いでは「たふとき」(または「たつとき」)ですが、現代仮名遣いでは「とうとき」と発音・表記します。

→たかくとうとき するがなる ふじのたかねを

*あまのはら ふりさけみれば

OKです。

*わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり

「い行き」は、行きを強調して語調を整えているものです。
「行き」は、「ゆき」と読んでも「いき」と読んでも構いませんが、「言ひ継ぎ行かん」の「行く」と統一しなければなりません。
万葉集の権威・犬養先生は「いいき」と発音しておられました。

→わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いいきはばかり

*ときじくそ ゆきはふりける

「ぞ」は、係助詞ですので、基本的に「ぞ」と発音・表記したほうが良いと思います。
万葉仮名でどの字を当てているかにもよるのですが・・・

→ときじくぞ ゆきはふりける

*かたりつぎ いいつぎいかん ふじのたかねは

OKです。
ここを「いいつぎいかん」とするのであれば、「神さびて」も「かんさびて」、「い行きはばかり」も「いいきはばかり」で統一せねばなりません。

*たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける

OKです(または、「ましろにぞ」)。
「真白にそ」の「そ」は、「時じくぞ」の「ぞ」と同じ係助詞ですから、基本的には「ぞ」と発音・表記すべきものです。
しかし、上代ではこの係助詞が清音で「そ」と発音されていたようなので、原文に「そ」とあれば「そ」のままで良いかもしれません。
いずれにせよ、「時じくそ(ぞ)」と、「真白にそ(ぞ)」は、統一されるべきだとは思いますが。

万葉随一の叙景歌人・山部赤人の長歌+反歌ですね。
視点の移動というか、パノラマ的展開というか、すごく近代的なセンスで詠んでますよね。
日の影「も」、月の光「も」、雲の行方「も」、たたみかけるようにあらゆる事象を否定した挙句に、雪「は」降りける、と、「雪」だけを神聖視して、神聖なる富士に働きかけるものとして、区別の「は」で肯定しているのですよね。
古代人の、白く神聖なものに対する真摯な思いと、富士への信仰を思うと、心が清らかになるような歌です。
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